分類わけ

人間は世界というものは、分類わけして整理して理解しています。しかし実際には、分類できるものはなく全ては境界線がありませんし、結ばれ関係を持ち、溶け合っているものです。それを敢えて、分類わけして脳で処理したことで言葉が誕生し、学問が誕生し、科学を発展してきました。

しかし敢えて無理に分類したことから、その曖昧な中間や溶け合っているところが理解できず分類にならないものがわからなくなっていきました。

人は分類できないものを嫌うのは、理解が追いつかないからです。さらに言えば、理解できたというのはどこかの分類に入ったということ。あるいは分類できないという分類にしたということもできます。

よく私のことを分類わけできないと言う人がいます。自分もどの分類のなのか自分でもわかっていません。分類を考えたこともなく、関係性の中で自分のご縁や直観を信じて何でもやりますから余計に分かりづらく感じるのでしょう。全体最適や全体快適などというのもすべてを一つの生命体やつながりのように認識することで余計に伝わりにくいのかもしれません。

よく考えてみると、水とか火とか太陽とか認識していますが本当の存在は認識できていません。わからないものを無理やりにわかるようにしたことで余計にわからないものが増えていきました。特に最もわからなくなったのが原理原則などの根源のものです。

古代人たちはそのわからないものをわからなかったのか。実際には、わかったのならどのように認識していたのかにとても興味があります。そこから自然の織りなす風景が別のものになることや、神秘や未知の出会いに感動することが増えました。

実際には原理原則をはじめ私自身は、「螺旋」やお水が一つの宇宙・生命の根本原理だと直観してそのうえで、流れ=螺旋を生み出す運動、循環=螺旋が繰り返すリズム、場=螺旋が育まれる環境、甦生=螺旋が健全に回復する働き、初心・真心=螺旋を正しい方向へ導く人の在り方などと翻訳しています。

技術にするにはまだまだ探求が必要ですが、場を通して体験できるようにし子どもたちに継承していこうと思っています。

夏休みの探求授業のように、夏は学を味わうとてもいい時間です。

日本的精神と真心の実践

日本的精神を引き続き深めていますが、それは日本人の歩んできた古代からの記憶であり今も続いている道です。その道はどこから探り出していくのか。古の日本を研究する学問が、霊元上皇や国学、水戸学などの流れをつくり尊王攘夷を経て今に至ります。

今ではあまり日本の道は何かなど考える学問がありません。私はそれを「かんながらの道」と名付け二十年前から毎日欠かさずブログを綴り続けています。

そしてその日本の道、かんながらの道は、暮らしの中にこそあるとし『暮らしフルネス』というものを発案し実践して今に至ります。

もともと古代の記憶はどこに伝承されているのか、また先人が何を畏れ、何に感謝し、何を次の世代へ伝えようとしたのかは場や暮らしに継承されています。それを甦生し、その心をもう一度受け取り、今の時代にふさわしい営みにすることで道を甦生しながら共に歩み連綿と続く未来の子どもたちや子孫へこの日本人の生き方を譲り渡していこうとする文明実験の一つです。

日本的精神は特別な何かの抽象的な思想を掲げることではなく、日々の暮らしを通していのちのつながりを日々の所作や実践によって内省し改善を続けるものです。あらゆる自然と混然一体になり、祖先が共に自分の心身と共生していることを自覚し、悠久の循環の中に自分と関係するすべてを丸ごと結び、呼吸するように暮らしを投じていくこと。それを徳循環と呼んでいます。

一人一人が、暮らしを調えて徳を磨いていけば自ずから道は現れます。すべてのものや人との関係性を大切にしていくことで日本的精神は研ぎ澄まされていくからです。

かつて古事記や万葉集から本居宣長は、日本人の精神をつかみ取ろうと人生を懸けて洞察しました。そこで「もののあはれ」と「真心」であると発見します。「もののあはれ」とは、物事に触れたとき、その姿や出来事の奥にあるいのちや意味を感じ取り、自然に心が動くことをいいます。あらゆる縁起の中で心が動いたままにいる。私の言葉では、常に直感が働いている状態のことをいいます。

そしてこの感受性の根源の存在を「真心」としました。作為や作り物ではなく、完全に宇宙のまま、あるがままありのままの心の動きです。これは先ほどのもののあはれと一体のものです。

