近江商人の智慧

先日、近江商人のことを深める機会がありました。三方よしという言葉で有名な近江商人ですが、この三方よしという言葉も昭和のころに言われた出した言葉だそうです。

一般的にはこの三方よしとは、「売り手よし 買い手よし 世間よし」の三方みんなが善しになるように商売を行うという意味です。

近江商人はあくまで近江に拠点を置き、全国各地で商いをしていたといいます。なのでその土地で商いをはじめるにあたり、長い目線で商いができるようにと配慮していたといいます。つまり末永くお互いに商売をするために、その地域に還元するように利益を正しく得て商いをしていたというのです。

現代では、会社とお客様との関係だけで商売が行われることがほとんです。地域への還元というとその中の一部の会社だけが行われ、地域活動はほとんど行政などの自治体が行われています。しかしかつての日本は、地域活動や奉仕は商売をする商人たちが中心になって行われていました。

治水や橋をかけたり、また森を育てたり、灌漑設備を整えたりもすべて商人たちの利益から還元されていきました。つまり、商人が得た利益は私物化せずにそれはきちんといただいた場所や社会に還元するという意識が当たり前にあったのです。これを商人道としたのです。

近江商人は特にそれが家訓をはじめあらゆる意識の中の基本に根付いているように感じます。いくつかの家訓を観ても、例えば「義を先にすれば、後に利は栄え、富を好とし、其の徳を施せ」というものがあります。先義後利栄ともいいます。また「商売が繁盛して富を得るのは良い事でその財産に見合った徳で社会貢献をすることが重要である」という好富施其徳といいます。

そのどれもがとても長い目で観て、永続して商いができる道を模索していき産み出されてきた家訓と生き方なのでしょう。

これからの時代、先人たちの智慧に倣い、企業がその地域の徳を甦生させていく必要を感じます。これは税金の使い道がどうこうという話ではなく、みんなで本来の商いの道に原点回帰する必要を感じるからです。

如何に地域に還元していくか、そのために利益を正しく設定していくかは具体的な陰徳善事の奉仕によります。みんながそうやってそれぞれ地域で長い目で観て陰徳を実践していけば日本だけではなく世界はより末永く平和が持続して真に豊かな暮らしを享受されます。

子どもたちの未来のことを考えて、今居る場所から易えていきたいと思います。

伝承の場

先日、ある方から鏡の話を聴きました。鏡というのは、カタカナではカガミとも書きますがこのカガミの「ガ」が取り除かれたらカミになるという話です。日本では、天照大神が三種の神器の一つとしての初心に八咫鏡を伝承し神代より私たちには特別な存在として認識されています。

この八咫鏡は、古事記には「高天原の八百万の神々が天の安河に集まって、川上の堅石を金敷にして、金山の鉄を用いて作らせた」とあるので「鉄鏡」ではないかとのことです。この鉄鏡を磨き上げて美しい鏡をつくったのかもしれません。

鏡には現実として、磨かなければ錆が出たりして曇り澱んでいきます。常に美しく透明であるためには、鏡面をしっかりと整えていく必要があります。そうやって手入れをし続けてこそ鏡はありのままの現実を映すことができるのです。

そして人間の心をこの鏡と見立てる場合、この鏡がいくらありのままの真実を映したとしてもそれを観る人間の心が曇り澱んでいたらそれが明瞭に映ることはありません。つまり真実が映らないのは鏡の問題ではなく、自分自身の心の問題であるということです。

人間は不思議なもので、ある人にはこの世が美しく鮮明にいのちの楽園のようにキラキラと輝いで観えます。またある人には、殺伐とした無機質の味気ない荒野のようにも見えています。同じ人間が同じ風景を見ても、これだけ世界は異なって観えているのです。

この世界の見え方は、そこに「我」があるのがわかります。人間は生まれたての時、そして死ぬ寸前にこの我が離れてあるがままの状態に回帰しているとよく言われます。我から離れて執着を手放し、澄んだ状態になるというのです。その時、まるで神様のように神々しく観えるとも言われます。

本来、私たちは自然の一部として何の刷り込みもなく余計な知識もなく地球と喜び自然と一体になっていれば心の曇りや澱みはあまり発生してきません。そこから離れて我の世界に入っていくことで、心の中にあらゆる執着がこびりついてくるのです。

かつての先人たちはその道理を知り、その穢れを祓うためにあらゆる工夫を暮らしの中に施していきました。そうやって親祖の心のままに生きていこう、天照大神のような心を持てるように精進していこうとしたのです。

