一期一会の歩み

私は一期一会が座右ですが、そのためご縁を辿るのが暮らしの中に入っています。あのご縁は何か、このご縁は何か、関係性や組み合わせをいつも観察してワクワクと楽しんでいます。

人生というものは、振り返って見たときにあのご縁はこれだったのかと実感するような出来事と物語で紡いでいるものです。あの時、あの出会い、あの事件がなければ、この今は存在しません。

一つの出会いがあって道が分かれていきます。まだ見ぬご縁もまた道が待っているのです。一つの音楽でまったくそれまでの過去が変わってしまうこともあれば、一つの場に行くことでそれまでの意識がまったく変わってしまうことがあります。

つまりご縁次第で人生は過去も未来も今もすべて変化するのです。

ああ、あの出会いがあったからかと振り返ると感謝の気持ちが湧いてきます。それは素直にご縁というものを丸ごと実感していることでその有難さを味わえるのです。

ご縁を大切にして生きることは、今というものを丸ごと味わう生き方です。

受け入れがたい出来事や事件もたくさんあります。しかし時を経て、そのご縁が結実したときそのご縁からお互いに学び自分が変わっていったこともあります。お互いに切磋琢磨するご縁であったこと、その御蔭様でと言えるような今にしていくこと。

ご縁を大切にするかどうかは、目先の損得や自我欲の優先ではなくまさにご縁そのものへ丸ごと感謝しようとする姿勢が問われます。

来たものを選ばない生き方というのは、ご縁を丸ごと信じるという全て今にお任せするという実践を生きるということです。

引き続き、自分を生き切り一期一会の歩みを味わっていきたいと思います。

じねんの生きざま

英彦山六峰というものがあります。豊前の地域の修験道の暮らしをしていたお山たちです。昨日は蔵持山にお彼岸の供養とご祈祷をしてきました。かつての霊山は今ではほとんど宿坊もなくむかしの石積みや石垣、墳墓の跡だけが残っているだけです。

もともと中世から近世の豊前には、英彦山を中心として福智山、普智山、蔵持山、求菩提山、松尾山、檜原山という有力な山岳寺社が展開していました。「豊前六峰」「彦山六峰」とも呼ばれています。中心寺院はそれぞれ金光明寺、等覚寺、宝船寺、護国寺、医王寺、正平寺で、それぞれのお山で多数の坊や行場を持ち修験道の実践や暮らしを営んでいました。

蔵持山(くらもちさん・くらもてさん)は現在のみやこ町犀川上高屋にあり、標高は約470メートルです。ここは千年以上の歴史を持つ豊前屈指の霊山です。『彦山流記』にも彦山四十九窟の第二窟として「蔵持窟」が出てきます。別名、空躰窟・空鉢窟とも呼ばれ、静暹聖人(じょうせんしょうにん)が開いたと伝えられています。彦山領域の北限として「蔵持山法躰岳」とも記されます。

この「蔵持」という名前は、静暹上人が山中で修行していたとき、空の鉢を飛ばして門司関から米を得て、その米を収める蔵を建てたことから「蔵持山」と呼ばれたという伝承です。この「空鉢」は聖観音の化身とされました。蔵持山神社の隣にも上宮や山頂にも観音様が安置されています。

この鉢を空へ飛ばして食料などを得る「飛鉢譚」は、静暹聖人だけでなく白山を開いたとされる泰澄、播磨一乗寺の法道仙人など、日本各地の山岳聖にも同じような伝承があります。研究では、こうした話は古代から中世へ移る時期に、山岳寺院の縁起として各地で形成されたものではないかとも言われています。

千年前の修験者がお山に入り、岩窟で暮らし始める。そこに多くの修験者が集まり一大聖地になっていくというもの。これが全国各地のお山の伝承に遺っているというもの。

特にこの蔵持山は四土結界といってお山を大切に扱い信仰してきた場があります。お山全体が一つの修行と暮らしの場になったのです。その暮らしそのものが聖域ということでしょう。人間がどこまでお山に入り、お手入れすることがもっともこの世を極楽浄土にするのかを実践したのが修験道開祖たちの生き方です。