心があらゆる事象に対して微細に動く、あらゆる八百万の神々たちとの関係性の中で変化して無常である。まさにその自然や宇宙の繋がりの中で感受する渾然一体の存在です。それを私は螺旋や法螺貝を通して実践しています。

心のままであることは、日々の暮らしを大切にすることで守っていくことができます。

なぜ私がここまで暮らしにこだわるのかは、それは生き方や在り方、日本人の心を生きるためです。霊峰英彦山から日本人の暮らしを甦生できるよう、お山と一体になった真心の実践を伝承していきたいと思います。

日本人の甦生

かつて日本人が日本人の言葉で日本というものを理解しようとして「国学」という学問が江戸時代に産まれました。この頃の日本は、中国思想などをもとに日本を理解していましたが本来の日本人の思想と言語と感性で本来の日本とは何かということの研究がはじまります。

具体的には『古事記』『日本書紀』『万葉集』など日本の古代を知る書物の本来の言葉や意味が次第に分からなくなっていき、それが後世の思想によって説明されることが増えていきます。すると、日本人本来のものの見方や感じ方が他国の思想や価値観での解釈になるので本質を見失うようになったのです。あるがままにそのままにそのものを理解するには、その時、その場、その人を深く共感し理解していくことがいります。

私も古いものを甦生するときは、知識や解釈などの先入観や刷り込みを捨てその場でその時代、その人の暮らしと一体になることでその心そのものを甦生しようとします。まさに国学への取り組みは、「日本人の甦生」であったように私は思います。

その国学の祖とも呼ばれる人物に真言宗の僧であった契沖(1640~1701)が出てきます。この人は古い写本を比較し、言葉の意味や仮名遣いを丁寧に調べ、『万葉代匠記』を著して日本古典を実証的に研究する方法を実現させました。そして荷田春満が古典・神道・歴史を総合的に研究する「国学」という学問の形を整えました。その後は、賀茂真淵が古代日本人の素直で力強い心を「ますらをぶり」として表現し、本居宣長が四十年をかけて『古事記伝』を作成し、「もののあはれ」や「真心」という言い方をして日本人の精神文化をまとめました。さらに平田篤胤という人がその国学を神道や民間信仰へと広げて多くの門人を育て幕末の思想にも大きな影響を与えたという流れです。

それが幕末の水戸学や尊王思想、尊王攘夷などと発展して吉田松陰をはじめとする多くの志士たちにも受け継がれ近代日本の精神的な土台になりました。

本来の「尊王攘夷」とは何か。

これは天皇を中心にして外国を排除しようとしたスローガンのように認識していますが実際はそうではありません。尊王攘夷の本質とは、日本の歴史や精神、文化を守りながら、国の独立と主体性を失わないようにしようとしたこと。

つまりは、古来からの日本人を甦生しようとする活動のことです。

日本が日本でなくなるのは、戦争に負けたからではなく日本人の精神文化が失われたときに日本でなくなるとしたのです。だからこそ尊王攘夷は、「外国を拒む思想」ではなく、日本の精神を守りながら、世界とどう向き合うかを問う知恵でした。

それが後の「和魂洋才」へと受け継がれていきます。

現代は、日本人の心が失われ洋魂和才のようになって行き詰ってきています。西洋の精神文化の影響は効率優先、物質化、自然からの離反、科学信仰、人間至上主義など色濃くでています。それが経済活動をはじめ、日本の文化にも影響を与えています。

まさに今こそ改めて「尊王攘夷」を立ち上げ、日本人が主体的に日本人を甦生する時ではないかと私は直感します。

色々と英彦山や萩などと連携して、子どもたちのためにその真心や至誠を伝承していきたいと思います。

 

 

日本人とは何か

江戸時代中期、失われかけていた宮中行事を次々と復興させた「中興の英主」と呼ばれる人物に第112代・霊元(れいげん)天皇がいます。この方は、天皇の譲位後も院政を行い、和歌や有職故実、神道、宮中祭祀など、日本古来の文化や伝統の復興に力を尽くしました。日本的精神とは何かを甦生した人物であり、英彦山とも大変深い関係があります。

