人は人に魅力を感じるのは、その人の根底にあるものに惹かれるからです。例えば、その人の人間性、義理堅さ、また信念、人柄、人格、生きざまや生き方など、つまり私たちは「人」をみて自分が一緒に着いていくかどうかを判断しているものです。人を観るとき、自分は自分の中にある大切にしているものを観ています。自分の中にある大切なものをその人も持っていてそこに共感するものがあるからこそお互いの存在価値を認め合えるのです。

昔、ずっと若いころ私は人が自分に着いてくるのは自分の能力が高く、才能があるから従ってくれていると思っていた時がありました。自分の存在価値は、自分が誰よりも周りの人と比較して能力が高く結果を出しているから人が着き従うのだろうと思っていたのです。その頃は、自分のできるところや能力の高さを周囲に認めさせようと躍起になり、失敗を隠し、できない自分を見せないようにし、完璧な存在であるように振舞っていました。さらには組織において人が言うことをきいてくれるのは、自分には立場や肩書があるからだろうと仮初の自分を構築してはその立場や肩書通りであるように演じていました。

他者評価ばかりを気にして、周りが着いてくるような人になろうとしていて頑張っていると次第に、周りが自分の何を認めてくれているのが分からなくなっていきます。自分に自信があるのならいいのですが、実際の社会では比較、競争、争い、評価と日々にそういう圧力の中に存在しますから周りの声が怖くて自分の自信が持てなくなっていきます。自信がなくコンプレックスばかりが増えれば増えるほど、より能力ばかりを頼ってしまうのです。そして能力が高まれば高まるほどに反比例して自分の存在価値の自信がなくなっていくのです。さらに悪いことに能力だけで人を判断する物差しが強くなればなるほどに、他人の評価も能力ばかりを重視するようになっていきます。言い換えれば、その人ができる人かできない人か、能力があるかないかを基準に見るようになるのです。そうしてしまうと、大きな勘違いがはじまり「人」を観なくなっていきます。人を観なくなり能力だけになればもはやその人は、単なる道具や機械のようになっていくのです。こんな人には誰も着いていきたいとは思わなくなります。なぜなら人と人にならないからです。

人間は人格や能力は生きていく上でどちらも欠かせません。それがバランスよく成熟するためには、お互いに理念を共有し理念を中心にしてそのどちらも磨き上げ、人格と能力を高め続けなければなりません。今、たとえ人格が追いついていなくても年を積み重ねて経験を糧に精進していけばそのうち人格は成熟していきます。能力もまた然りで、鍛錬していけばその能力もそのうち成熟し成果も出てくるのです。

だからこそ、すぐに完璧を求めるのではなくもともと完全であることを自覚し、人間はお互いに同じ目的を握り合って弱い自分、できない自分、人格的に未熟である自分を認め合い、互いに助け合って支え合っていくなかにこそ「人」である価値があるのです。

人がもしも「人」を観て選ぶのなら、その人は必ず時間の経過と共に成長し成熟していきます。その紆余曲折のプロセスこそが豊かなことであり、そういう豊かさを一緒に味わえるからこそ人生で出会える仲間や同志の醍醐味もまたでてくるのです。

人間の夢や志は、その豊かさを味わえるためにあるといっても過言ではありません。人が生きていくというのは、仕合せになることであり、仕合せになるというのは「人」になることであり、それが「人生」の幸福になるのです。人生の幸福は心の豊かさを得ることですから、人としてお互いに認め合うことが私たちの大切な人生目録なのです。

今から未来の人々の人生を豊かにしていくためにも、人の魅力に気づかせて人の魅力を引き出せる生き方をしていきたいと思います。子どもたちの憧れるような人を目指していきたいと思います。