清潔の定義

今の時代は人間の世界にいるのと、自然の世界にいるのとでは様々な常識が異なります。例えば、泥浴びというものがあります。これは動物たちが寄生虫や体についた汚れを取り除くために泥を浴びて洗います。ここでは泥を浴びるということそのものが人間で言うところのお風呂に入って洗っているということなるのです。砂浴びなども同じですが、かえって綺麗に洗うと体毛が油で固まったり色々な寄生虫が近寄ってきやすくなることもありそれを防ぐために泥や砂を浴びるのです。その方が清潔に保つことができるのです。

この清潔という考え方は、今の人間ではまったく違った意味で使われます。今ではなんでも除菌し殺菌し、完全に微生物を滅菌してしまおうとします。手洗い用の洗剤から服用する抗生物質などもそうですが菌をすべて取り除こうとします。

清潔にしすぎることで、他の病気が増えてもいます。皮膚などは常在菌といった本来の皮膚についている菌を取り除くことで肌荒れをおこし、そこに黄色ブドウ球菌という外部の菌が付着し炎症を起こしたりします。洗えば洗うほどに悪玉菌が増えるという現象が起きています。

無菌=清潔という考え方はとても危険で、本来体に付着している善玉菌まで丸ごと取り除いてしまってそれを清潔というのはちょっと感覚が狂ってしまっていると思うのです。動物であれば絶対にしないようなことを今の人間はしますが、ほとんどすべての体が微生物によって活かされているのにそれを排除しようとするのが清潔なわけないのです。

先ほどの泥が汚いというのも砂が汚れているというのも固定概念がそうさせるのです。本来の泥も砂も発酵しているものは清潔なのですから発酵しているものまで汚いというのはどういうことかと思います。

以前、入社したあるクルーが漬物やパンの酵母を汚いといって触ろうともしませんでした。それに野生に生えているものは気持ち悪いから食べないといい、スーパーで売っているものしか信じられないとも言っていました、また手作りのものはちょっと嫌だとも言いました。これなど完全に固定概念で何らからの知識を刷り込まれ思い込んでしまっているのです。

何が本来の自然であったのか、今の不自然な生活が当たり前になっているからもはや自然というのは菌がいない世界であるとさえ思い込んでいるのかもしれません。

そんなことを言うと、世界にはさまざまな病原菌がいます。それは体内にもいます、免疫とは体内で微生物のハタラキにより左右されていますから自分の中でいつも発酵をしては体調を維持しているのです。それを汚いといって薬などで殺菌したり洗剤で洗いすぎたりするのは本末転倒だと思います。

泥が本当に汚れているのか、砂が本当に汚いのか、そこから見直す必要があると思います。知識によって得た泥や砂の一部しか理解していないのに、悪い菌が住んでいるからと決めつけては自分にとって都合が悪いものを不潔とし、自分にとって都合が良いものを清潔というのはあまりにも視野狭窄だと思います。

人間の持っている知識しか信じないという発想が固定概念ですが、知識を超えた「ハタラキ」があることを理解せず、人間に都合が悪いものは全部を取り除こうとする発想が根本の問題にあるように私は思います。

清潔と不潔の定義も、自然に照らして観直していく必要があるのでしょう。自分の固定概念を壊すには、もっと自然に触れていくことだと思います。薬漬けされて化学肥料をたっぷりかけている土が果たして清浄なのか、薬品漬けされて栄養剤ばかりを摂取する身体が果たして清浄なのか、どんな環境が本当の清浄で、どんな食べ物を食べ生活することが清浄か、実践していきたいと思います。