それぞれのお山には、魂が遺ります。

その魂に触れ、どう甦生させていくかは今を生きる私たちのお山への新たな関わり方が鍵を握ります。お山と結び、かつての人々が志した美しく澄んだ「じねん」の生きざまを実践していきたいと思います。

場の甦生医

場というものには全てが宿ります。場の力がどのようなものか、それはそれぞれに異なります。私は、本来の場の使命やご縁を辿りそれを洞察し甦生するのが得意です。

一見、何もない場に観えてもその場がどのような場であったかは余韻に遺ります。いくら鬱蒼とした森であってもそこに在る存在をよく観察するとその場がどのようにしているか、どうしたいのかという意志が働いているのが分かります。

そもそも場というものは、あらゆるご縁の集合体でもあります。そして無限に結ばれた関係性の集積とも言えます。それを紐解き、解き、また結び直す。これを場に投影して手入れをするのが私の本業であり場の甦生医としての役割です。

例えば、極端かもしれませんがこの広大な宇宙の中で銀河系がありその中に太陽系があり地球があります。すでにここから最初の場ははじまっています。なぜお水があるのか、お月さまが寄り添うのか、そして人類が居るのか、今があるのかと辿っていけば今の場が読み解けます。さらに、今の自分がいただいているご縁からつながりや関係性を直観すると場のお手入れの要点が決まるという具合です。

実際に、それぞれの時代や社会ではそこに流れている時間軸が異なり動いています。

現代はコスパ、タイパの時代ですからスピードばかりをあげて効率を優先しています。なので、対処療法の時代です。目先の問題にはお金も時間も人も費やしますが長い時間をかけて取り組んでいくことや、じっくりと非効率でも小さく循環を促していくような積み重ねには予算も人も費やしません。

時代が変わればこの逆の時代もあります。人の価値観や生き方、つまりは時間がどのように使われているのかでその時代の本質は読み取れるのです。

とはいえ、目先のことばかりに対処療法に追われるとその副作用が連続して結局は破滅してしまいます。身体であれば、病気ばかりを見ては人を観ず、全体を無視すれば次第に打つ手が失われて崩壊していくのに似ています。環境問題などはまさにこれに似ていて、打つ手が次第に失われてきています。

だからこそ長期的に観て、さらに緊急性が高く、もっとも今、改善していくものを小さく手入れすることに尽力していかなければこの先の真の課題が先送りになります。

私が徳積循環をはじめ、暮らしフルネスなどの実践をするのもこの先送りできない問題を解決するためのお手入れの要諦に集中しているからです。

ただし、現代社会の効率優先の時間軸の中でその逆のことを行うというのは時代に逆行する分、負担も衝撃も障害もあります。しかしどの時代も風穴を開けたり、水を流れるようにするのは時間もかかるし投資も必要です。

引き続き、場の甦生医の取り組みを実践しながら未来と今を結んでいきたいと思います。

法螺貝とめぐり逢い

連休中は法螺貝と向き合い、法螺貝をつくっています。その人の波動や相性、ご縁をよく観て法螺貝が結ばれます。不思議ですが、その人に最初から出会うように私のところに貝はやってきます。

現代では、商品として何でも価値をつけて売買されていきます。価値さえ誰かがつければそれが価格というものになります。この世の中では何でも価格にしてお金に換金していきます。お金の価値は本来は紙屑です、あるいは仮想通貨などは単なるドットの一つです。

しかしそれが長い時間を経て醸成されてきた自然物に対して簡単に費用が決まります。その費用の決め方も希少性や人気があるかどうか、あるいはその時代の流行や欲望の影響を受けていきます。テレビやインターネットでの宣伝や評判などもあります。人間の都合で値決めされ価格がでます。本物が手に入らないとわかれば、偽物でも本物ようにして価格を決めて換金していきます。そのうち、偽物ばかりが増えて本物風が市場ではやり取りされ本物は誰も見たことがないという始末です。

本物はお金で買えないから本物風で妥協するというのは、最初からそれは手に入れるものではなかったのではないかとも思います。自然物というのは、あらゆる関係性やご縁が結ばれて一期一会に姿を顕現していきます。人の計画通りにできていないからこそ、自然であり唯一無二の価値があります。

価値というのは、人間が価値を決めるものでは本来はないのではないかということです。そのものにはそのものの価値がある、それが本物です。そしてその価値は、あらゆるご縁が無限に結ばれてできているものです。