いつの時代もまた、私たちは同じ悩みと苦労で現実に立ちます。この今、此処をどう生きていくか。常に向き合いながら歩んでいきます。心をどう磨いて透明にしていくか、そしてどう日々に心のお手入れをして整えていくか。

子どもたちには、一つの生き方としての伝承の場を遺していきたいと思います。

 

当代の責任

歴史的な遺産に出会ってみると、これが千年以上も遺るというのは本当に偉大なことだと感じることがあります。よく考えてみると、今も遺って私たちがそれを体験できるということはそれだけの苦難の歴史の乗り越えたという証明でもあります。

当たり前に観光で観ていますが、よくぞここまで遺っているというものの見方もあるように思います。これは大木だけではなく、枝垂れ桜のようなものであったり、建造物であったり、伝統工芸や神楽なども同様です。何度も失われそうになったのに、その時々にそれを守り抜いた人たちの努力の結晶があるのです。

奈良にて興福寺の近くを通りましたが、この興福寺の五重塔も苦難の歴史がある建物です。

この五重塔の歴史は古く奈良時代興福寺が藤原家の氏寺として発展を遂げる中、有力貴族である藤原不比等の娘で、聖武天皇の妻だった光明皇后の発願で天平2年(730年)に創建されたことにその歴史は始まります。この光明皇后は以前、ブログで東大寺の蒸し風呂を提供したことを書きましたが観音様のような生き方をなさった伝説の方です。

五重塔はその後5回に渡り、焼失と再建を経ています。現在の塔は室町時代の応永33年(1426年)頃に再建されたものです。約600年近くはこのまま私たちが観ているままに存在しているということになります。実際には、室町時代の他の寺院が再建に対して縮小する中でこの五重塔だけは大きくなって再建されたといいます。

今では信じられない話かもしれませんが、明治のころの廃仏毀釈では25円で売却され解体寸前までいったという話もあります。他にも戦後は観光の建物として上部を展望台にして有料で開放していたともいわれます。

その時代時代の人間の都合で、歴史的建造物は何度も危機に遭います。しかしその都度、心ある人たちが初心を守り、その文化遺産を甦生させていくことで子孫たちはその歴史を心に甦らせて新しくしていくことができるのです。

私たちは時代を生きている存在です。

この時代に何を大切にしていくか、そして何を磨いて甦らせていくかは、その当代の人たちの生き方が決めます。大切なものを守るためには、時代の変化にも対応していく必要があります。守るために変化するのは、私たちの責任なのです。

子どもたちのためにも、当代の責任を果たしていきたいと思います。

 

着物の生き方

昨日、着物の話をお伺いする機会がありました。西洋の洋服は肩で着る感じですが日本の着物は腰で着るという話です。また自分の身体に触れながら確かめながら行うので自分のこともよくわかり体形に合わせて着るというのです。

それだけ自分というものを学びながら着るということですが、これは日本の伝統の道具なども似たような感覚になるのがわかります。

私は先人の智慧を尊重する暮らしをしていますから、食事を準備するだけでも竈をはじめ包丁研ぎ、鰹節削りなどすべて感覚を使うものばかりを使います。これは自分というものを理解しながらでなければ道具を活かせません。

現在の道具は、人間力や感覚を使わなくても道具だけで完結してしまうものばかりです。炊飯ジャーをはじめ、セットさえしてしまえばあとは全部道具がやります。包丁なども研がなくていいものですし、鰹節においては削られたものが真空パックに入っていますから削る必要もありません。

しかし日本の道具は、人間の方が研ぎ澄まされていることで相乗効果が発揮できるものでしたから自分自身を磨かなければ道具一つ扱えなかったのです。私たちは、自分を道具で磨きながら年相応に、体力相応に、自分の老いや病気などと向き合いながら力の加減やかかわり方の具合などを調整していきました。

つまり自分というものと外との関係性をうまく調和させていったのです。力の抜き加減や、気の配り方などもまた道具との付き合いによって学んでいきます。道具の方を変えるのではなく自分の方を変えて対応していったのです。

今は、道具の方を変えて誰でも使えるようにしていますが確かに便利ですがそのことで失ってしまったものがあることも事実です。本来、善い道具はすべて私たち人間を磨いてくれます。人間性を高め、精神性を豊かにし、感性を研ぎ澄ましてくれます。自然物で円熟しているものであればあるほどに、魂がととのうのです。