この時代は、政治は徳川幕府が担い、天皇や朝廷は文化や儀式を守る存在となっていました。長い平和の一方で、朝廷の権威や古来の祭祀・儀礼は次第に衰え、多くの知識人は「日本人が本来受け継いできた精神とは何か」という問いを抱くようになります。幕府の力がつよくなり皇室の伝統も衰退していました。天皇は単なる政治権力者ではなく、日本の精神文化を受け継ぐ中心であるという強い自覚を持ち皇室の権威を立て直した知の人物だといいます。一生を懸けて取り組んだ、日本文化の甦生によって朝廷には再び古典や儀礼を重んじる氣運が生まれ、後の学問や思想が育つ土壌が整えられたといいます。

もともと霊元という追号は、古代の名君である孝霊(こうれい)天皇と孝元(こうげん)天皇から一文字ずつ取られたものです。

この霊元上皇の日本的精神の甦生の影響を受けて国学というものが誕生します。この国学は、『古事記』『日本書紀』『万葉集』など日本の古典を研究し、中国の儒教ではなく、日本人本来の心や価値観を明らかにしようとする学問のことです。契沖、荷田春満、賀茂真淵を経て、本居宣長によって大成されます。本居宣長は、日本人の心を「やまとごころ」と表現し、自然や四季、命の移ろいに深く心を寄せる「もののあはれ」の感性こそ、日本文化の根本であると説きました。霊元上皇が守り育てた宮中の古典文化や祭祀の伝統は、国学者たちが研究を深める重要な基盤となり、精神的な源流となったといいます。

そしてその後、水戸藩では徳川光圀が『大日本史』の編纂を始めました。これが後に水戸学と呼ばれる学問へ発展していきます。水戸学は、日本の歴史を通して国家のあり方を考える学問であり、歴史の主人公を歴代天皇に据えたことに大きな特徴があります。

この時、「天皇を敬い、そのもとで国を治める」という尊王の理念が体系化され、幕末には会沢正志斎や藤田東湖によってさらに発展していきました。国学が日本人の精神を明らかにし水戸学がその精神を国家の理念へ結び付けていったのです。

幕末の頃には、国学が示した「日本人本来の精神」と、水戸学が説いた「尊王」が日本の国家理念になりそれを学んだ志士がたくさん誕生してきます。吉田松陰は国学から日本の精神文化を学び、水戸学から国家観と歴史観を学び、さらに陽明学から「知識は行動によって完成する」という知行合一の思想を学び日本人の生き方を至誠として実践しその模範になりました。

英彦山との関係は、享保14年(1729)、霊元上皇が「英彦山」の勅額を下賜し、それまで一般的だった「彦山」に「英」の一字を授けました。これは英彦山に霊元上皇が日本の古来の文化と精神を持っている日本第一位の霊山と見なしたからではないかと私は直感します。

日本古来の信仰を守り続けてきた重要な霊場だからこそ勅額の下賜は英彦山を皇室が認める霊場として位置付け、の精神的価値を全国に示したように思います。

引き続き、霊元上皇のことを深めつつ、日本人とは何か、そして尊王攘夷の本質とは何かを学び直していきたいと思います。

自然の循環

志というものがあります。これは肉体が滅んでもこの世に遺しておきたい祈りや願いのことです。何ども生まれ変わってもこれをやりたいというものです。それはずっと連綿と人類で続いてきたことの継承とも言えます。

私たちは実は何度も生まれ変わっても、同じことを繰り返します。

一生の人生では短すぎて大願を成就するには間に合いません。だからこそ、幾度も幾度も生まれ変わり成就するまで続けていくのです。

これは自然の循環そのものです。

自然の循環は何を志しているのか。

私はこれを徳の循環と直観しました。つまり自然の志は、徳の循環ということです。いのちが連綿と繰り返し、生死を続けてはいのちを繋げていく。それは自然全体の徳が循環する一部としての使命を全うしているからです。

それを人間界では、至誠ともいい、真心ともいい、天命を全うするともいいました。

自分の与えられた肉体や場、そして人生において自然であることを全うする。みんながそのような生き方ができるようにと誠実に実践してもそれが通じないときもあります。その時は、徳が足りないのだと自省し誰をも恨まずにわが身を引き締めてさらに改善するだけ。

こうやって人間性を磨いてさらに徳を高めていくのです。

自然の循環から離れないように生きること、それは生き方を決め志を立てることです。自分の生き方が周囲を徳化していくように努めていくこと。それが真の人間性の教育です。

今日は、萩に呼ばれていますが吉田松陰を偲んで初心に帰りたいと思います。

 

