心を笑顔(オープン)に

人間関係というものは、心をどれだけオープンにして信頼関係を築いていくかに懸かっているように思います。心が通じ合うことは、安心につながりそのことで関係が善くなるだけでなく仕事も遊びもすべて楽しく豊かになっていきます。

よく心をオープンにというと、自分の感情をさらけ出すことだと思っている人がいますがそれも一つの手段ですが反ってそのことで関係が悪化している人が多いように思います。本当は自然体でその人の真心や本心が出ている姿は、とても善い人なのに周りを気にしたり自信がなかったり自分を過度に守ったりしていると、反って周りに緊張する状況を与えて「あー、またもったいないなぁ」と思うこともあります。なぜなら人間は、自然体になればなるほどその人の本性や本心が出て周りも安心して自分も安心してその人の素の魅力が引き出されていくからです。素から磨くことは、玉を光らせる法理が活かせるからです。評価ばかりを気にして無理に我慢している時よりも、その人のことが全部観えた方がもっとも「その人らしい」し、みんなも本人との信頼が築かれ安心するからです。

例えば、日ごろ何もしゃべらない人に「本心をさらけ出して何かしゃべったら」というと反って黙られるか、ネガティブな感情をぶつけられることがあります。そういう人に「本心を言って」というと、かなりきつい攻撃的な言葉が出てきたりします。それを聞いた周りも衝撃を受け、その人を理解するよりも不信感や疑心暗鬼、またショックから涙したり辛い思いをします。言った方も言わなきゃよかったと思うし、言われた方も聞かなければよかったなどとも思います。こうなるとまた悪循環の連続です。

しかし本来、本心をさらけ出すというのは決して無理をしてそういう時だけ感情をぶつければいいという意味ではありません。普段から自然体で周りの人たちと接することを言うのです。ただここでの自然体は誤解されるのですが、「決して自分勝手に好き放題する」という意味ではありません。いろいろな感情表現を自然に出していたり、自分の思っていることや感じたことをそのままに話せたりできるという自分らしい自然体のことです。決して自然体とは、日ごろ自分の表情を偽り無理をして我慢していることの逆の意味ではないのです。

つまり普段から周囲を信頼し自分の感情としての優しい自分、楽しんでいる自分、明るい自分、我儘な自分、そして時折、悲しい自分、つらい自分、情けない自分、思っていることなどをそのままに表現して周りを信頼できていることがさらけ出している状態だということです。くどいようですが無理をして隠しているものをさらけ出せというさらけ出すではなく、普段から自然体でもいい状態になるようにさらけ出していくということです。さらけ出せば「自然に笑顔」が増えていきます。そして周りも楽しい笑いが増えていきます。そのためには、自分自身がリラックスできるような環境を用意したり、もっと自分が自然体でいられるように周りとの関係を築くために少しずつでも訓練していくしかありません。

もちろん訓練は時間もかかるし、挑戦も必要です。今まで隠して誤魔化して偽ってきたものを出したり怖いことや辛いことを乗り越えるのは、少しずつの勇気です。その勇気は笑顔になっていくという笑顔をさらけ出す勇気です。

最初から上手くいかなくても下手くそでも、笑顔を育てみんなが安心して、そして楽しく笑い合い豊かな社會を創造して自他が仕合せになるために「笑って」なんでも「楽しむ」こと、前向きに「ちょうどいい」と全体善に生きていくこと、笑う門には福が来るといいますがまずは「笑う」訓練からはじめていくといいと思います。

固まってしまった表情を崩すのは、自分の「笑い」の姿です。心をオープンにの定義は、「心を笑顔に」ということなのです。もっと自分の心が笑ったままでいられるように、周りを信頼して周りの笑顔が増えていくような自分の生き方を見つめていきたいと思います。

赤ちゃんや子どもたちの純粋で素直な素敵な笑顔や笑いが世の中から消えていかないように、困難を乗り越えて皆で一緒に心を笑顔(オープン)にする豊かな社會を創造していきたいと思います。

風習

人類の歴史を省みると、その土地や風土には伝統的な生活習慣というものがあります。この伝統的な生活習慣は、その風土で培った一つの文化でもあります。自分がどのような暮らしをしているかを遺すことは、その民族がどのような生活習慣をもっているかという証でもあります。