なのでご縁をいただいた、結ばれて今、あなたのところに現れたと感謝しかない気持ちに出会います。それが真の価値を与えてくれるものです。

色々な人の手や、色々な偶然の組み合わせがあってあなたの元にやってきた存在。

その存在をどのように大切に受け取るか、あるいは存在に感謝できるか。

一つの法螺貝が一生のめぐり逢いを豊かにします。

私はいつもご縁を結ぶとき、そしてお渡しするときに儀式をします。その儀式は、ご縁を結ぶ感謝の儀式です。金銭では交換できない、関係の儀式です。

今のように何でも便利に交換できる便利な世の中だからこそ、法螺貝はそうではない螺旋の道を示してくれます。また週末は、新たな法螺貝の人たちのめぐり逢いがあります。

丁寧に暮らしを調えていきたいと思います。

お山の暮らしの甦生

地域のお山や英彦山流域の甦生に関わりながらもう一度、お山とお水の関係を深めています。そもそも水を蓄えられる山とは何か、なぜ何年も何十年もお水が湧き出てくるのか。そこには、お山とお水の関係性がありそれを調和する場が醸成されていることに気づきます。

例えば、お水が溜まり続けるお山は天から降った雨をすぐに川へ流さず、落ち葉や土、風化した岩、岩盤の割れ目などに浸み込ませ、地下に一度蓄えてから、時間をかけて少しずつ湧き出させる力があります。そのため、雨が降らない日が続いても沢や湧水が比較的安定して流れ続けることができます。

その逆にお水が蓄えにくいお山では、表土が薄かったり、地面が締め固められていたりして、雨が地下へ十分に浸透せず、地表を一気に流れます。そのため、雨のときには急激に水が増え、雨が止むとすぐに水が減ります。つまり水源のお山とは、お水の量ではなく、ゆっくり沁みこみゆっくり湧き出すという偉大な時間をかけて静かに穏やかにお水が循環する仕組みが働いているのです。

日本の現代のお山の問題は、この山が水を受け止め、蓄え、ゆっくり流す力が弱くなっている場所があることだといわれます。人工林の管理不足や過密化、表土の流出、林道や造成、土壌の締め固まりなどによって、雨が地下へ浸み込まず、一気に谷へ流れやすくなることがあります。その結果、大雨時には急激に増水し、晴天が続くと沢や湧水が弱くなるという、水循環の偏り発生していくのです。

これは単に木の本数や種類の問題のことだけを言うのではなく、土・水・植物がつながって働くお山の水循環そのものが大いに損なわれている可能性を示唆しています。お山がいつまでもこの状態が続くと、お山は「雨を受け止める場所」から「雨を一気に流す場所」へと変わっていきます。そして大雨のときには土砂や水が急激に下流へ流れ、晴天が続けば沢や湧水が出なくなる。この洪水と渇水の振れ幅が大きくなるほど土壌流出、斜面崩壊、水源の不安定化、生きものの減少へとつながっているということです。

最近の宿坊の近くの沢も、お水の流れが減ってきています。渇水状態が続き、雨が降れば洪水のように流れます。これは受け止める力が失われてきているという証拠でもあります。土が乾燥して硬くなり、お水が蓄えられなければ、多様ないのちを育めなくなります。

かつての日本の山は、薪や炭、落ち葉、下草、木材などを得るために、人が日常的に山へ入り、お手入れされていたといいます。これを里山文化ともいいます。つまり人の暮らしと山の循環がつながっていました。つまりお山の暮らしがあったのです。

現代では、化石燃料や輸入材の普及、過疎化、林業の衰退などによって、人が山へ入る機会が大きく減りお山に人もいないし、暮らしなどは完全に消失しています。機能としての観光や登山などのアミューズメントは残っても、暮らしがないのです。

人とお山との関係の断絶は暮らしに現れてきます。

本当にお山を甦生しようとするなら、私が宿坊で取り組むようにもう一度、お山の中に棲みお山との暮らしを結び直すことが急所ではないかと直観します。

大地の再生で学んだことや、自然農や伝統文化などで得てきた智慧をお山の暮らしに活かしていこうと思います。まずは小さく、足元の実践から暮らしを調えていきたいと思います。