流れと螺旋

中国最古の医書『黄帝内経』には「正氣内に存すれば、邪干すべからず」(体の正しい働きが保たれていれば、病邪は容易に侵入できない)」という言葉があります。そして現代では有名な「未病」(みびょう)という言葉もまたこの『黄帝内経』で初めて使用された言葉です。

そこには「聖人は既病を治すのではなく、未病を治す」とあります。これに対して既病とは、既に症状が出ている状態のことをいいます。未病とはまだ病気が表面に現れていない状態のことをいいます。

現代では、病気は病院が治すもののようになり病気になってからはじめて人は病気を認識します。そして病院もまた病気になってから診療を受ける場所になっています。

本来は病気というものは、生命を支えている循環の何らかの流れが滞り、流れなくなって循環しなくなったことをいいます。

自然治癒を洞察するとそれはすぐに察知できるものです。自然界も同様に、循環や流れが滞ると問題が発生してきます。スムーズに静かに流れていれば、自然も穏やかです。しかしそこに何らかの澱みや流れの滞りが起こればそれが災害となっていきます。

つまり自然は常に「調和」するために流れや循環を已まないようにしているのです。

そして人間の身体もこれを同じです。

人間の身体では、血液やリンパ、呼吸や腸内や神経などあらゆるものが流れています。それが疲れや感情や自立神経の乱れ、食べ物の片寄りや睡眠や運動不足などで流れが滞ってくると病気が表層に出てきます。

誰しもが調和している状態を健康であると知っているのは、この「流れ」というものを自明しているからともいえます。

流れが澱み、滞れば不調和が産まれ調和に戻そうと自己免疫力が働きます。それが自然治癒です。つまり自然治癒というのは、流れを取り戻そうとする根源力のことです。

これは人体だけでなく宇宙も同様の真理で働いています。

場の道場では、薬草をはじめ太陽や月のリズム、そして呼吸法、滝行や坐禅、自然農や発酵などあらゆることを体験を通して場づくりを学びます。これは未病を実践するためです。

つまり未病の場というものは、流れが澱まない場であるということ。言い換えれば、循環しようとするのを邪魔せず、自然の流れになるように調えるということです。

これを私は場づくりの中心に据えています。

そしてその養生法が暮らしフルネスということになります。

氣は風、いのちは水、この風水によって流れ(螺旋)は常に循環するのです。

自然治癒の学びを深めつつ、螺旋の真理を甦生していきたいと思います。

 

心の伝承

先日から盂蘭盆会の準備で場を調え、落雁をつくり菊花のお供えをしています。元々は釈迦の弟子、目連のお母さまの苦しみを解き放つためにはじめられたともいわれますがそれが長い歳月を経てこの日本でも仏道の伝来とともに継続している行事です。

よく来客があるのでおもてなしすることが多いので、いつもとやっていることはほとんど変わりません。それが祖先をお迎え、共にゆっくりと心穏やかに過ごし、いのり送り出すという具合です。

そのために場を調え、心を落ち着かせ、法螺貝やお経、お線香を立ていのります。

しかしこの時間があることで、自分の中にあるご先祖様や今も一緒に生きている霊魂の存在を感じます。時間というものは、誰にも平等ですがどのような意識で過ごしているのかでその時間の質は全く異なります。

一年の中で、この盂蘭盆会をどのような心で過ごすのか。

私にとっては、欠かすことのできない心の栄養になっています。

また家祈祷といって、祖霊をお迎えするために家や場を調えていきます。床の間には静寂と徳の薫りが満ち、凛とした空気が宿ります。

日本人でよかったと感じる懐かしい風景です。

子どもたちや子孫へ、心の伝承を続けていきたいと思います。

大地と徳治

昨日、熊本で大きな地震があり私のいる場所も大きく長く揺れました。東日本大震災の時の揺れを思い出し、あの時、受け取った自然からのメッセージを振り返りました。暮らしフルネスに取り組む今があるのは、あの地震からの声をいただき、初心を忘れないようにしてきたからです。

中国の思想に「天人合一」(天人相関)という思想があります。これは紀元前二世紀、中国・前漢の時代に生きた儒学者の董仲舒(とうちゅうじょ)という人物が人類に投げかけた問いの思想です。