暮らしを通して私たちは、真の豊かさを学んできました。それは時代が変わっても、いつまでも心や魂に刻まれているもので本能は忘れることはありません。風土と一体になった文化の美しさは、この磨き上げられてきた時間や時空、その場に留まっていることでより実感できるものです。

子どもたちに、どこまでは便利でどこまでが不便がよいのか。その両輪の中心が腰に据わるような着物のような生き方を伝承していきたいと思います。

智慧の本体

私たちは先人の智慧をたくさんいただいて自国の文化を築き上げています。その先人の智慧は、先人たちが残してくれたものですがそれが今でも私たちが身近に活かすことができるのはその時代時代の人たちがその智慧を磨いて甦生させてくださってきたからです。

そうやってその時代にその時代の最先端と融合させていくことで、いつまでもその智慧が錆びないようにまた風化していかないように甦生させていくのが私たちの世代の使命でもあります。

古いものと新しいものの融合は、その世代の責任として果たしていく必要があると私は思います。それを新しいだけ、古いだけにしてしまうのは時代が繋がっていきません。私たちは今もこれからもこの地球で安心して道を歩むことができるのは、偉大な先人の恩徳をいただいているからです。その恩徳に報いることは、その先人の智慧を甦生し磨いて子孫へ繋げていくことで実現するように思います。

私たちは、どんな小さな生態系であれあらゆる繋がりの中で循環しているものです。生態系の循環が途切れるとき、それは滅亡するときでもあります。滅亡しないように私たちはその生態系の一部としての役割と責任を果たしその智慧を繋いでいくのです。

現代は、あらゆるものの繋がりが断たれている時代ともいえます。お金にならないもの、経済的ではないもの、効率的でないものはほとんど捨てていきました。そのための法律をつくり、そのための正当な理由を学術的に発表し、かつての智慧は目には見えない非科学的な迷信として切り捨てていきました。

その結果として、先人の智慧が消失するだけでなく生態系の循環まで途絶えさせていきました。そのツケが、環境汚染や気候変動、天変地異などによって人類に酷い影響を及ぼしはじめています。

生態系というものは、めぐりめぐってまた振り出しに戻る中で永続する生命を維持する仕組みです。それを別の言い方では、暮らしとも言います。この暮らしを守るために私たちは智慧を働かせていく必要があります。そのためには伝統と合わせて先進技術も磨いて融合させていく実力が必要です。

私が伝統と合わせてブロックチェーンと融合させているのもまた、生態系を守るためであり、恩徳の循環を自然と共生しながら永続する仕組みを甦生し続けていくためでもあります。

こういうことは目先のことだけをやっているのではやれませんし、ただ長期的なことだけをやっていてもやれません。まさにそのちょうどいいところ、その中心、真ん中を捉えなければできないことでもあります。

しかしそれこそ先人の智慧の本体であり、私たちは先人を尊敬しそこに当代として挑んでいく必要があるのです。私は別に伝統工芸の家に生まれたわけでもなく、仕事も伝統文化に関することをしているわけではありません。ただ日本人であるだけです。

子どもたちに日本人の魂が繋がり続けて生態系が活性化し循環が促進されさらなる繁栄と弥栄の未来が続くように引き続き暮らしフルネス™を実践していきたいと思います。

 

暮らしフルネスの役割

国内総生産のGDPというものに替わる概念として国内総充実のGDWという言葉があります。このGDWは「Gross Domestic Well-being」の略称です。具体的には物質的な豊かさだけでなく既存のGDPでは測ることのできなかった「精神的な豊かさ」(主観的ウェルビーイング)を測るための新しい尺度のことを言うといいます。

GDPの方は、「Gross Domestic Product」の略称で国内総生産のことです。これは一定期間内に国内で新たに生み出されたモノやサービスの付加価値のことをいいます。シンプルに言えば、指標のプロダクト主義からウェルビーイング主義への転向といってもいいかもしれません。

今までは物質的な豊かさを生産することが幸福の指標としたものが、これからは精神的な豊かさ、心の満足度や充実度を幸福の指標にしようとする考え方へとシフトしようとする概念です。

もともとこの考え方は経済指数を示す国民総生産(GNP)よりも国民総幸福量(GNH)を重要とするブータンの提唱によって世界で意識されていきました。資本主義的な経済価値を求めるGNPやGDPではなく、国民の心理的な「幸福感」「充実感」などを示すものにGDWを活用していこうというのです。

