手間暇の真心

手間暇をかけるというのは真心が入れられるものです。なぜ手間暇が真心が入るのかと深めてみると、そこには大切にしたいという心の態度が顕れているからです。心は一つ一つの工程を疎かにしていません。頭で簡単に考えて行動しすぎていると、現代でいうコスパもタイパも悪いものですがこの時間や工程こそが真心を入れられる大切な機会になっています。

何でも機械化をして分析化して、何でも合理的に結果だけ同じであればいいという商品が溢れ、人間関係も専門家が増えては見た目やエビデンスなどが優先されていますがそこに心を入れる機会も場所も少なくなってきているのがわかります。頭ばかり疲れては、心の疲れはありません。心は疲れても別のものに転換され同時に満たされ充実するという豊かさが出てきます。一方の頭は脳内ホルモンが出て、興奮状態になりますが疲れが転換されることはあまりありません。

食べ物でも、手間暇を敢えてかけて作っているうちの高菜のお漬物などは一年がかりで大変な時間も労力もかけていきます。しかしアミノ酸で添加物で味だけは似せてきた高菜のお漬物は脳は興奮させても心の満たされている感覚は得られないものです。それは食べてみればすぐにわかります。

ちょうど寅の日という縁起の善い日に護符づくりを行いました。この護符は、まず英彦山の歴史を調べミツマタという花があるのでその原料から和紙をつくっていたということを参考に、手漉きで和紙をつくりました。最初に原料を祈祷し、法螺貝を吹き、途中と最後にも同じように祈祷を行いました。そして日本伝統の和にわかと竜樹が入った墨を使い江戸時代から守静坊の代々の坊主が刻んできた木版で一つ一つ、力を入れてつくっていきます。そこにむかしの英彦山の呼び名である「日子山」の新たな朱印をつき、境内にある満開のしだれ桜の根元に一晩安置して弁財天の縁日に皆さんに配布します。一つの護符ができるまでに約半年がかりです。

しかしこの手間暇が、暮らしの中の護符になっていることに気づきます。皆さんと一緒にその暮らしの中で大切なご縁になったこと、その有難さが護符に力を与えているように私は思います。

子孫へと、その手間暇が真心になって伝承していけることをいのります。

巳の縁日

2024年3月30日の英彦山守静坊のサクラ祭りの日は弁財天の縁日「巳の日」です。この守静坊の谷はむかしから弁財天をお祀りしている場所でとても深いご縁がります。この日に芸能と徳積経世済民ができることに改めて感謝の気持ちが湧きます。

この吉日のひとつである巳の日(みのひ)は、約20日から40日の間に一度訪れる吉日です。この巳の日の巳とは、蛇のことです。この蛇(白蛇)は、弁財天のお使いをする動物です。弁財天との結びつきが強い巳の日は、運気の上昇に加えて、金運が上昇する日としても知られむかしから信仰の対象になってきました。巳の日と己巳の日は、財布を買ったり、神社にお参りしたり、銭洗弁天でお金を洗うと、金運や財運のご利益が得られるとされ各地で祈祷しています。

弁財天は、芸術・芸能・勝負事・学力・学問・財運といった、様々な運気を上げる神とされているのでそのお仕事や志を持っている人たちは大切に信仰してきました。日本は神仏混淆しているため、あらゆる神様が和合していますがもともとこの弁財天という女神は、日本では瀬織津姫や市杵島姫命、龍神とも同一であるといわれます。

もともとこの巳の日といったものは、中国の陰陽五行説に基づいています。十干「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10種類」と十二支を合わせたものが干支です。陰陽五行説では世の中の全てのものは陰と陽、木・火・土・金・水に分けられると考えられます。具体的には、木は火を生み、火は土を生み、土は金を生み、金は水を生み、水は木を生むという具合です。なので、巳は土、土は金を生むということで財宝や財運が湧くということです。