当時の中国では、法律によって国を治める法家、自然に任せる道家など、さまざまな思想が競い合っていました。その中で董仲舒は、「国は力ではなく徳によって治まる」と説きました。その理由は、人間は自然の外側に立つ存在ではなく、天地とともに生きる一つの生命であるとしすべては相関関係と因果によって為ると直観しました。つまり空を流れる雲も、山を吹き抜ける風も、川の流れも、月や太陽の光も、大地の震えも、人間とは無関係に存在するものではなく、同じ宇宙の理によって結ばれていると見立てたのです。

つまり天と人も自然の一部であり分かれているものではない。だからこそ人間社会が私欲によって乱れれば、その歪みは自然との調和を失い、やがて社会全体の苦しみとなって現れると説きました。

そして為政者こそ、自然のメッセージを真摯に受けとり自らを省みる鏡にせよといいました。そしてその政治の実践のことを「徳治」と定義し、まず国を導く者自身が徳を積み、人を敬い、自然を敬い、その姿によって人々を導くことが政治の根本であるとしたのです。それを当時の漢の武帝によって国家の理念として採用され、その思想がのちに日本にも渡来し、聖徳太子の「和をもって貴しとなす」、熊沢蕃山の治山治水、二宮尊徳の「天道に従う」、西郷隆盛の「敬天愛人」など、日本の思想の根底にも、天地を敬い、人を敬い、自らを正すという和の系譜が脈々と受け継がれたといいます。

どんなにお金があっても、便利な文明を築いても、科学技術が発展しても、驕れるもの必ず滅びるものです。平安末期の鴨長明の時代も大地震がありました。そして彼が遺した書物『方丈記』にあるように、大地が震えればこの世に絶対に安全などというものは存在しない、万物は変化して已まないし無常。人間の傲慢さはいつかは必ず天人合一に現れると氣づくのです。

今の世界に響き渡る大地の声は私たちへの偉大な問いかけではないかと感じます。そして為政者こそ災害の時に自らを省み、改心して徳を積み人々の心を治めよと聴こえてきます。

人類全体が謙虚にならなければ、すべてのいのちの幸福はない。

今こそ、徳治覚醒の刻です。

今日は、これから英彦山の宿坊で大地座禅と初心を深め禊をしてご祈祷して過ごします。

今夜の満月の心が、どうか穏やかに人々の内省を調えていただけますように。

地球の利益

現在、無肥料無農薬で自然農のお米づくりをしていますが周囲の田んぼと違う光景に色々と観えてくるものがあるものです。

たとえば、資本主義の経済の中では利益の最大化を目指すために大量生産をして原価を抑えて利益を出そうとします。その原価の抑え方は、効率化がほとんどです。労働力を抑えて、生産能力を最大化するというものです。

そのために田んぼでは巨大な農業機械や便利な農薬や肥料が用いられます。実際にお米の価値も粒が大きくて虫に食べられていないもので収量が多いと利益になります。そのために、農家は労働力の最大化をはかり圃場の拡大を目指します。

しかし私の田んぼはまったくのその逆です。

そもそも収量は一つの田んぼでは限界がありますし、稲だけを育てているのではなく暮らしを豊かにするために田んぼ全体の生態系と一緒にいのちが循環しあう中で仕合せや喜びを感じます。

ほとんどが手作業です。労働力の最大化というよりも無駄ばかりです。しかしその無駄が心地よく、田んぼの小さな生き物たちを見てはまた雑草が生えては必要な分だけを除草します。

労働力の最大化というよりは、自然が育てて見守ってくださっている偉大な力を実感することができるのです。

そもそもいのちは誰が育てているのか、それは自然ですし他力ですし、自分以外の存在が丸ごとでゆりかごのようにいのちを見守っています。その偉大な労働力の御蔭で、私たちはいのちを繋いでいくことができています。

それぞれが自分のいのちを精一杯生きることによって恩返しをしていきます。人間だけがつくった社会のシステムの中でどっぷりつかった機械化されるのではなく、生命全体の循環の一部としていのち全体が耀くように自分を生き切っていくのです。

つまりそれぞれに生き方というものがあり、それを生きることによって全体と一体になって徳が循環するようにしていきます。

資本主義の中の利益の最大化というのは、結局は誰の利益かということです。株主や資本家のということです。利益の最大化というものが、もしも地球のためということになればどうなるか。

