大和への回帰

戦前戦後に、言論統制や公職追放が行われたということはあまり私たちは意識しないように思います。実際は、戦争とは一部の人達が強烈な力によって何かを抑止して働かせていくものです。

人の命を奪い合うことを国民が望むはずもなく、国家のためにと全国民が戦争に協力するということを行ったのは後にも先にもないことだからです。

実際には、戦前も国家の優先する思想に反する人たちは憲兵が監視したり投獄したり追放したりと様々に迫害され、また戦後もGHQから厳しい言論統制や思想管理が行われ約20万人以上が公職追放といって社会から隔離されました。

私たちがそれまで大切にしてきた文化や思想、また受け継いで継承してきたものもそこで一度否定され、私たちはその否定の上に今の暮らしを創っていったのです。

先日、一緒にお仕事をする方から古事記のお話をお聴きしました。

そこには、西洋では「つくる」という考え方が根底だけれど、東洋には「なる」という考え方が根底にある。古事記にはその「なる」という自然の言葉で形成されているということです。

そう考えてみると、自然になるというものはそこに感謝が根底にありその感謝の上に私たちの暮らしを敷いていたということです。これは言い換えれば、恩返しをしようと日々に感謝で生きてきたのが私たちの思想の中心にあったということです。

社会の根底を何に据えるのかというのは、その国の文化の根源になっているように思います。いくら何かをしたからとなくなるようなものではないことを証明することは、この日本がいつまでも世界が尊敬するような道徳心を失っていないからです。

有事のとき、日頃忘れていても必ず思いだし私たちは思いやりを通して助け合おうとしていきます。その時の私たちの根底には大和の精神があるともいえます。その大和の心をどのように日頃から使い暮らしていくかを大切にしてきたのが私たちの生活であり政治であったように思います。

吉田松陰の草莽くっきとは、そういう根から湧き上がってきたものでこの国を豊かにしていくという民草の精神のことを説いたのかもしれません。自分の中から出てくる大和の心がなっていくのを育成し、日々の大和への回帰を楽しみたいと思います。

  1. コメント

    「つくる」という発想には、つくり手があり、目的があり、つくられる対象とそのカタチがあり、そこには自由感があります。一方、「なる」という発想には、初心も精神もすべてが自ずから内包されており、そこには理想に限りなく近づこうとする主体的な意思があります。私たちは、新しい日本をつくるのではなく、日本そのものにならなくてはいけないのではないでしょうか。

  2. コメント

    昭和から平成に移り、『史記』五帝本紀・『書経』大禹謨から「内外、天地とも平和が達成される」と込められ、元号を見ると何を大事にしたいかが現れているように感じます。過ぎたことは知らなくていいと分けて平和を願うのではなく、過去の歴史を学ぶことから始まるのかもしれません。一つずつ紐解いていきたいと思います。

  3. コメント

    子どもが主体となる保育とは、『なる』、大人が主体となる保育は『作る』というニュアンスを感じます。無ければ作ればよいのか、無ければそうなるようにするのか。変えるのは、相手か、それとも自分なのか。自然を偉大と感じ、感謝する気持ちが根底の日本人だからこそなのかと、改めて気づかせて頂きました。既に頂いたこの環境にいつも感謝する事を今日から取り組みたいと思います。

  4. コメント

    森信三先生の言葉に「私達のこの五体は、この国土から生い立った樹木のようなもの」とありますが、日本の山河大地が全てを調和して美しさを保ってきたように、私達の心の中にも祖先より受け継がれた和の精神が宿っていることを感じます。一方をかたくなに抑止したり排除するのではなく、お互いの良さを尊重し合い、大自然のように上手く調和することで高め合うのが日本民族の生き方だったはずなのに、個を優先し、競い合い、相手に勝つことを求めている今の社会は、民族としての原点を忘れてしまった不自然な姿なのだと言えるでしょう。
    「子どもたちが安心して成長できるような、和らぎある社会を用意してあげたい!」
    その想いを忘れずに、まずは自分から原点回帰を実践していきます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です