存在と変化

日本の言葉には、太陽の変化を数々に顕すものがあります。私たちは自然の変化のあらゆるものを切り取ってその瞬間を言葉にして表現しました。太陽は本来は、暮らしの中心であり私たちはどの太陽の時が今がどのような関係性と繋がりの中にあるかという場としての認識を持って暮らしを営みました。

例えば、太陽の状態にはこのようなものがあります。

 

宵(よい) — 日が暮れて間もないころ。光が去り、夜へ入っていく。夜半(よわ)・夜中 — 夜の深いところ。光からもっとも遠い時間。暁闇(ぎょうあん) — 夜明け前の暗さ。朝が近いのに、なお闇の中にある。暁(あかつき) — 夜が明けようとするころ。「明か時」とも考えられる、朝への転換点。有明(ありあけ) — 夜が明けても月が空に残っている状態。「有明の月」という美しい言葉があります。東雲(しののめ) — 東の空がほのかに明るくなってくるころ。曙(あけぼの) — 夜がほのぼのと明け始めるころ。ものの輪郭が光の中に現れてくる。黎明(れいめい) — 夜明け。特に「新しい時代の始まり」という比喩にも使われます。朝ぼらけ — 夜が明け、あたりがぼんやり明るくなったころ。和歌で非常に大切にされた言葉。日の出 — 太陽の上端が地平線・水平線から現れる瞬間。旭(あさひ・きょく) — 昇る朝日。特に、昇り始めた太陽そのものやその光を表す。朝日(あさひ) — 朝の太陽、またその光。「旭」より日常的で広い表現。朝陽(ちょうよう) — 朝の太陽・朝日の光。「陽」には日なた・太陽の光という意味があります。日盛り(ひざかり) — 太陽が高く昇り、日の光が盛んなころ。斜陽(しゃよう) — 西へ傾いた太陽。「盛りを過ぎる」という比喩にもなります。夕日・落日(らくじつ) — 沈んでいく太陽。黄昏(たそがれ) — 日没後、ものの姿が判別しにくくなるころ。「誰そ彼(たそかれ)」に由来するとされます。

私たちは変化の最中に発生しているものをそれぞれに表現します。しかし言語というものは、あくまである条件の中の一部を切り取っただけで同じものは存在しません。例えば、今朝の朝ぼらけも昨日の朝のものとはまったく別のものです。

何でも標準化するというのは、私たちが便利な道具を用いて感覚を表現する方法ではありますがそれによって失われていくものがあるのは残念なことです。

本来、川は川か、上流と下流は別のものか、雲や雨は別のものか。変化そのものと観ればこれは分かれていない存在であることに氣づきます。

かつて老子は、『老子(道徳経)』第一章の中で「道可道、非常道。名可名、非常名。」といいました。これは意訳ですが道として言い表すことのできる道は、永遠不変の真の道のことではない。言葉として名として名づけることのできる名は、永遠不変の真の名ではないのである。と、道は言葉で顕せられないつまり変化そのものであると。

つい頭で何でも理解する癖がついてくると、本物の変化やありのままの存在を感じられなくなるものです。いくら言葉で理解してそれを上手に伝えられるとして賢くなった、偉い人のように本などを読むとつい勘違いますが実際にはそれも切り取られた一部を価値として認識しただけです。

太陽のすごさや偉大さは言葉ではとても語れません。

だからこそ存在を丸ごと感じる、つまり感性を磨き感謝をして拝む中で実感していたのでしょう。

人類は今、既得権益やエゴの増幅でこの歪んだ現実に呑まれてしまい大切なものを忘れていきます。

引き続き、場を通して子どもたちを見守り本来の変化のハタラキがさらに活きるように徳を磨いていきたいと思います。

 

育つ場

暮らしというと、日々の生活のことを指します。しかしこの暮らしという言葉はそれぞれの認識で異なります。言葉というものは、その人の経験や観念、価値観などでも意味が異なります。深さも広さも認識も異なりますから実際にはきちんと共通理解することができません。あくまで文字は脳が理解の入り口としてイメージできる範囲で道具として用いられます。

しかし共通理解は、同体験などを通して深まります。そこで言葉の定義や意味も後から追いついてくるものです。理念というものを用意し、それをみんなが日々の実践や行動と振り返りを通して学んでいけばその体験したもの同士は理解が深まり言葉の意味も変わってきます。