よく考えてみるとすぐにわかりますが、人生は決して物質的なものだけが膨大に増えてもそれですべてが手に入って満足しても充実するとは限りません。例えば、皇帝や王様などすべてが物質的に手に入っても本当の意味で幸福ではなかったという歴史の話はたくさんあります。心の渇望を物質で満たせても、それは一時的なもので永続するわけではありません。物をただ多く持つことはかえって幸福度を下げてしまうこともあるからです。

だからこそこの時代、従来の豊かさで得られなかった真の幸福とは何かを問い始めたということでしょう。人類がいつも青い鳥を探しているのはむかしから何も変わらないものです。

改めてウェルビーイングを調べてみると初めて言及されたのは1946年です。これは世界保健機関(WHO)設立にあたって考案された憲章にこう書かれました。「Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.」と。これは意訳ですがこれは真の健幸は、病気や弱っていないとかではなく、精神的にも社会的にも「全体として快適で充実している」ということだとおおよそ定義しました。

もっと簡単に言えば「人生においての居心地の善さ」といってもいいかもしれませんが一人ひとり、その人がその人らしく生きられる世の中になっていて、それが全体快適になり人類全体で永続する暮らしを味わえる状態になっているということでしょう。これは平和な社会と平和な暮らしの実現でもあります。

この問いはそもそも人はなぜ生まれてきたのか、何のために生きるのか、ふと立ち止まってみるとすぐに誰もが考えるものです。本当は、この地球に生まれてきてから私たちは真の豊かさを備わって誕生してきました。足るを知る世界に入るのなら、誰もがその幸福に気づくものです。

しかしあれが足りない、これが足りないと、わかりやすい成長と繁栄ばかりを追い求めてきた結果として自然環境が人類の都合で悪化し、空気や水やその他の暮らしのリズムなど、当たり前に存在してきた偉大な幸福も急激に失われているのが現状でもあります。

今、まさに人類は世界の中で真の豊かさについて議論をしだしたということでしょう。人類は、今、大事な分水嶺にいてその「選択」によって未来の子どもたちに影響を与えます。今の世代の責任として、子孫のために何を選択していくか。それが問われているのです。

もともと日本人の先祖は「和」を尊びました。私たちは今、世界の一部としての日本となりました。世界は様々な文化と融和し、新しい世界を切り拓いています。だからこそ日本から私たちは真の豊かさを発信する必要があると思うのです。それが私たちの役割であり、世界に貢献できる真のウェルビーイングの定義の提唱になるのです。

世界が一つになっていくからこそ、この問題は人類は決して避けては通れません。日本から何を伝道していくか。まさに今こそ、私たちはこの問いに正面から向き合い発信していく責任を果たすべきでしょう。

子どもたちのためにも、概念論だけではなく実態をもった智慧を「暮らしフルネス™」を通して引き続き実践していきたいと思います。

微生物との共生

駆虫薬の歴史のことを調べているといろいろなことがわかってきます。昔はといってもまだ100年未満ですがその当時はさまざまな寄生虫の問題がありましたからそれぞれに虫下しといって薬で駆虫をするのが当たり前だったのがわかります。

最近、そんなに駆虫薬や虫下しの薬を服用する機会もなくなりましたが改めてその辺のことを少し調べてみたいと思います。

この駆虫薬(くちゅうやく)は寄生虫を殺すか体外に排出するために用いられる薬の一種のことでそれを別の言い方で虫下し(むしくだし)といっていました。 日本では、昔からセンダンなどの植物やマクリ(カイニンソウ)などの紅藻が虫下しとして利用されてきたことが有名です。

人につく寄生虫はわかっているだけでも約200種類、日本でも100種類程度あるようです。しかし実際にはもっと多い寄生虫が世の中には存在しているといいます。この寄生虫は、原虫という顕微鏡でしか見えないものと、ゼン虫という人の目でも確認できる大きさのもの、そして人の体の表面に寄生したり、毒物によって危害を及ぼすノミやダニ、シラミなどに分けられるといいます。

実は日本は戦後は、寄生虫大国で人口の8割を超える感染率でした。それを撲滅するためにあらゆる虫下しや予防が行われました。思い出してみると、幼いころはギョウ虫検査をしていました。そして虫下しにチョコレート味の薬を服用していた記憶があります。現在は、経済発展により下水道やトイレなどの衛生環境の改善や、化学肥料の導入、診断や治療の進歩によって寄生虫感染者は激減しているといいます。しかし世界では寄生虫による病気はまだまだ多く今でも世界の人口の約4割がかかっているといいます。