すると、みんな地球が喜ぶように「循環」や「流れ」が澱みなく絶やさずに安心するようにすることが利益の最大化になることをすぐに自明するようにも思います。

田んぼであれば、お水が流れていくなかですべての生命たちが多様ないのちを活性化させて自由に暮らしを謳歌できるような場をつくることでしょう。

引き続き、生き方を通して田んぼと関り、本来の日本人としての生き方や先人からの遺訓や遺徳を後世の子孫たちのために暮らしで結んでいきたいと思います。

不老不死の妙薬

英彦山で、満月の日に不老不死の妙薬、不老園を煎じています。これをお茶にしてみんなでいただきます。お茶は本来、薬でしたからむかしながらの薬の摂取方法ということです。

もともと霊山には澄み切ったお水が流れ、あらゆる薬草が生えてきます。その力を使って治療をすることが修験者たちの一つの生業でした。これが衰退したのは、明治のころの山伏禁止令により山伏がいなくなったこと、近代医学が普及し制度ができて公的な医療から排除されたこと、また経済的理由からお山で暮らす人たちがいなくなったこと、そして宿坊文化が失われたことなどが考えられます。

もともと修験道では宿坊が、修行者を受け入れるだけでなく、薬草を育て、薬を調合し、病人を看る拠点でもありました。その宿坊そのものが減少してその土地ならではの秘薬や薬湯、養生法も消失しました。養生思想も同時に消え、治療中心の医療、対処療法が社会の中心になりました。不老不死の妙薬もまた、お山から消えていきました。

もともと修験道において「薬」とは、丸薬や煎じ薬だけではありませんでした。お山の湧水、薬草、発酵食、温泉、呼吸法、滝行、山歩き、祈り、四季の食生活まで含めた「養生」そのものが薬としてきました。

英彦山にも玉屋窟から不老長寿の霊水が湧いていますし、行場はお山のあちこちに遺っています。

私が宿坊の甦生で、石風呂やサウナ、薬草園、治水、発酵食、薬味、座禅、水垢離、滝行や法螺貝をつくるのはこれらの日本で失われた宿坊文化を甦生するためです。そこにこの不老不死の妙薬、不老園は欠かすことはできない大切な先人の智慧です。

そもそも修験道が目指したのはお山の恵みをいただき、心身を整え、生命の流れを取り戻すことでした。だからこそ不老園が英彦山のご神体を想像する大切な存在だったように私は思います。

他の修験のお山ではどうなっているでしょうか?それを少し深めてみます。

奈良県の吉野・大峯山には、日本を代表する修験道の霊薬「陀羅尼助丸」は役行者が発祥で、主原料のキハダ(黄柏)を用いた胃腸薬として約1300年にわたり受け継がれてきたものがあります。長野県の木曽御嶽山の、「百草丸」も同様です。他には、山形県の出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)では、宿坊ごとに独自の霊薬や薬湯があるといいます。薬草酒や薬湯などを用い、修行と養生を一体のものとして実践しているといいます。石川県・岐阜県にまたがる白山では、白山修験の山伏たちが山の薬草や霊水を活用し、「白山霊薬」や「延命水」があります。富山県の立山では、立山修験の薬草文化が、後に全国へ広まった富山のあの薬売りとも深く関わっているといいます。和歌山県の高野山では、真言密教の医学と修験文化が融合し、「高野山陀羅尼助」などの寺院薬が今でもあります。滋賀県の比叡山では、天台宗の僧侶たちが医術や薬学を学び、人々へ施薬を行う「施薬院」が産まれました。和歌山県の熊野三山では、熊野修験の山伏が薬草を用いた霊薬や薬湯を伝えています。愛媛県の石鎚山では、石鎚修験の行者が薬草酒や薬餅などを養生に用い、そして山陰地方の伯耆大山でも独自の山伏薬が伝承されています。

修験の霊山には必ず妙薬があり、そう考えてみると修験道発祥の地、霊峰英彦山の不老園は1500年以上前から存在した可能でもあります。修験の霊山による修験者たちのお山の暮らしこそが、薬草文化そのものを調えたのでしょう。暮らしと薬は一体だったのです。

まだまだ時間はかかりますが、子孫たちのためにも宿坊文化や先人たちの知恵を一つ一つ丁寧に甦生していきたいと思います。文化の伝承はみんなで今でも使い続け、活かし続けることで生き続けていきます。失われたものではなく、継続し続けるものとして不老園を養生の暮らしに取り入れて頂きたいと思います。

ご協力をよろしくお願いします。