粉の甦生

最近、製粉のことを改めて深めていますがこの粉の歴史はとても見応えがあります。一つの技術革新までに数千年から数百年をかけていきます。そもそも雑穀を粉にするというだけでも人類史上の大発見でしたがそれをどのように加工するのかに至るにはさらなる大発見があったのです。

例えば、最初は人類は単純に穀物を「叩いて」、割るということからはじめました。そのうちに「擂り潰す」方法に変わります。

製粉用の道具も最初は紀元前4000年頃の古代エジプトで使用されていたサドルストーンで、これは擂るという前後運動によって製粉しました。そして石臼に変わっていきますがこれは紀元前1000~500年頃で、回転式になってロータリーカーンとよばれました。最初の道具から3000年を経て石臼に変わり、その石臼から2000年経って現代のロール式製粉機に変わります。現代では、大量生産しかつあらゆる粉砕の方法が科学的に進歩しています。昔ながらの杵を使う仕組みの胴づき粉砕機や気流粉砕機なども発明され、それぞれのメリットもデメリットもありますが製粉はまだまだ改良され続けています。

そもそも粉の文化というのは、あまりにも奥深く簡単に書くことはできません。粉にしようと考えてから人類はどれだけのことを発展させてきたか。陶芸にはじまり絵具をつくり、薬にしたりと用途は無限に広がっていきました。今でも大きな恩恵を受けています。

この粉には用途に合わせて粉砕技術の革新は目まぐるしく、今では粉の大きさやサイズまで光などを使って分析できるほどになっています。

しかし実際に粉というものを活かすためには、ただ小さいだけでもなく凹凸を調整するだけでもなく、そこに素材との相性やそれぞれの環境や気候に合わせる工夫が必要です。ある意味、それぞれの人が石臼で取り組んでいた多様性が失われて統一されてきましたからある高さまで技術革新が生まれればマイナーチェンジを繰り返すようになるのは自明の理です。

最後に、先ほど書いたロータリーカーンは西洋で完成された形態だといいます。それに対して漢代の中国では、石磨臼といい「碾磑」(てんがい)が広く普及していたそうです。

この碾磑は、大宰府の観世音寺に遺っています。そこには「観世音寺の前に、むかしの石臼とて、径三尺二寸五分、上臼厚さ八寸、下臼厚さ七寸五分なるあり。是は古昔此寺営作の時、朱を抹したる臼なりと云。」(『筑前国続風土記』「巻之七御笠郡上。観世音寺」貝原益軒・寛政十年一七九八)とあります。

身近な製粉の歴史を実感できることは仕合せです。色々と製粉を通して人類は素材をどう活かしてきたか、色々と深めてみようと思います。

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