かつて民族は、自分たちの伝統的な生活習慣を確認することで同じ民族であるかどうかを確認したようにも思います。例えば、衣服であったり、道具であったり、儀式であったりと、同じ民族だからこそ持つ風習があります。その風習を持っているからこそお互いに同一の発祥を持つ民族であるという共通理解を持ったのではないかと思うのです。

風習を調べると、「風習とは、土地ごとに存在する社会生活上のならわしやしきたりのこと。風俗習慣。行為伝承のひとつ。地理、歴史、その地域の産業の違いによって顕在化し人々の行動や思考パターンに影響を与える。学術的には歴史学、民俗学の研究対象とされることが多い。」とあります。これを大きくしていくと文化という言い方をしています。

そもそも風土の習わしと書いて、「風習」ですがこれは文化を指します。その風土の中で培われた独特な智慧を、習わしとして伝承していくという仕組みです。その仕組みを維持していくことが、風土の智慧を遺していくことであり独自の文化を守り続けるということになります。

人類が多様な民族に分化していったのは、その土地の風土や環境に適応するための「智慧」を開発していくためでもあります。地球は一つだけの気候や環境ではなく、ありとあらゆる多様な環境が存在します。そこに移動しながらそれぞれにその風土環境に適合した姿になっていくということが、地球と共生していくいのちの使命です。

多様化するからこそ、環境が激変しても種を遺し続けていくことができます。現在は、私たちは自分たちが適合する代わりに、便利に道具を使って自分たちの都合の良い環境をつくることに成功しました。風土の智慧を遺す代わりに、文明を進化させどの風土でも自分たちの過ごしやすい環境にしていくことを可能にしました。

そういう意味では、風習や文化が不必要になってきたとも言えます。長い年代や歴史をかけて築いてきた先祖の智慧は今では役に立たない産物と化したのです。この変化の大きな時代の中で、何を取捨選択するかはどれだけ永い未来を見つめて今を決めるかということに懸かっています。

あなたは何を選択して生きていくか。

私は子どもたちに譲り遺したい未来を創造していきたいと思います。

文化と文明のバランス

今回、久しぶりに中国に訪問してもっとも印象に残ったのは中国の人たちの新しいものを理解し吸収するスピードです。昨日参加した世界園長会議でも、世界30か国、100人以上の各国の専門家、そして3500人の投資家や経営者、教育者、専門家が参加し出店ブースには世界各国の教材や玩具、環境用品などが展示されそれぞれに盛況に商談が進んでいました。

研修会のテーマも、ITやAIに関すること、設計のことや特色ある保育、環境などのどれも最先端の情報やその国で最も人気がある園や学校、ノウハウの開示などが講演の演題になっていました。そこで参加者たちは熱心に話を聞いて写真を撮り、講演終了後は名刺交換などをして自分たちの園の運営の関係づくりに努めていました。

新しいものを学ぼう、自分たちの知らない最先端の仕組みを真似しようと誰もが躍起になっていました。そこまるで「必ずこのチャンスを掴もう!」という人々の強い情熱と熱気に包まれていました。

また街中に出れば、車は世界各国の高級車が走り、タクシーの予約や決済などはすべてスマートフォン、市内の主要な観光地の店舗は品物の注文も決済も伝票も携帯電話で行われます。

もちろん日本でもそんなのは当たり前だという声もありますが、そこまで進化するプロセスの速度に驚くのです。本来は、紙で行われていたものがカードになり、機械認証になり、そして携帯へとなりますがいきなり紙からスマートフォンになってAIなどが取り入れられているという具合です。

極端な言い方だと、無人島で今まで生活していた住民がある日突然、文明の最先端の道具を使う住民になったという感じです。この文明の吸収の進化は、失敗を恐れずに何でも挑戦し受け容れていく中国ならではの柔軟性を感じます。そして時代の熱気を以前よりまして感じたのです。

ある意味、この国は何をするにもいい加減な国ですがその「いい加減」がこの時代の変化の際には「プラス」に働きどんな状態になっても前向きに柔軟に対応するという性質でこの文明の取り入れ方に観らるのです。

