陰徳と真善美の仕合せ

世の中には、陰ながら取り組む人たちによって支えられ徳が積まれていくものです。これを陰徳ともいいますが、縁の下の力持ちともいいます。今の時代は、目立ち自分たちがやっていると言わんばかりに宣伝しあっている人たちが増えていますが本来はそんなものは自分のやりたいことをやっているのだから宣伝せずとも淡滔滔と取り組んでいく方がいいように思います。

なぜかといえば、それが陰ながらにつながっていくのです。

この陰ながらというのは、私の実践するかんながらにも通じています。世の中には、当たり前すぎて空気のような存在がたくさんあります。水も太陽も、月も風も地球にも偉大過ぎる存在のことを私たちはあまり意識することはありません。

しかしこの目立たなくてもなくてはならないほどの尊いものはすべて陰にかくれているのです。これは単に日陰のことではなく、意識の陰のようなものです。普段、意識していないけれどこれが偉大なことだと感じられるもの。それを「徳」と呼び、陰こそ徳であるという意味なのです。

この陰徳は、陰陽の陰ではなくまさに絶対的になくてはならない偉大な存在のことをいうのです。そして人間の陰徳は、この陰ながらの取り組み、つまり当たり前すぎてわからないほどの存在に取り組むことで磨かれていくのです。

例えば、人間が本来の里山のような自然と共生する暮らしを実践すれば多くの生き物たちを喜ばせ調和させていきます。調和すれば、そこに和やかな場が生まれあらゆる生命たちが謙虚に活かしあいます。共生の世の中が実現します。こういうものを人間が行うのに、派手に目立つために誰かに見せるためにやっているはずはありません。

本来、人間の精神が成熟してくれば暮らしの豊かさの中でいのちに包まれて活かしあう世の中にありたいと願うものです。それは心の仕合せを生きることであり、心のままに自然体である喜びを感じるものです。いのちが輝き、それ以上のことは必要ない足るを知る世界です。

徳を積むことは、陰徳を磨いていくことです。

最近、色々な人に知られていくことでなんだか勘違いされていきそうな気もしています。人を喜んでもらうこと、いのちを活かそうとすること、世界を美しくしていこうとすることが広がっていくことが望みであり有名になりたいわけではありません。真善美というのは、実は磨く楽しみの本質であり仕合せです。

子どもたちに真善美を伝承していきたいと思います。