そのうち、理念の一歩先へと成熟していくのが「場」です。

いちいち言葉にしなくても、また誰かがいなくても、それは「場」によって理解されます。場ができてくるというのは、文化になるということでもあります。

文化ができれば、場がはたらき、それまでの本質やご縁や関係性が結ばれていきます。そして文化ができるには、それが連綿と続けられる循環が必要です。そうやって悠久の流れが循環してきた道の跡が文化になるのです。

現代は文化財だけ残して関係性が消えてしまったものがたくさん増えています。

使われなくなった寺社仏閣、古民家などもそうです、休耕田やかつての信仰のお山。路傍にある石像や井戸なども同じです。

かつて「育つ場」があったものが、分断され役割が失われ伝統や伝承、文化が途絶えました。

本来、人が育つというのはどういうことか。

これは「じねん」といって、人間の計画することよりも先に動いている育つ力があるということです。

つまりその場に元々あったご縁やはたらき、あるいは神はからいに対して人間も一緒に結ばれその徳がより発揮できるように調えるということ。

そう考えてみると、暮らしの喪失とはじねんの喪失なのです。

私が子どもたちのために徳積循環をいのり行動している理由もその一点です。理念を場に置き換えるというのは、じねん本来の役割を発揮させるためであり子どもたちのじねんを見守りよりよい人類の未来のために流れを途絶えさせずに次へその恩徳を還していくためです。

時代の変わり目、心のふるさと、かんながらの道に氣づいた人たちと育つ場を創っていきたいと思います。

じねんの場

便利な世の中というものは何か、それは関係性で結ばれるよりも交換をすることで得られる価値が優先された世の中ということです。

資本主義は、交換経済と個人の利益の増幅化ともいえます。これは深く繋がっています。個人の欲望を最大化すると必ず関係性に綻びがでてきます。関係性があるからそれぞれが自律して互譲互助していく場が育ちました。関係が失われれば何でも交換できるようになっていきます。

例えば、お山であれば今では土地を購入しソーラーパネルを設置しています。これはお山との関係性は無視して山の資産価値だけで判断してお金で交換しています。本来、お山からお水を含め、食料や空気の循環、様々な生態系の安心安全などがあって私たちの先祖たちはお山を守り大切に見守ってきました。そしてそこには、暮らしがありました。

水路を調え、間伐をし、薪をいただき、神様を祀り、木を植えました。これは日頃いただいている恩恵に対する恩返しのような暮らしです。そもそも暮らしは信仰という言葉もありますが、私たちが活かされている、そして生きているという自然(じねん)の中でご縁を結び、関係性が滞らないようにしていたのが暮らしの本質です。

現代は、暮らしまでも価値をつけてお金で交換できるようになっています。

私たちは暮らしフルネスの実践をしていますが、別に行事をイベントにして収入を得るためにやっているのではありません。日々の私たちの暮らしと関係性を結び、一緒に暮らしのリズムを取り戻していこうとする育つ場の共有をしているだけです。

場ができることで、そこに集まる人たちが場をさらに結び関係性が育ち文化が醸成されていきます。

しかし現代は、そうとは思われず単にむかしの文化体験ができる施設のように勘違いされるものです。それは循環やリズムから遠ざかった生活をしているからかもしれません。

かつての自分も同様に、関係は交換していましたし、何でも商品化して資産化できるものとしていたし、誰か専門の知識があればいいとし、自分は世界から独立して存在しているとも思っていました。それくらい便利な社會は、自分の思い通りにできる場だと思っていました。人間は何でも思い通りにしてずっと以前からある自然や暮らしのリズムから遠ざかり、思い通りの世界をつくりました。

それが多くの関係性を分断してきました。

別に太古のむかしに戻そうといっているわけではありません。しかし徳積循環経済のように経済の中に徳が循環するようにし、関係性を快復させようと努力していきましょうと実践。そして現代の生活の中に、可能な範囲で自然のリズムや循環、そして暮らしを実践していこうとお声がけしながら一緒にやりましょうとお誘いしているだけです。

人生の真の豊かさは、ご縁とつながりの繁栄のなかに存在します。人は一人では生きられません、多くの存在に活かされているものです。活かされているなかで「じねん」に生きる喜びはすべてのいのちが耀く未来です。

