真似の真価

先日、GTリーダー研修の霊長類研究所の明和先生の講演で「真似」についての話をお聴きする機会がありました。チンパンジーや自らの子育てを通して胎児の時から幼児期にかけての発達やその智慧について科学的に実証されていました。

特に印象に残ったお話は「真似」の本質についてです。

人類は真似をすることで、様々なことを子々孫々へと伝承してきました。真似とはまさに自然の智慧の仕組みであり、その真似の仕組みを研究することは人類のもつ本来の目的を知るためのキッカケではないかと感じました。

一見、猿まねといい、真似をすることは簡単だと思われがちですが実際には真似ができるというのは、そこは本当に高度で難儀なことが行われているということです。それは単に同じ行為をするだけではなく、真似をすることで共感をしたり、学習をしたり、心を通わせたりといった人類が生き延びてきて生まれつきもっとも大切にして残してきた理由がありました。講演の中では「真似し合う」「心を想像する(相手の気持ちを)」「教え合い、助け合う」ということを行っているという御話もありました。

以前、日本文化の教え方の一つに職人の師弟関係による学びを深めたことがありました。宮大工でも同じく、他の刀鍛冶もそうですが師弟は言葉で教えません。つまり「カラダで覚える」、「後ろ姿で伝える」というやり方をとります。これは動物たちも同じ教え方で子ども達を導き、言葉でいちいち教えません。自然の学び方というのは、見て学ぶ、観て自分のものにする、本来の人類の教え方も同じように自然の智慧を用いた伝承方法だったと感じます。

今ではそういう教え方をせず、型にはめては幼児期から言葉や知識によって教えようとしますが本来代々先祖から繋がっている私たち常に先人といったモデル像があり、そのモデルをベンチマーキングすることで自ずから伝承され自らカラダで体得して結んで譲り渡していくのが人間の持つ本来の想像力や直観力、実践力や工夫力を磨く方法だと私は思います。

あらゆるものから学ぶ智慧を捨ててしまおうとする今の世の中の風潮や、今後の人類の行く末の方が心配になります。その時、子どもの持つこの「真似」の持つ可能性というのはまだまだ見直されていく必要があると改めて感じました。幼児教育や保育には、人類がどうやってきてどこに向かうのかというテーマを秘めています。

動物たちから学び、子どもたちから学び直すことは人類が本来備わっている叡智を活かすための方法を改めて再発見して価値を観直すことになります。子ども達のためにも、「真似」の実践を通して如何にその智慧が効果があるかを初心を伝承する中で実現していきたいと思います。

ありがとうございました。