私は日本の明治時代の文明開化の時はまだ生まれていませんでしたから、その時代にどのように西洋の文明を取り入れたのだろうかと空想することはありました。しかし今回、中国に訪問し20年前に最初に訪問したころと比べてみてのこの文明の発展ぶりをみていたらきっと明治時代の文明開化も同じようなものだったのではないかとも思うのです。

しかし今の日本はその明治の頃の文明の取り入れ方が今の時代に禍根を残したものが多数ありますが同時にその御蔭で今の日本の発展もまたあります。長い目で見た時に一体何をどう温故知新していけばいいか、その文明と文化のバランスを今回の訪中で少し垣間見えた気がしました。

伝統というものは変わらなくても、その伝統の用い方や見せ方は時代と共に変化していきます。帰国したら早速、その辺をいろいろと手懸けてみて文化と文明のバランスを楽しみながらブラッシュアップしていきたいと思います。

今回も隣国中国からたくさんのことを教えていただきました。未来の子どもたちのためにカタチにして学んだことを還元していきたいと思います。

中国のルール

先日から北京入りしていますが、市内の観光地はどこも人であふれあちこちにセキュリティチェックが行われています。行列であっても、割り込む人もいれば立ち止まっている人もいたり、それぞれが自由に動き回っています。

日本では注意されて喧嘩になったり、嫌な顔をしたり不愉快になるものもここではいちいちその程度では不愉快になることはありません。それは車の運転なども同様に、譲り合うことはなくどちらかといえば我先にと突っ込んできます。横断歩道を渡る人がいようが、観光地で人が溢れていようがその中をクラクションを鳴らしながら通過していきます。免許を取るときにどのように指導しているのか、試験ではどうなっているのか気になるほどです。

また人の方も負けておらず、横断歩道でなくても3車線の十字路でも構わずに侵入してきます。あまりルールということの意味が伝わっていないか、ルールというものの存在よりも常に自分のやりたいことを優先するという考えではないかとも思います。

日本では、ルールを破るというのはとても悪いことでみんなルールを尊重して生活しています。ルールについてなぜこのようなルールなのかと言い返すこともなく、ルールだから仕方がないと諦めていたりします。しかしここ中国は、ルールに対して納得いかないと言い返したり、都合のよい解釈をして利用したり、対策を立てて対抗したりもしています。

よく観察していると、ルールを覚えるよりも周りの人がどうしているのかと見ているように思います。周りを見て自分よりも得をしている人や、メリットが大きい方を自分も遣るという具合に基準がルールや法が尊重されにくい環境があるように思います。

つまり誰かが前例を作ってそれがルールの抜け穴になったらそれをみんながやっているうちに気が付いたら正当化されているという具合です。自分勝手のように見えますがこれもまたこの土地で生きる仕組みだったのかもしれません。

人々の間に流れる人間の深いところ、孔子は論語でそういうことも見抜き徳を示したのかもしれません。今日から世界園長会議に参加してきますが、この国の幼児教育がどのようなものを吸収しようとしているのか観察していきたいと思います。

歴史的建造物

昨日は、万里の長城や明の十三陵を観光する機会がありました。実際に写真で見るのと歩いて見るのとでは大違いでその建造物のスケールの大きさに感動しました。また十三陵の永楽帝の長陵もまるで現在でも皇帝が佇み棲んでいるかのような荘厳絢爛な建造物にも感銘を受けました。

北京から少し離れれば、山水画に見たような景色が広がっています。偉大な山河が連なり、遠くから雄大な風が吹き抜けていくイメージです。この広大な土地で、人々が暮らしてきた足跡を直観すると四千年の歴史という悠久の流れを感じます。

この万里の長城は、1987年に世界文化遺産に登録されその長さは6,000km以上あるとも言われています。この長さを具体的に言うと、北海道から沖縄までが約3,000kmあり、その長さの約2倍以上の長さを「人の手」で作られたものです。

この長城は城というよりは城壁という感じですが、北方騎馬民族の脅威がありその民族が南下してこないように設けられたものだったといいます。実際には、長城のいくつかの場所には交易所もあり南から絹などの特産品、食料、北からは馬などを交易していたといいます。

