いのちは囲炉裏に宿る

本日は、宗像環境会議の「徳が循環される共生圏へ ポストコロナの真の豊かさへの日本からの提言」ということで聴福庵で座談会が事前収録されることになりその座長をつとめることになりました。

実はとてもシンプルなことで私たちは自然に素直に耳を傾け、感覚を研ぎ澄ませば徳の偉大な共生圏に存在していることに気づきます。何もしなくても空気があり水があり、太陽があり、いきているいのちがある。

もうそれだけで私たちは真の豊かさの中にあります。こういう当たり前のことをわかることは足るを知る人であり、あるものをちゃんと観て生きる人たちは真の豊かさをもち仕合せを歩んでいます。

人生の喜びや味わいは、私たち人間だけが求めているのではなくこの世のすべてのいのちが平等に与えられているものです。人間はなんでも思い通りになっている気がしていますが、山川草木、そして動物や昆虫までみんないのちの仕合せを謳歌しています。

徳とは何か、きっとお気づきになると思います。

本日は、囲炉裏を囲んでみんなで聴き合います。この囲炉裏というのは、炉を囲んでと書きますがなぜ「裏」と書くのか。内裏などという言葉もあるようにこれは奥深さ、奥ゆかしさに通じているように私は思います。民俗学者の柳田国男は「いろり」は「座る」を意味する「いる(居る)」と、「座る場所」を意味する「い(居)」が合わさった「いるい」といいます。そこに裏が入るのは、その奥に神様が座しているという意味であろうと私は思います。

囲炉裏を囲んで座り、みんなで語り合えばその中に神が宿るということです。

日本人は古来から、大切なことを語り合う時、火(ヒ)に尋ねました。そうやっていのちの仕組みに則り原点回帰したから大切なことを忘れなかったのでしょう。

自然環境は終わりなく変わり続けます、人間はもっと謙虚になって自然から学び直す必要があるように思います。自分を活かしてくださっている存在を忘れずに、子どもたちの懐かしい未来に徳を譲り渡していきたいと思います。