ライフワークバランス~人生の生き様~

ライフワークバランスという言葉があります。しかしこれを誤解して使っている人が多いように思います。ライフとワークを分けてバランスを取ることはできません。それはライフというものは人生のことだからです。

世間ではこのライフワークに対して、ライスワーク(飯を食べるため)と、ライクワーク(好きなことをする)、そしてライフワーク(人生をよりよく生きる)みたいな使い分けをしています。

確かに今の時代は主体性を欠いてしまい積極的に主人公としての自分を持つことができないと、その状況や環境によって自分の働き方のようなものをもってしまいます。当たり前に毎日仕事をしますがそれがその人の人生を次第に決定してしまいます。

太古の昔、仕事という意識ががない時代、人は生きることそのものを心底愉しみました。それは動物たちや植物たち昆虫などのように、天からいただいたいのちを真摯に燃焼して自然体に生きてきました。自分が日々に感じるすべてはそのままの人生そのものだったのです。

それを人生と別の出来事のように仕事を分けたり、立場によって自分を使い分けたりして偏った自分を持ってしまったことでライフワークの様々なことが中途半端になってきたのです。よく働き方について今は議論されていますが、どんな働き方をしているかどうかではなくどんな人生を歩んでいるかで議論していくのが本質的な働き方なはずです。それは働く自分の生き様ともいうべきものです。

相手に合わせて自分を変えたり、立場によって自分を使い分けたり、常識に従って自分を決めたりと自分で自分を誤魔化して周りに合わせてばかりいると本来の自分の人生の実感が持てなくなってきます。

どんな相手にも真心を籠めたり、立場ではなく使命感として取り組んだり、自分に正直に実践を怠らないと決心してはじめて自分の人生を自分の足で歩んでいる実感を持つことができるのでしょう。

ライフワークバランスとは、「人生の生き様」と訳してもいいと思います。

人生の生き様が悪いと思うのなら、そこを直し自然体になるように様々な悪環境を取り除き刷り込みを払しょくしていくことです。生き方と働き方の一致とは、シンプルに言えば「丸ごと人生そのものにする」ということです。

常にどんなこともすべて自分の人生そのものだと思えるか、天から頂いた有難いいのちをどのように使っていくのかを決めるのも自分次第です。かんながらの道の中で真善美を盡すあるがままのいのちの生き様を感謝のままに時に刻んでいきたいと思います。

  1. コメント

    人生には休みもなければ、練習もありません。しかし、「休み」や「休憩」、「練習」といった「本番ではない」という甘えた感覚や意識を、いつの間にか人生にも持ち込んでしまっています。仕事も掃除も食事も、全てが人生の一部であり、人生そのものです。「仕事と思うな、人生と思え」「掃除と思うな、人生と思え」「食事と思うな、人生と思え」と言い聞かせながら、生き様を整えたいと思います。

  2. コメント

    12月に入り、忘年会ということであちこちで飲む姿を見る機会が増えそうですが、何か大切なことまで忘れ飲み明かそうとする酔った姿が浮かび、自分自身も気をつけなければと感じます。一年を振り返ったり、感謝したり来年に繋がるような機会にしないともったいないことをしそうだと感じました。酔っぱらって楽しそうではなく、素の状態で楽しんでいる姿を子どもたちには見せていたいと思います。【●】

  3. コメント

    昨日、お楽しみ会を終え、その後、保護者と子ども達で忘年会をしました。今年からということもあり、初めてお会いする方々ばかりでしたが、また有難い出会いとなりました。そして自分の、親としての生き方を問い直すきっかけとなりました。エゴではない生き方、また、去年の園さんとの忘年会で頂いた言葉。ライトワーク。周りを照らす、そんな生き方を目指して行きたいと思います。

  4. コメント

    子ども社会は大人社会の縮図とも言われますが、大人が仕事と生活を分け自分を偽り誤魔化しながら生きていくように、子ども達もまた学校・塾・家庭…などで自分らしくいることが許されず苦しんでいるのかもしれません。子ども達に身勝手のしわ寄せがいかないよう、憧れや希望を持ってもらうには大人社会が変わらなければならないのだと思います。そのために、目の前の現実の一歩という、自分の生き様から変えていきたいと思います。

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