しかし、お互いの勢力の均衡次第で侵攻が繰り返されたようです。初期は秦の始皇帝の少し前から造りはじめ完成したのは明の時代だとも言われます。そこまでで約2000年です。この間、ずっとこの北方騎馬民族との対立や戦争が続いていたというのは私たちには想像し難いものがあります。騎馬の時代が終わり、武器が火砲や戦車、飛行機になってからはこの長城は役割を終えました。今では、観光地として人の往来が盛んです。

そう考えてみると、この長城を境目に北方民族(狩猟民族)と南方民族(農耕民族)の関係が常に歴史の舞台に登場してきて国が変化し続けてきたのを感じます。それぞれの境界線の中で、人々は融和したり戦争したりとお互いの歩んできた道が重なり合い折り合いをつけていきますが簡単には折り合いがつきません。ここまでと線引きしても、それを超えてお互いにせめぎ合うのです。

世界の中でも現在、いろいろな国々も思惑から外交が続けられていますがその国の歴史がどうであったか、その国の価値観がどのような歴史によって仕上がってきたか、よく現地の人々の暮らしや生き方に目を向けてみればその心理や方向性なども洞察することができます。

そういう意味では歴史的建造物はその国の価値観を色濃く反映されているのです。引き続き、長く文化を交流したくさんのことを教えていただいた隣国中国から近未来の動向を洞察してみたいと思います。

経済格差

昨日から北京に来ていますが、街中は人々の活気や躍動を身近に感じます。特に貧富の差というものをまざまざを感じられ、走っている車も超高級車から人力の手押し車まで幅広く、豪華な超高層ビルがあると思えば裏路地に入れば年代ものの小屋のような建物があったり、また別荘地のようなエリアには一戸建ての庭付きの家があったりとお金さえあれば何でも可能かのような印象を受けます。

北京では出稼ぎ労働に来る人たちが都市部に集まってきます。その数は数百万人にも及びますがそのほとんどは家賃の高い地上ではなく家賃が安い地下に居住しているといいます。この中国の貧富の格差が拡大する一方で、約1%の人が全国の1/3の財産を占めているともも言われます。

日本にもアメリカにも資本主義経済によってそのような格差はありますが、目に見えて明らかにこれだけはっきりと差が日常的に明らかになっていると否応なしに気になってしまうようにも思います。非常に急速に近代化、現代化が行われてきて大国になった歪みというものはどうしてもその貧富の差を拡げてしまうように思います。

歴史にも、急速な発展と成長によって農村部や都市部、そして権力が一カ所に集まるのは歴史の事実でもあります。私は日本が戦前戦後の急速な復興や発展を体験したことがありませんが、このように隣国が発展して様子が変わっていくのを垣間見ると経済成長というものの本質を学び直した気もします。

人間とお金というもの、そのバランスが崩れることで貧富の差はますます拡大していきます。何のために働くのか、成熟してきた社會においてはその問いが一部の経営者の間では議論されはじめてきている兆しもあります。

しかし大多数の社會においては比較競争の中で、ますますお金や物を中心に人間の不安な心理の側面が現れてきます。どのようにして人間を成長させ続けることができるか、孔子はどれだけ人類の先を読み、それを論語で語ったのであろうかと思いを馳せます。

引き続き、この国の歴史を省みながら未来の行く末を感じてみたいと思います。

文化交流

改めて隣国、中国との関係を紐解くとその関係は古く今から約1800年年前の邪馬台国の時代から始まっていると記録されています。その頃の中国は、三国志の時代であり日本の歴史がまだ草創期であったのに対し、中国はすでに2000年もの有史時代を経ていた頃です。

約1800年の間、交流を持ちお互いの文化を交流し私たちは中国からたくさんのことを学んできました。今、用いている漢字という文字や、食文化、生活文化、音楽などの芸術、その他、思想や宗教に至るまであらゆるものを中国を参考に自国の文化に取り込んできたとも言えます。他にも有名なものに年中行事の五節句、暦も中国のものでした。

今では当たり前に日本文化として樹立され世界へ発信されるものでも、その元は中国から伝来したものを日本人が自分たちの文化として成熟させたものもあります。中国の伝来文化の多様さを知ればまさに今の日本文化は中国文化あってこそではないかとも感じるのです。