環境が変わってしまっているからこそ、考えなくなるとつい流されてしまいます。暮らしを日々に調える実践を通して、関係性を結び直し甦生していくこと。

子どもたちはじねんですから、子どもたちのいるじねんの場から暮らしを甦生させていきたいと思います。

人類の初心

徳積堂の十五夜祭の準備をしながら中秋の名月に向けてゆっくりと暮らしフルネスを調えています。お月さまを意識する暮らしをはじめてから御蔭様で、お陰様に氣づく感性が磨かれてきたように思います。

満ち欠けというのは、陰陽調和の真理です。

特に農耕をしていると、春に種を蒔き、夏には生い茂り、秋に実りそして冬に次のいのちの種になる。これは満ち欠けと陰陽調和そのものです。

そして秋というのは、実りの秋。

もっとも満ちている状態、調和の状態を直観できる場が醸成されていきます。

ふと耳を澄ませば、鈴虫やコオロギなどの穏やかな鳴き声。眼を凝らせば稲が月光で照らされ神々しい風景。肌を通る静かな風はうっすらと水氣があり心を和ませます。鼻からは乾燥した空気の薫りが侘び寂びを伝えてきて、芋や茄子など秋の味覚が磨かれ元氣が湧きます。夜のお月さまと共に全身の感覚が次第に鎮まってきます。

太古のむかしから人類は秋のみのりに家族が集まり感謝してお祝いしてきました。それが一家団欒です。日本全体、アジア全体、あるいは地球全体でそれぞれの民たちがこの中秋の名月には、安心と懐かしい未来、そしていつまでも平和が続いてほしいという祈りをしてきました。

つまりここに「人類の初心」があるのです。

私が中秋の名月を大切にし、また十五夜祭と十三夜祭をするのは初心に帰ることで暮らしを調えるからです。

なので静かにお月さまを待ちます。

心はお月様を観ては自己を照らします。

本年の実りと感謝を永遠に記憶に刻んでいきたいと思います。

月の徳

まもなく中秋の名月で、徳積堂では「十五夜祭」を開催します。もう随分、月のリズムで暮らしを調えていますがこの秋の月を観照するのは、自己の一生を鑑照する対話の時間にもなります。

私たちのご先祖様たち、むかしの人たちは日々の暮らしを月と一緒に過ごしてきました。月は脳の暦でもあり、身体の暦です。ひと月、ふた月と、月で日を観ます。そして太陽で季節を合わせます。この月と太陽で私たちは日々を観てきました。

太陽には角度があり、月には満ち欠けがあります。螺旋のリズムを感じながら、その自然の一部である人間の身体も同じリズムで暮らしを調えました。

現代は、日々に忙しく人間都合のスケジュールや欲望で月のことなどを思い出すことも少なくなっています。

しかし月が私たちに与えてくださる恩恵は偉大で忘れられるものではありません。

月が引けば海が動き、海が動けば生き物が動き、月が満ち欠ければ夜の光が変わる。そして生き物はそれに合わせて行動し、人間はその周期を読み、暦をつくりました。その暦の御蔭さまで暦に合わせて種を蒔き、収穫し、祈り、祭り暮らしができます。

自然から離れて暮らしていると、月の有難さを感じにくくなっていくのもわかります。

でもせめて一年に一度、たった数時間だけでも太陽が知らせる秋の美しい夜空の中秋の名月を感じる時間を、自分のためにも、先人たちへの感謝のためにも、あるいは月との関係やつながりを大切にするためにもあってもいいのではないかと私は思います。

この時機の月の光は、眩く集まった仲間たちと水面に浮く満月の光を楽しみます。そしてお月見団子をお供えし秋の味覚を味わう。美しい音楽の調べと心地よい癒しの場。

中秋の名月の本質を語っている江戸時代の作者不明の詩があります。

「月々に 月見る月は 多けれど 月見る月は この月の月」

現代に意訳すれば毎月、空には月があり、月を眺める機会はいくらでもある。けれども、「月を見る月」といえば、やはりこの八月十五夜の月であるという意味です。

来週の9月25日の中秋の名月、ここから暮らしの循環を取り戻していけるといいですね。