自己陶冶

『陶冶(とうや)』という言葉がある。

「陶」というのは、焼物を造るという意味。
「冶」というのは、冶金の冶で金属を精錬するという意味だ。

つまり土を練り焼いて陶器を造り、鉄を鍛えて鉄器を造るということだ。
幼児教育にはこれが必要だと師匠は仰っていた。

保育・教育は陶冶に繋がっているのだ。
人間も焼きを入れ鍛えることがなければ立派な人になるはずがない。

如何に優秀な大学を出て最高の教育を幼児期から受け続けたとしてもその後の自己陶冶の心構えがなければ大成することはないと思う。

陶冶というのは道を求めなければ手に入れれるものではない。
どんなに環境が不満でも劣悪でも自己陶冶の生き方をしていれば教育どうこう理由は関係なく必ず良い方向へ導かれていくのだと思う。

自己陶冶を目指さないといけない。

もっと土を練り、しっかり焼いて、鍛えて形にしていく気概を持ち自己陶冶をしていこう。
子どもたちの未来の手本となるような「大人の姿」を見せていこうと思う。

  1. コメント

    社会に出て勉強することのほうが多いと感じているのですが、学生の時は人間の基礎を学ぶだけのものなのかもしれないと今では思います。
    これから沢山学ぶことがあり、努力を怠らないようにしていき、子どもたちのお手本になるように、恥じることをしないように毎日過ごしたいと思います。
    禁煙の場所でタバコ吸っている人を見かけたが見てみぬふりをしてしまったことがあるので、注意するのは勇気がいることですが、だめなものはだめだと注意できる人間になれるよう見かけたら注意できるようにしたいと思います。

  2. コメント

    仕事において結果を残そうと自分から離れた物的産物を残そうとするがそれもモノに
    頼ろうとしているのではと思います。何を作るでもその前に自分の心構え、臨み方が
    どうであったのか、自分を見つめ直して自分を成長させていく生き方をしていくこと
    をしていきたいと思います。何かを覚えることに力を入れる様な学び方ではなく、
    自分が一つでも多く事を身に付けていくことで教育の刷り込みを自分から変えていき
    たいと思います。

  3. コメント

    何をもって立派とするのか考えさせられます。人よりも何か多く出来るから立派なのか、知識が豊富だから立派なのか、それが正しい答えとはやはり感じません。生まれてこれた事への感謝を忘れずに、自分の為ではなく周りの人の為に生きていくということが大事ではと思います。又自分が歩んでいきたい道をしっかりと見つけその中で自分自身にしかできない事を考え、その中で自分自身を磨き上げていくという事が大切ではないかという事を改めて感じます。

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