偶然ですが、純白のしだれ桜に喜んでいただくために音楽や絵画の奉納三昧になりましたが弁財天様にも喜んでいただくことができそうで有難く思います。来坊の皆様に偉大な幸運や幸福、財運が届くように真摯に場を調えていきたいと思います。

一期一会の弁財天様との縁日を、ご一緒できることを心から楽しみにしています。

しだれ桜と弁財天

英彦山守静坊のある谷は、弁財天さまがお祀りされています。今では宗像神社となり、地域の氏神様です。この場所の境内には、県指定の菩提樹の老樹があり巨石の磐座と共に静謐で清浄な聖域が保たれています。英彦山には古来より瀬織津姫という神様が鎮座されていたということもお聴きします。

また守静坊にも文化財になっている天女の絵が欄間などに描かれています。年代がわかりませんが数百年は経っているもので、今でも飛翔して出てきそうなほどに美しく描かれています。

不思議なことですが、この宿坊では音楽関係者の参拝が後をたちません。しかもどの音楽も流行りのようなものではなく、むかしの楽器や法具、あるいは伝統の音楽ばかりです。例えば、琴であったり鐘であったり、法螺貝をはじめ笛であったり、他にも舞などの方が来坊され奉納していただきました。

私自身はそんなに今までそういう音楽に関係することが少なかったので、この宿坊や天女とのご縁から音楽により深く親しむようになったように思います。

もともとこの天女はインドの民俗信仰に起源を持つ神様です。仏教文化の伝来に伴って早くから日本へも和合しています。経典では、仏陀の浄土では音楽を奏し天花を散らし香りをゆらせ仏事を賛嘆するとあります。吉祥天と弁財天という天女が有名です。

吉祥天は、『金光明最勝王経』というお経に出てきます。この吉祥天を信じてお経を唱えると衣食に困らず、そして吉祥天像を祀れば家運上昇し豊かにしてくれる存在です。一時期は七福神の一員にもなっていましたが弁財天に譲ったとあります。

その弁財天は、日本では七福神の一員として今でも有名です。神仏習合で神道に取り入れられてもいます。中世では龍神の化身といわれ宇賀神とされ蛇や龍こそが弁財天の化身と信じられました。主には音楽・芸能・学問の発展、そして財宝が豊かになると信じられています。弁財天はもともといたインドでは古代インドに流れていたという聖なる川、サラスヴァティーを神格化した水と豊穣の女神とされ、ヒンドゥー教ではブラフマー(梵天)の妃とされています。仏教では音楽、弁舌、財富、知恵、延寿を司ります。そう考えると、日本ではすべて混淆して水の神様、龍の神様、蛇の化身となったのはわかります。

弁財天は大琵琶をもっている木像をよく見かけますがあれは鎌倉時代以降だそうです。『金光明最勝王経』という経典での弁財天は頭上に白蛇をのせm鳥居をつけた宝冠をかぶった八臂の女神です。持っているものは武器ばかりで弓、箭、宝剣、羂索、斧、独鈷、法輪、羂索となっています。

水の神様が変化して音楽や芸能の神様になっていくというのは、お水の性質を深めていくのにもとても深い気づきがあります。

お水というのは、せせらぎをはじめ独特の音楽を奏でています。宿坊の周辺にはいつも美しい川の音が聴こえ、水鳥たちをはじめ様々な生物が調和して周囲の木々も風に揺れて静かです。その平和な静けさは、水がもたらしているものであるのはすぐにわかります。

弁財天や吉祥天が描かれている守静坊の欄間には、この谷が象徴する気配を醸し出してきます。音楽のお祀りはいつも心が癒され、場が清められ波動が磨かれていきます。

純白のしだれ桜もまたよく眺めるとまるで弁財天の羽衣のようにも感じます。春のひと時を大切に祈っていきたいと思います。

しだれ桜の妙味

今週は英彦山守静坊の桜がいよいよ開花をはじめます。この数日、雨が降っていますが春霞の風景と老樹が幻想的な雰囲気をつくってくれています。歳月の美しさは、花の中にも顕れます。

