似て非なるもの

古いものを磨いて新しくするのと、新しいもので古いものをつくるのとではその内容も中身も異なります。例えば、私は古民家甦生という言い方をしますがこれは単に古民家風にすればいいのではなく昔からあるものを大切に活かしつつ、それを捨てるのではなく磨き直して手入れ修繕をし暮らしに活かすということです。

先日も、古民家風のレストランや古民家風居酒屋、古民家風町家にいきましたがこれは古民家ではなく、あくまで古民家風です。この古民家風というのは、建物や外観、見た目は古民家そのものですが使っているものはほとんどが新品で、現代のものばかりで構成されます。

例えば、レトロ調やアンティーク調はレトロやアンティークとは異なるのはすぐにわかります。見た目を誤魔化す技術は本物そっくりにしますから、歳月を待たなくてもまるであるかのような塗料やプリント技術で似せてきます。それだけ今は見た目のところを取り繕う技術が発展しているのです。

しかし似て非なるものという言葉もありますが、本物と本物風は同じではなくそれは佇まいに顕れるものです。古民家甦生は暮らしの実践が欠かせませんから、その手間ひまや修繕、手入れ、磨きによって空間に民家の醍醐味が入ってきます。結果しかみない世の中になってきていますが、そのプロセスにどれだけ精魂を込めているかは空間の中に積み重ねられていくのです。

見た目では誤魔化せないというのが、実践であり実績です。どれだけの歳月を磨き上げてきたか、どれだけの経過を改善し続けてきたか、それが見た目にも顕れるときそれが本物になります。

安く早く簡単便利にという価値観が横行すると、見た目だけ誤魔化せばいい技術が蔓延しますがメッキは剝がれますから結局誤魔化し続ける努力をしなければならなくなります。そうであるのなら、素材を本物にしそれを磨き続ける努力の方がやっていて楽しいものですし、何より自分自身が成長していく実感も味わるように私は思います。

古民家甦生はどれも地味なことばかりですが、それを継続していくことで本物の薫りを醸成していきます。

引き続き子どもたちのため、郷里への恩返しのために一つ一つ丁寧に実践を積み重ねていきたいとおもいます。

 

  1. コメント

    「〇〇風」ということに関しては、「見せる側」の誤魔化しもありますが、「見る側」が最初からそこまで求めていないという現実もあるでしょう。あまりにも忙し過ぎて、あるいは、急ぎ過ぎて、「とりあえずで済ます」という発想が結構染み込んでいます。「丁寧に積み重ねることの価値」を味わう余裕のなさが、「ほんもの」の豊かさを思い出す機会をなくしているのではないでしょうか。

  2. コメント

    職人さんが言っていた「見る人が見ればわかる」という一言に、どれだけ本物に近づけたとしても、それは決して○○風は超えられないことを感じます。そしてこれまで自分自身が見てきた古民家だと思っていた古民家風だったのかもしれず、本物に接しないとそれすらわからないことを実感します。本物を子どもたちに伝承していけるよう、自分自身が実践を重ねていきたいと思います。

  3. コメント

    知っているのと実践しているのとの違いや、体験したことがあるというのと、暮らしているのとの違い。そのことを語るにしても、そこには違いがあるのだと思うと、どうしても言葉には生き方が表れるのだと思います。知った気にならず、分かった気にならず、今をただひたすらに、受け止め、受け入れ、歩みます。

  4. コメント

    時の積み重ねの大きさというものを、出逢った職人の方々の生き様から感じることが出来たおかげで本物の意味が少しずつわかり始めたようにも思います。井戸の一件からも、もしそもそもの目的を見失えば全くの別の取り組みになってしまったかもしれません。何のためを忘れずに実践を積み重ね本物に近づいていきたいと思います。

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