そう考えてみると、文化交流というのは時代と共に自国で発展させ成熟させた文化を行き来させることでお互いにその文化を研ぎ澄ませているように思います。切磋琢磨というか、自分たちはこの文化はこのように仕上げたということをお互い時代を経ては認め合いそれを学び合い活かし合っているのが文化交流の歴史のように思います。

地域や気候風土、民族性や精神性の違いを尊重し、お互いに磨き上げた文化を確かめ合うことでお互いの持ち味を活かしていこうとする。人類はこのように文化という道具を使ってお互いの生活を向上させていったのかもしれません。

時代を経て今でも、文化交流が続くことが有難く思います。

私のその一端が担えるように精進し続けていきたいと思います。

中国のスケール

中国という国は、そのロシア、カナダに次いで世界第3位の大きな国土を持っています。歴史の長さも、人口の多さも、山河の雄大さもまたスケールの大きさを感じます。

さらに国土の広さは多様な気候や風土の存在も感じさせます。東側は海に面しており、西側は砂漠と高山地帯、南は亜熱帯性気候で北は極寒の地がありマイナス30度の世界です。この気候風土の変化から、様々な人種や文化、民族が存在しています。

中国というと、私たちの一般的なイメージは山水画だったりテレビで見かけるような海側の都市や北京などの首都の一部の写真が中国だと思い込んだりしますが実際にはあらゆる多様性に富んだ気候風土や人種が集まって存在しているのが中国の本体とも言えます。

日本でも、沖縄と北海道などでは気候風土も異なります。それに東北や九州などでも、地域の伝統文化なども差異があります。しかし中国は、方言を超えてまったく使っている言語も異なり、文化も異なり、肌の色や食べているものも異なっていたりしますからそのスケールが大きいことはすぐにわかります。それは国土が日本の25倍の大きさ人口が10倍であることからも理解できます。

最近は、中国人の観光客が爆買い、爆食、爆待ちなどと「爆」をつけられますがもともと、消費するエネルギーも私たちのスケールを超えているように思います。広大な土地で無数の他民族、多人口、多様な文化に支えられたそのスケールがその新しいものを取り込み取り入れる柔軟性やスピード感を磨いてきたのかもしれません。

現在は、経済の成長速度が著しくGDPは更新し続けておりまもなくアメリカを追い越し世界1位に近づいています。特に広大な土地を持つ中国では、地域での発展もまた極端に著しく最近注目されている深圳では、人類史上最速で成長している都市とも言われます。ここに住む若者は65%、老人は2%しか居らずたった30年で1400万人まで膨れ上がった都市です。

この深圳は経済特区に指定されており中国全土から稼ぎたい一攫千金を目指す夢を持って成功したい若者が押し寄せ、この10年で増えた人口は400万人以上、横浜やロサンゼルスまるごとに匹敵する規模で拡大しています。電気のバスや自動車も当たり前に走り、道ばたで果物を売る老人もスマホを手にしていて、決済はすべて電子決済で行われます。また自転車は大半がシェア自転車で、スマホでロックが解除できるほどになっているともいいます。

ITの分野でも過去の色々な経緯を辿らずに、突然に最先端のテクノロジーを使いこなすようになる。この速度においてもスケールの大きさを感じます。

中国のスケールの大きさとは、この人間の極端な柔軟性であり新しいものに対する受け容れる幅のスケールのことではないかと感じました。好奇心旺盛さは、そのエネルギーの源泉です。中国の成長の凄さを垣間見る気がします。引き続き、明日からの訪問でそのスケールを確かめてみたいと思います。

国の価値観

今週後半から久しぶりに北京に訪問しますが、23年前に留学してから急速に発展したことを肌で感じたいと思います。

中国に最初に訪問した時の印象は、個々のパワーが漲っているという感じがしたのを思い出します。訪問したのは上海でしたが、24時間片時も止まらずビルの工事が進められ、街の区画整理なども大胆に行われていました。日本では、なかなか進まないような調整が難しい工事も人数とアイデアと力技であっという間に無理を通してしまいます。