そして現在でも、寄生虫は、サバやイカなどの魚介類、豚肉、生野菜など、あらゆる食べ物に潜んでいますから加熱処理や冷凍処理、食事前の手洗いなどを気を付けるしかありません。と一般的には、寄生虫の中の悪い側面には駆虫薬が必要です。

しかし以前、「カイチュウ博士」として知られる藤田紘一郎さんのことを調べたときに微生物や回虫が人体に好影響を与えていることを知りました。全部を駆除するのではなく、調和する方法を考えることもまたこれからの寄生虫とのかかわりになっていくように思います。

イベルメクチンも放線菌という微生物からいただいた智慧での治癒薬です。微生物の世界を学べば学ぶほど、排除するのではなく尊重することの大切さ、生態系というものの真理があることがわかります。

子どもたちのためにも、どうやって人類が今まで生き延びてきたのかを嘘偽らずに伝承していきたいと思います。

微生物のおかげ

最近、コロナの治療薬の候補にもなっているイベルメクチンのことを深めていますがこの薬の発見にまつわる話に非常に興味がわきます。

このイベルメクチンは、熱帯の寄生虫病の特効薬として年1回の投与で3億人以上を失明の危機から救ったといわれます。この薬の発見は静岡県伊東の川奈ゴルフ場近くで採取した土から生まれれました。約10万種近くという膨大な数のサンプルの中で、実際に駆虫の効果が認められたのはこの大村博士がこの採集した微生物(放線菌)だけだったといいます。

まさにこんなことがあるのかというほどの衝撃であり一期一会の奇跡の出会いです。その御蔭で世界中の人たちのいのちが救われています。この世紀の微生物を発見した人こそ、ノーベル医学生理学賞を受賞した大村智・北里大特別名誉教授です。

大村博士は1935年に山梨県北巨摩郡神山村(現・韮崎市)に誕生された方です。山梨大学を卒業後、上京して夜間高校の教師になるも一念発起して学問の道へと進みます。そして『生命誌ジャーナル』のロングインタビューでもこう書かれます。「昼間は大学で勉強、夜は高校に行って授業をし、土日は徹夜で実験という毎日。資金が足りない時はアルバイトで時間講師もやりましたよ」そして人の真似をせず、研究費は産学連携を通して自分で稼ぎその研究で奇跡の発見をしノーベル賞まで受賞するという異色ずくめの方です。これはもう単に偶然ではなく、努力による実力であることがわかります。

そしてメルク社と交渉し、その当時3億円での提示を突き放し200億円で商談を成立させます。それを北里研究所の立て直しにつぎ込み、構造改革、人材育成に取り組みこの当時、赤字続きで経営難だった北里研究所を金融資産230億円以上の黒字施設にまで回復させています。経営感覚も大変鋭く、人材育成にも長け、もはやコンサルタントです。これはご自身の生き方から磨き上げられた感性だからできる産物であることもも感じます。世間一般的な専門家ではなく、もはや歴史の偉人、上杉鷹山や二宮尊徳に通じるものを私は感じます。さらに医薬品研究者が一生涯に一つくらいといわれているものを26も成功させているともいいます。

話をイベルメクチンに戻しますがこの世の中の微生物(放線菌)で私たちが薬にまでできるのはわずか地球の1パーセントほどしかありません。それを地道に土壌の中から採取し、それを培養して効果を一つずつ時間をかけて試験していきます。地球上の身の回りのあらゆる土の中にはあらゆる微生物がいますが知られていないだけで人体に悪影響のあるものもあればその逆に人体に善い影響を与えるものがあります。これが先人の発見した「腐敗と発酵の原理原則」であり、例えばコロナウイルスのようなものもあればこの放線菌のようなものもあるというのです。人間は、ここから大切なことを学ぶ必要があると思います。大村智先生の言葉にもこうあります。

「私の仕事は微生物の力を借りているだけ。私自身がえらいものを考えたり、難しいことをやったりしたわけではなくて、すべて微生物がやっていることを勉強させていただいたりしながら、本日まで来ている。そういう意味で本当に私がこんな賞をいただいていいのかな、と思います」