花といえば、この雨と花の季節のことを催花雨(さいかう)といいます。これは開花を促す雨のことをいいます。この時期はしとしとと長い時間をかけて雨が降ります。この長雨が植物たちにそろそろ春が来てますよと促して桜もそれに応じて花を咲かせるのです。

他にも春雨や春時雨、春霖という呼び方もあります。そして菜種梅雨ともいいます。これは菜の花(菜種)が咲く時期にまるで梅雨のようなどんよりした天気が続く現象のことです。これは移動性高気圧が北に偏る「北高型」の気圧配置になり普段は北東進する低気圧が東に進みそこに停滞前線が発生するからだといいます。

他にも花の雨や花曇り、花冷えなど花がつく言葉もたくさんあります。これはこの時期のどんよりした寒くなっている風景の中に花が咲いている様子を連想できます。桜や菜の花などが雨にしっとりと濡れて、晴れ間の太陽の間にキラキラと瑞々しい輝きを見せてくれるときに感じる言葉です。

日本語は、美しい季節の模様が入っているものです。

普段当たり前に使っている言葉でも、その中には自然の美しさや変化が宿っているものがたくさんあります。守静坊のしだれ桜の開花を見守る中で、春の美しさ、変化の尊さを味わうことが増えました。

特に英彦山は、山の変化も日々に味わえ自然の放つ美しさに見惚れてしまいます。鶯や山鳥たちが澄み切った甲高い声で春を伝えてきます。

春の桜と長雨は、その雫一粒にも心に花が沁みこみます。

静かに守る風景を春と共に味わい、宿坊は初夏への準備を調えていきます。

護符から学び直す

守静坊の護符を甦生していますが、知らなかったことが色々と観えてきています。なぜ英彦山が三所権現になったのか、役行者とは、また竹台権現とは、そして宝珠の意味など、改めて木彫りの札から観えてくるものがあります。

私は宿坊を引き継いでまもなく前坊主がお亡くなりになったのでほとんどのことをお伺いしていません。残していただいた書籍や、あとは手さぐりで宿坊に残っている道具と対話をしながら一つ一つを辿っています。

私にとっての甦生というのは、いにしえとの対話でありそれを今に伝承するものでもあります。前がやっていたことをそのままに受け継いでいると、その本質を理解しないままに形だけのものになってしまうことがあります。そうならないように、そもそもこれは何かということを自分の五感をはじめすべての知恵と知識を駆使して純粋に突き詰めていきます。その中で極めて観えてこそ、新たな伝承として甦生したことになるからです。

この護符というものは、とても不思議な力があります。

護符には今回はミツマタの和紙を使います。そして朱肉も墨も本物にこだわりむかしから伝来した木彫りの版木を使います。今では、プリンターで自動で何枚でも簡単にお札はできます。特に今の神社やお寺のお札は手作りも少なく機械化されています。手書きで一つずつとなると相当な時間がかかり、今ではコスパやタイパが悪い代名詞になっているのでしょう。

しかし本来、なぜミツマタの和紙であったか、そして木彫りであったか、そこには確かな理由があります。一つ一つを山伏や祈禱者たちの手で丁寧に心を籠めて作成していくなかに護符の意味もあります。

そもそも護符も版木も今でも生きているものです。今でもこの版木を手でさわれば、そこに宿っている何かを感じます。その人の深い信仰というだけでなく、そのものの持っている存在のイメージや念のようなものも感じます。

江戸時代ころの版木であるのに、今でも最近つくったのではないかと思うほどにしっかりと生きています。人の思いというものは、依り代にうつるものです。改めて護符をつくりますが、本来の護符をつくる人の生き方や作り方を鑑みながら丁寧に甦生をしていきたいと思います。

