永遠のいのち~ヤマトコトバ~

日本には全国各地にその信念で生き切った純粋な方々の余韻が史跡や行跡、言葉に遺っています。同じように生き方を習い、純粋な真心で生きようとしている方々はその場に遺る余韻に自らを重ね合わせて内省をしているものです。

ヤマトタケルの頃より、様々な大義を持って歩んだ志魂はのちのちの子々孫々へ受け継がれてその真心で生きた人たちによってこの風土は守られてきました。その真心はどのようにして知ることができるか、そこにはそれぞれに遺した詩があります。その詩を感じてみれば、その人の純粋な思いが息づいています。その純粋な思いに触れることで、私たちは何百年も前のいのちとも触れ合うことができるのです。

先日、ヤマトタケルのことを思っているとある方の詩に出会うことができました。

三井甲之という方の詩で、「ますらをの かなしきいのち つみかさね つみかさねまもる やまとしまねを」というものです。感謝の真心でヤマトのクニをいのり、勇気と大義によって己のいのちを賭してきた、その先祖たちの見守りの御蔭様で今の私たちがあるのを実感できる詩です。

詩を読む真心は純粋透明なものであり、その人の経歴がどうかではなく心のままに純粋自然の感覚が言霊になることで本来のヤマトコトバの美しさに出会うように思います。

ヤマトコトバには日本古来の先祖たちの真心が生きています。そこには感謝や御蔭様、あらゆる御縁を大切につむいできた生き方があり先人たちの願った暮らしがあります。今のように言葉が技術になり氾濫する時代において、真心そのままを言霊にした親祖に詩を通してその真心に通じ合えることは今の私たちのルーツを見つめ直すためにもとても重要なことだと感じます。

その三井甲之さんの『墓碑銘-石にしるすことば』というものの中に、「ヤマトコトバ」の本質が記されているように感じここに紹介します。

コノ石ハ
天地(アメツチ)ノアヒダニアリテ
天地ニツラナリテ
ココニアリ。
コノ石ニ
コトバヲシルス。
人ハ死スレドモ
コトバハ生キテ
イノチヲツナグ。
コノツナガリハ
地上ノサカヒヲコエテ
ヘダテナキ宇宙ニヒロゴル
コトバコソ
カギリナキ生命ノシルシナレ。
イマソノコトバヲシルス。
ワガイノチノシルシナリ
ココニシルスヤマトコトバハ。

日本古来のヤマトコトバには永遠のいのちが宿っています。その永遠のいのちはその言霊を語ることにより志が受け継がれていきます。子ども達には一つでも大切なヤマトコトバを語り記していきたいと思います。その魂が生きた証、その志が遺る理由を語り継いでいきたいと思います。

  1. コメント

    昨日の「腹立てずの異見会」を調べていたら、本田宗一郎も参考にしていたという記事を目にしました。源流を辿ると不思議な出会いを感じ、目指しているものに間違いないと確信します。NHKの大河ドラマで「軍師官兵衛」が昨年放映されていました。何で観ていたのだろうと思っていたら、ここに来てその繫がりを感じています。ドラマからですがあの時代の世界観が広がります。100年前、200年前にも目指したものが言葉として遺っているからこそ、目指したものが分からないけど分かりたい、その気持ちを大事に実践していきたいと思います。

  2. コメント

    「ことば」には、ヤマトコトバのように、もともと「いのちの響き」をもって創られた言葉と、その人が語るから「言霊」が宿り、「いのち響き」を持つものがあるように思います。いずれにしても、「いのちが宿っていることば」は、「意味」でもなく、単なる「思い」でもなく、もっと深い深い願いが結晶化した「永遠の愛」を感じます。「天のことば」を伝えるように語れる自分になりたいと願います。

  3. コメント

    氷となったものを胸中の温気によってよく溶かし、もとの水として用いなければ役には立たない、と言われるように、たくさんの機会や御縁を日々いただいていますが、実際に用いることが出来ているのは、まだほんの僅かなのだと思います。考えても思っても温気は高まらず、実践で深めていく必要があることを強く感じています。受け取る側の姿勢が何よりも大切であることを忘れないようにしたいと思います。

  4. コメント

    昨日、10キロを走る中で最後は辛さを感じていたのですが、同時に宮前さんはここから30キロ走ったのか、と感動し、何か魂のようなものを感じて勇気を頂きました。仲間の挑戦は本当に助けになります。しかし、自分を超えて走らなければ、挑戦しなければその言霊に触れることは出来ないのだと学びました。大切にして行きたいと思います。

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