そして今もこう言います。

「人のために少しでもなにか役に立つことはないか、微生物の力を借りて何かできないか。それを絶えず考えております」

その想いに微生物も力をお貸ししてくださったのではないかと感じます。日本人は自然と共生し謙虚に今まで暮らしてきました。まさにそこに先人の智慧があり、私たち人類が永続した暮らしができる秘訣があると私は信じています。

私も微生物を尊敬し、微生物を深く愛していますからまた微生物の力をお借りしてこのコロナの世の中で大切なことを学び直していきたいと思います。子孫のためにもこの出会いに感謝しています。

 

繋がり続ける

この世にあるものはすべて繋がっていくことで捨てることがなくなります。捨てるというのはつながりを切ることであり、繋がり続けるものは捨てることはありません。実はこの世のゴミ問題を含め、人類が今、真の豊かさから離されていくのはこのつながりを切る仕組みが世の中を席巻しているからです。

特に現代は、お金によってつながりが切られます。または常識やルールによって切られることもあります。本来は途切れていないものを契約や条件などを使って切り捨てることで繋がりを分断していくのです。

私たちは本来は、一つに繋がっている存在です。それに国境を定め、あちらとこちらと分けることで繋がりを分けていきます。繋がっていることは切られることの前提になってしまえばこの世のつながりはとても希薄なものになります。

もともと一緒一体に繋がっていると実感できるとき、人は自分の根に気づくことができるようにも思うのです。そのためには、繋がりを結び続ける必要があります。

たとえ、今の世の中が繋がりが激しく切られ分断する世の中であってもそれ以上に繋がりを結び続ければその糸は次の世代に託されていきます。

そうやって今までも先人たちが繋いできてくれたからこそ今の私たちがあるのであり、これからも先人たちと同様に私たちは繋がりを結び続けていく使命があります。

本来、この世に捨てるものなどもなくゴミなどもありません。そのどれもがご縁を結んでいる存在であるという事実があるのみです。

子どもたちには、結び目を切っていく姿を見せるのではなく繋がりを結んでいく姿を遺して譲っていきたいと感じます。一つ一つのつながりを甦生させ、そのつながりの養分が次世代へとしっかりと伝承していけるように暮らしフルネス™を実践していきたいと思います。

奇跡を磨く

人間は、自分が完全であるものとして認識するためには今までの環境で得てきた刷り込みを取り払う必要があります。様々な環境の影響を受けて、私たちは教育などによって自分というものが何か不足しているものだと感じるものです。

言い換えれば、足るを知らないというかないものねだりをするものです。ないないと求めているからあるものを観ようとしなくなるともいえます。人はあるものを観るとき、自分に与えられているものを感じるとき十分に与えられている仕合せを噛みしめ味わうものです。

人は誰もが、失ってみてわかるものばかりです。ある時はあれだけ当たり前だったものも、なくなってしまえばその大切さに気付きます。だからこそ、なくなってから気づくのではなくあるときに気づくことの方が重要になっていくように思います。

それは感謝を磨いていくことで実感できるようになると思います。

有難いという言葉は、滅多にないという意味でもあります。つまりは奇跡そのものであるということです。つまり奇跡ですと日々に感謝しているという状態です。

今の自分が存在することも奇跡ですし、こうやって日々に暮らしができることも奇跡、この地球に来て様々な感情を味わうことも奇跡ですし、またいつかは生まれ変わり永続していくことも奇跡です。人生は奇跡によって彩られているからこそ、私たちはその奇跡を感じる感性を磨いていく必要があると思います。

奇跡を磨くためには、感謝を磨くことが一番です。

その方法は、非常にシンプルであり生きている奇跡、そのご縁に感謝することです。人は生きていれば、日々に微細な小さな変化の御縁と出会います。例えば、美しい風景、動植物の音色、光が物に映る陰影、そして生活の気配、あらゆるものの存在の中にいのちを感じるものです。

そういうものを深く味わい、そのご縁に感謝します。どれもが、当たり前ではない多くの物語を持っていてそれを感知していくことで自分の与えられているいのちの意味に近づいていきます。

かつての日本人はいつも「天」という意識を持っていました。天に恥じない生き方、お天道様にお任せする生き方のことです。天に問うとも言いました。あまり自分で判断せずに、天にお任せする生き方こそが気楽な生き方でもあり、そこはもうすべてお任せするという喜びがあります。

奇跡を磨いて子どもたちに豊かな未来をつないでいきたいと思います。