和合の真理

私たちは樹木を観てはその名前で呼び同じものだと認識します。これは人間であれば、人間と呼べば同じものです。多少の差別を持っている人たちもいますが、人間というものの定義はだいたい同じです。同じように樹木、野菜、動物、花、あらゆるものを分類してきました。

花であっても、色々な花があります。見た目も花とは思えないものがあります、そして魚なども同じ魚として見た目があまりにも異なっているものもあります。それは鳥も同じです。

現代ではクローン技術が発展して、同じものを生産するようになりました。見た目が同じだけでなく、遺伝子も同じであるものをつくります。野菜なども遺伝子を組み替えて同じ野菜をつくり、花も同様にしています。

しかし厳密にいえば、同じものなどはこの世に存在することはあるのでしょうか?そんなものは一つとしてありません。人間の指紋が同じでないように、葉の葉脈が同じでないように同じように観えても同じものはありません。

これは何を意味するかといえば、必ず違う部分が存在するということです。宇宙をはじめ、地球にも膨大な量のいのちがあっても同じものは一つもないという事実。似た星を見つけても同じ星はないという事実。水も同じですし火も同じ、風も土も同じものは一つとしてないのです。

このクローンというのは、似ているものに近づけるということです。外見はこれからも科学の発展と共に近づいていくでしょう。しかし内面は同じことになることはないし、かえって内面の差は広がっていくように思います。それは変化ということを運命づけられているからであり、別のものであるから和合することができるからです。

和合するという絶対的な真理に対して、それを超えるものはまだ見つかっていません。いくら分けて別れても、結局はそれは和合を学び直すのみです。何が最も大切なのか、よく同じものの意味を振り返り和合することの喜びを味わっていきたいと思います。

徳の伝承

守静坊の甦生に関わってから、音楽や演奏者にご縁があることが増えました。ひょっとしたらこの場所が、英彦山の弁財天をお祀りしている場所と深い関係があるのかもしれません。不思議ですが、この場所は芸能に関する人たちにとってとても居心地がよい場所であることはすぐに実感します。

音にも相性があるように、場にも相性というものがあります。相性の善いもの同士が和合するとき、独特な居心地のよさがあるものです。

この相性というものを深めてみると、そこにはお互いに相応しい存在であることがわかります。この相応しいという言葉は、別の言い方がたくさんあります。例えば、適材適所とか、似合っているとか、和気あいあいとか、しっくりくるとか、他にも膨大な組み合わせの言葉があります。

それくらい相応しい関係というのは、和合している関係ということで奇蹟でもあり幸運でもあります。

場というものには、その場に相応しいものが集まってくるものです。その集まってくるものを上手に活かすところに徳を積むことがあるように私は思います。

徳というのは、別の言い方で徳性という言い方もあります。もろもろの力が発揮され活かされるのにはその中心に徳性を持っているということです。中心が徳であれば、周囲のものは和合していきます。つまり相応しいものたちが集まってくるのです。

例えば、自然を観てもよくわかります。

畑や森をよく観察すると、土を中心に場が醸成していてそこにいる作物や樹木、草にいたるまで適材適所に共生して調和します。それは土がいいからです。この時の土こそ徳の中心であり、周囲はその徳に活かされたということなるのです。

つまり場というのは、中心は土です。この文字も、土を盛って太陽を祀る字です。土と太陽の間に一つの徳性が養われる仕組みがあり、私たちはそれを場と呼ぶのです。

守静坊は特に美しい太陽を眺められる場所にあります。夕陽は格別でいつも夕陽を眺めては仕合せな気持ちに包まれます。場と太陽の組み合わせは、私たちに徳を感じさせるものです。

守静坊のサクラ祭りでは、夕陽を眺めながら篠笛を吹き懐かしい日本の心を甦生させていきたいと思います。場があることに感謝して、徳を伝承していきたいと思います。

此岸と彼岸の道

昨日は春分の日、英彦山から夕陽を眺めているととても幻想的でこの日に相応しい風景を感じました。

もともと春分の日は、太陽が真東から出て真西に沈む日です。むかしから「此岸と彼岸が最も通じやすい日」といわれこの日に西に向かって拝むと、功徳が施されるとも信じられていたそうです。そこで春分の中日を中心に供養を行うようになりました。

