誇りと自信

先日、あるお客様の内省シートから「仕事に誇りをもって取り組まれているのが伝わってきた」と書かれていました。この仕事に誇りを持って取り組むとは何か、その「誇り」について少し深めてみようと思います。

「誇り」の対義語は「恥」だと言われます。自分に嘘をついたり、自分から逃げて自分に負けると誇りは失われていきます。この誇りとは、「自分は逃げなかった、己に克ってきた」というものが誇りの本質です。そして自分自身が自分のすべてを知っているのにその自分を裏切り妥協することが恥です。そして恥というものは、辞書には「世の人に対し面目・名誉を失うこと。恥ずべき事柄を恥ずかしいと思う人間らしい心。」と書かれています。この恥ずべきことがらがまずわかることが誇りの入口です。

自分自身が真っ直ぐに逃げずに向き合って己に打ち克つ人は、自然に誇りと自信を纏ってきます。逆に己に負けてしまう人は、プライドが高くなり不安を纏ってきます。他人の評価云々ばかりを追いかけるのも恥ということが分からないところが関係します。この恥という字は、耳と心でできています。自分の本心に耳を傾けているかどうか、自分の心が決めた自分に正直に生きれているか、そこに誇りはあります。

仕事に誇りを持つというのは、理念を優先して自分自身を変えてきたという実績です。先日もあるクルーが理念のために自分自身の都合を手放していきましたが、その瞬間からその人が纏う誇りや自信が目に見えるほどに光りはじめます。周りの刷り込みや今までの習慣よりも、自分の決めた生き方や働き方を優先したからこそその人はその恩恵として「誇りと自信」を持つことができます。

誇りを自信を持つ人がひとたび言葉を話せば、その人のように生き方と働き方を変えたいと感化されていくものです。いくら言葉巧みに上手いことをいっても、それぞれ人は己との向き合いの中でしか成長できませんから己に克っている人の言葉はとても勇気になるのです。

特に子どもは正直で、建前と理想をいくら使い分けてもその矛盾にすぐに気付きます。それだけ自分の心に正直に生きているからです。その正直に生きる子どもたちに生き方と働き方を遺すならば、誇りと自信は欠かせない徳目です。それが人間らしい心とも言えます。

人間らしい心は、常に自分の心と正直に向き合いその心に従っていきようとする生き方のことです。自分という最大の敵に先に負けてしまって心をその都度誤魔化して保身や保守ばかりを優先してしまえば、その分また誇りと自信が失われていきます。心を誤魔化さないというのは、ありたい自分、理念や初心を優先する自分でいられているということです。もっとも身近な自分がもっとも自分のことを四六時中観ていますから、その自分と対話して自分に打ち克っていくことで自分だけではなく周りも元気づけていけるのでしょう。

お客様からクルーのことが「誇りを持っている」といわれることほど有難いことはありません。陰ながら自分から逃げずに実践して己に打ち克って努力精進している姿を観てくださった気がして、本当に嬉しく見守られていることを実感しました。きっとこの方もまた、克己復礼に修養を怠らない実践家なのでしょう。御互いの誇りが観えるということは、何よりも強い心の絆になっていきます。そういう絆のある人のことを仲間と呼び、同志と呼ぶのでしょう。

自分自身が自分自身でいられるように、日々の実践を怠らず、理念を優先し、修養の勝負に勝ち越せるように子どものモデルになるような生き方と働き方を追求していきたいと思います。

 

 

  1. コメント

    以前は、「恥ずかしいことはするな」と「卑怯なことはするな」という二つが、人間としての最低限の基準だったように思います。この二つは、世間の目もありますが、「克己」の基準でもあります。「自信と誇り」を失った人が多くなってきたのは、「恥を知る」といったことがわからなくなってきたからかもしれません。人間として「恥ずべき事柄を恥ずかしいと思う心」を取り戻したいと思います。

  2. コメント

    一日を振り返ると、色々合ったことを思い返します。その場、その時は通り過ぎてしまってもあとから思い返すと、きっとこんな意味もあったのだと感じます。自分に打ち克つ日もあれば、負ける日もあり、惨敗のときもあります。振り返ると一番自分がよくわかるからこそ、負けても挑戦し続けていきたいと思います。

  3. コメント

    自分の中にも実は子どもの自分がいて、その子は決して幼いという意味ではなく、とても純粋な自分自身であることを最近感じます。目の前の子どもが理不尽に大人都合で怒られ泣いている姿などをみれば胸が痛みますが、本当は自分の中にいるその子も同じように泣いているのかもしれません。子どもは笑顔が似合うからこそ、もっとその子を大事にしてあげたい。それが目の前の子ども、そしてこの先の子どもたちの為へと繋がる、子ども第一義のある一面なのかもしれないと感じました。

  4. コメント

    なりたい自分を優先するより、頂いている自分を優先することの意味を少しずつ感じています。すでに子どもの頃からカラダも個性も頂いていて、その活かし方も周りがたくさんの機会を使って教えて頂いているように感じます。とにかく、素直にやってみること。自分が嫌がることや、そもそも遠ざかるものにも、目を背けないこと。それは感謝から遠ざかることと自覚し歩みたいと思います。

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