本物と本物風

先日から障子の張り替えを行っていますが、枚数を重ねるごとに腕も上がってきています。昔からの方法で張り替えると、如何に丁寧で丹精を込めて細かい作業をやっていたかがわかります。以前、着物や織物などを拝見したことがありましたが日本人の繊細で緻密な感性はお家芸ではないかとも感じました。これは暮らしの中で培われた技術だったのかもしれません。

最近、簡単便利に使えるようにプラスチックの障子?が出てきて売れているといいます。破れずに頑丈、物持ちもよく張り替えがない手間暇がかからないことが人気のようです。しかしよく思うのですが、プラスチックでかつての製法をまったく無視した障子風のものの名前まで障子にしていいものなのかと感じます。先日の畳もそうですが、い草を一切使っていない畳風のものを畳と呼んでもいいのか。絨毯も布団も、大量生産で安価でできる化学的なものを用いているのに伝統と呼んだりしています。

選ぶ側もよく見極めなければその差が分からず、また見た目だけ同じであればかつての本物と同じもののように見せようとする。これは日々の仕事でも同じく、理念風のものをやっているコンサルティング会社が果たして理念と呼んでいいのか。経営や方法論ばかりを優先するところが理念経営と呼んでいいのか、今の時代は真贋が見極められず偽物が本物のように語られる時代ですからよくよく先祖古来から代々普遍的に遺っている生き方や道具から本物を学び直す必要があると思います。

話を戻せば障子は、コウゾやミツマタ、それにガンピが使われています。これは和紙の材料ですがそれに対して洋紙は木材やパルプが使われます。現在は、紛らわしいことに木材やパルプのものでもすべて和紙と呼んでいますから何が和紙で何が洋紙かもわかりません。

本来の和紙は、材料が日本古来のもので製法も日本古来のものを言うと思います。この和紙には多孔性というフィルター効果があり自然な形で換気と清浄化が行われます。吸湿作用も高く室内に湿気がこもるのを防ぎ、湿度の高い日本の住環境には和紙はとても重宝します。

先ほどのプラスチックにはそのような効果がほとんどなく、元来の和紙のもつ効果はありません。現代の機密性の高い住居でればクーラーや暖房器具などで湿度を取り払いますからプラスチックでも問題がないのでしょう。かえって昔の畳や障子は、機密性の高い中では風も通らずカビの温床になったりもします。住環境が自然から離れれば離れるほどに昔の日本古来の伝統道具が合わなくなるという流れです。こうやって文化は人間都合にすればするほど風土から離れ消失していきます。

どちらにしても先ほどの洋の和偽装も微妙な話ですが、本来のものとまったく異なっているものを同じものと見なすという無茶苦茶な考え方も問題のように思います。そういえば最近ニュースでプラスチック米が出ていてそれを輸出するとかしないとか問題になっていました。プラスチックであって米でないのに、プラスチック米として食べるというのはおかしなことです。砂糖ではない石油系の甘味料も砂糖として誰も疑問を感じずに食べるような時代、当然かつての伝統の材料もまた同じように別物に入れ替わってもたいして問題にしないのでしょう。

古民家甦生の中で感じるのは、この辺の曖昧な伝統をはっきりさせていくことかもしれません。本物でないからそのものが価値を輝かせなくなり、本質でないからみんな手放して離れていくのです。今の時代は本物を敢えて見直し、その本物に原点回帰していく必要を感じます。

本物と本物風では、その本質がまったく異なることを学び直す必要があります。これだけ周りが本物風になってしまうと本物の方が陰をひそめていますが改めて本物の価値に回帰してこそ本物風は駆逐されていきます。

本物風は短期的な目線でつくられますから、長期的な目線で本物の価値を伝道していくことが何よりも時代です。そういう意味で体験できるような機会を用いることや、実際にそのものの価値が分かるようにしていくのは今の時代には必要不可欠な力なのかもしれません。後世の人たちのためにもっと私たちは考え直す必要があるように思います。

引き続き、本物を追及して子どもたちに伝承していきたいと思います。