これからの時期はお墓参りなどを行う人も増えてきます。不思議なことですが、私たちは現代になってもむかしから習わしの影響を受けているものです。英彦山で守靜坊のしだれ桜も咲きますがかつてはこの時季に檀家さんたちが集まりご先祖様の供養を桜と共に行っていたとお聴きしたことがあります。

確かに宿坊から眺める桜と夕陽はまるで極楽浄土のような美しさがあります。特にこの時季は清々しさだけでなく、何か不思議な光が場に揺られ溜まっているような景色が顕れます。

極楽浄土というのは浄土思想というもので、もともと西方にあり、西方に沈む太陽を礼拝することで煩悩を払い西に沈む太陽に祈りを捧げ、極楽浄土へ心を寄せるというものです。似ているものに天国がありますがあれはキリスト教の思想です。

この極楽浄土というものは、「浄土三部経」の中の「仏説阿弥陀経」の中に詳しく説かれています。かつて阿弥陀如来が悟りを開いたのちに西方十万億仏土の彼方に浄土を作り現在もこの極楽浄土で人々を救うために説法をしているという場所です。

清浄で美しく、平安で豊かな場所。

自然のもっとも美しく和合しているような環境ではないかと想像できます。かつては英彦山に詣でる方々が、銅の鳥居の前まで来るとそこで涙を流しようやく極楽浄土に辿り着きましたと感謝で歓喜していたとお聴きしました。山伏たちもその環境が壊れないようにと丁寧に場を調え、場を清め、極楽浄土であるようにと暮らしを紡いできたのでしょう。

現代は一般的には人間都合で便利な世の中ですし、あまり死に直面することもなく極楽浄土の意識をあまり持つことはありません。しかし、この英彦山のしだれ桜や守静坊で暮らしているといつも極楽浄土のことを意識してしまいます。それはこの場所が、長い年月をかけてずっと太陽を通して此岸と彼岸で極楽浄土の道へと導いてきたからかもしれません。

守静坊のサクラ祭りが間もなく開催されますが、しだれ桜と合わせて夕陽や太陽、そして場に触れて極楽浄土を感じて徳を積みご先祖様に思いを馳せてご供養できることを有難く思います。

日本人が長い時間をかけて醸成してきた習わしの中に、懐かしい未来は今も生きています。皆様とお会いできるのを心から楽しみにしています。

護符の甦生

神社仏閣には護符や御守りというものがあります。もともとこの文字や文様などが記された紙、あるいは木、時には身に着けるものや石などですがこれはいつごろからはじまったのか。そして今はどのようになっているものなのかとふと考えてみました。

以前のブログで、お呪いのことを深めましたがこの護符や御守りも縄文時代まで辿れます。縄文時代に勾玉などを身に着けて、魔除けや邪気払いに使われてきました。その当時は、病気やケガや事故などは魔が差し込んでくることや邪に呑まれることなどを感得していたのでしょう。今でも、妖気が漂う場所にいると病気になったり、怨念めいた人間関係のなかで怪我や事故があることもあります。

現代の科学的な見地では、病気はウイルスによるものであることや場もカビや湿気などが問題であることなどを証明していますが果たして本当にそれだけかどうはまだわかりません。まだ科学では解明できていない方がほとんどで、その一部が解明されたら人間はそれがすべてだと勘違いするものです。

実際には、水も火もまだ本当のところはよくわかっていません。それに空気や光などもまだまだ未知の部分が大半です。人間は知識で少しでもわかるとそれがまるで全部のことを指すように勘違いします。先ほどの護符や御守りというものも、果たしてどのような効能と効果があるのかがまだほとんど解明されていません。