常識的には考えられないような方法で次々に現実を何とかしてしまう、前例に囚われず失敗を恐れず不可能に挑戦する姿に中国のスケールの大きさを感じたものでした。もちろん一長一短ありますから、それが反って問題になることも多々あるものです。しかし時代の急速な変化の中で、地勢的なチャンスを活かし、マイナスをプラスに転じて、プラスをさらにプラスにしていこうとするエネルギーは現在の中国の発展を支えているように思います。

それぞれの国や民族には、それぞれの歴史があります。私たちが中国と一括りに読んでも、その実態はそれぞれの民族や部族の集合体のようなものです。アメリカも他民族の国家ですが、中国もまた他民族の国家だとも言えます。その中で何度も失敗を繰り返し、多くの人たちがいのちを落とし、このような多民族国家の中で何を頼りにすればいいか、何を信じて立ち回ればいいかをそれぞれが磨いてきたとも言えます。

私たちの日本は、ほとんど同一民族で形成されていますから多民族国家のことはなかなか理解し難い部分もあります。また儒教を中心に、私たちが中国から取り入れた文化と今の中国との印象の違いに驚くことも多いと思います。歴史の中で、私たちが明治の頃に西洋の価値観と日本の価値観を入れ替えたように、中国もまた文化大革命の頃にそれまでの価値観を入れ替えるような出来事が発生しています。

しかし連綿と続いてきた歴史に裏付けされた価値観は多く現在も遺っています。その一つが、「血縁」の強さです。むかしから中国は、血縁者を頼り、子孫を残し、そのつながりによって出世していきました。親族の中で、出世するものがいればそれを頼りそこから大きくしていきます。逆に、権力者や王朝が変われば悉く血の粛清といってその血縁を根絶やしにするほどです。

私たち日本人は血縁よりもムラといった所属する組織や家といったものを重んじる価値観ですが、中国はあくまで血縁中心の価値観が重んじられています。

このように価値観というものは、国家の形成や歴史、地理的環境によって変化しその国のカタチに影響を与えているのです。

引き続き、中国の歴史や文化について改めて見つめ直してみたいと思います。

伝統の価値観

人は体験することではじめて全体で何が起きているのかを理解することができます。いくら頭で知識だけで分かった気になったとしても、それは妄想であり現実の実感は持てないものです。実体験の苦労があってはじめてそのものを直視することができ、そこから直観することができるのです。

例えば、幼い子どもたちにいくら知識でいろいろなことを教えても体験の価値には敵いません。先日の農作業やお米作りでも、自分で田んぼでお米を育ててみてはじめて日ごろから食卓にあがるお米の尊さを自覚するのです。体験には苦労はつきものですが、この若い時の苦労が自分が成長していく過程で先祖から連綿をつながっている伝統の価値観を学ぶことになります。

むかしから自らの実体験によって暮らしを実践し、その暮らしの中から私たちは伝統の智慧を継承してきました。この伝統の智慧は、伝統の価値観を持つことではじめて活かすことができます。伝統の智慧はそのままでは意味がなく、活かすことではじめて意味が出てきますが、その智慧を活かせるようになるには大前提として日本人としての価値観を伝承している必要があるのです。

本来、日本語も同じく伝統の体験を磨いて日本人の価値観を持った人がその言葉を用いればそこに智慧が働きます。自分の価値観は環境や生育によって育まれるものですが、その価値観に先祖から伝来している智慧を習得できるかどうかは世界の中で自分たちのアイデンティティを確立するためにもとても大切なことなのです。

苦労を避けて、楽に便利に汗をかくことをやめた日本人は日本人の価値観を忘れていきます。特に伝統や暮らしが失われ、実践する機会もなければほとんど日本人ではなくなっていくのです。

伝統の価値観は、私たちの「根」であり、根を学ぶことは先祖からの智慧を学び、生き方を伝承し、子孫へと精神を継承していくことです。これは先祖伝来のチカラであり、私たちの先祖が子孫のためにと見守ってきた愛の伝道でもあります。

今の私が此処にあるのは先祖がいのちのリレーをしてくださったからであり、そのバトンを受け継いで走っているのを忘れるのは本末転倒です。

引き続き、子どもたちのために何が遺し譲れるか、本質を見極めながら脚下の実践を積んでいきたいと思います。