しかし現代でも、形を変えてアクセサリーになったり風水の道具として家具となったりと変容しながらも実生活の中に取り入れられ続けています。何千年も何万年も自然の篩にかけられるなかでなくならないというのはそれだけ何か価値や意味があり目には観えなくても何かを感じることができるから続いているということだと私は思います。

護符においては、道教がはじまりとされ中国で最も古い「符」は「五岳真経図」・「八会之書」というものがあります。それが日本に渡来し道教の符録という呪符を参考に発展していきます。御守りにおいても中国から入ってきたもので陰陽五行説を用いた陰陽道が起源だといいます。それが発展し、天文・暦・呪術・占星などの占いの教えを取り入れた修験道が興隆します。

修験道の開祖といわれる役行者は、陰陽道が入ってくる前から呪術的なものを使っていたといいます。道教の影響があったのかもしれませんが、私は古来日本では仙人道というものがありそれが起源ではないかと直観しています。

修験道では九字護身法というものがあります。これは「臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前」という九字の言葉を唱えるものでこれを用いて邪気を祓います。他にも式神といって鬼を使役したり、様々な護符や呪符があります。

今でもその名残はたくさんあり、現代でもその神札や御守りをみかけることがあります。ただ効率優先の世の中になると、プリンターで大量生産したり、そもそもの意味をよくわからず形だけで中身がなかったりする紛い物も増えてきました。実際に陰陽道も広がるとすぐに偽物が出てまるで本物のように数を増やして振舞いますから本流が傍流になり衰退していきます。

むかしから国民の方に迎合していく過程で、本物が消えていくというは古今変わらない事実です。しかし、実際に今でも護符を用いて病気を平癒したり邪気を祓えるという事実は変わりません。それは信心にもよりますが、それだけその意味を伝承されている方々によって大切に守られています。

英彦山は修験道のお山ですが、そのずっと以前は仙人をはじめ道教、陰陽道などが盛んな場所でした。それが和合して今の修験道になっていますが、本来がどのようなものであったのかを突き詰めていきたいと私は思っています。

護符においても、深めていきますので皆様にむかしの護符を甦生させて一緒に学び直していけたらと思います。

意味のある習慣

かつて意味があったものが意味がなくなっていくことがあります。これは意味を伝承することがなくなり、その習慣だけが残るような感じのものです。人間は習慣を持つことで自動で同じことができるようになります。例えば、今やっているような歯みがきやシャンプー、トイレなども考えずにいつも通りに行います。習慣というのはとても便利で、身に付けばそれができようになるものです。この自動化というものに目をつけて色々な道具や機械も発明してきました。

しかし本当は意味があったものを自動化することでその意味だけが喪失していくようにもなりました。目的があったものが目的がなくなってくるのです。それは人間には同時に忘れるという性質があるからです。習慣化していくことで、忘れてもいい状態をつくりますがそれによって習慣だけが残るからです。

毎回同じことを同じ意味をもって取り組んでいけば習慣と意味は離れません。私たちが空気の存在をあまり気にしないように、あるいは地球にいることを気にしないように意識しなくても生活はできていきます。ある時、空気や地球が失われるようなことがあればその時にはじめて強く存在の価値に気づくことに似ています。

習慣も同じく、意味があってやっていますが時折止めてみるとその意味や価値がわかります。忘れていたということに気づくのです。そう考えてみると、忘れないということがもっとも意味に近いということでしょう。

忘れたくないと思っても、自然の摂理として忘れます。これは宿命的に忘れるようになっているからです。だからこそ忘れないためには毎日、記憶するという新しくしていく行為を続ける必要があります。つまり習慣とは、日々に新しくしていくということと同じであるということになります。

同じことはないのが私たちの今ですから、その今が同じだと思わないようにすることで私たちの意味と習慣は和合して今に帰ります。常に初心や理念に立ち返ることで習慣も本質的なものとなり磨き上げていくことができます。

引き続き、同じことはないことを肝に銘じ意味のある習慣を積み重ねていきたいと思います。