一期一会の言葉

私たちの使っている言葉は道具です。何の道具かといえば、思いを伝えるための手段です。最近は便利に情報の一つになっていますが本来は何か伝えたいことがあるから用いているものです。これは心と直結しているものです。

人は感情で言葉を用います。その言葉は時には激しく誰かを傷つけます。或いは、周囲を不快にさせるものがあります。怖い言葉から、優しい言葉まで様々です。ある人は、言葉を使って周囲を仕合せにし、思いやり助け合い居心地のよいものにします。

つまり言葉は道具ですが、単なる道具ではなく生き方そのものということになります。その人の生き方が言葉になり、周囲を変えていくからです。

そう思うと、美しい音色を奏でる鳥たちや自然が放ってくる様々な音も言葉ともいえます。特にこの新緑の季節は、瑞々しい風に吹かれて爽やかで透明な光や空気に心が癒されます。春の清々しいゆらぎは言葉にも影響が出てきます。

私たちの心は優しい言葉に包まれるとき、優しい言葉に心が緩んでいくものです。

何を伝えたいのか、何のために伝えるのか、私たちは自分の言葉でそれを常に確認しています。自分の言葉は鏡のように自分に帰ってくるものです。放ったその人に巡り巡って回帰するのです。時に人の間を通り、時にこの世界の空気を通り、自分に帰ってきます。自分が一番望んでいることや、自分に一番必要なことが回帰するのです。

人に言っているようで自分に言っているというのが言葉の本質だとも言えます。わからせようではなく、気づこうとしているのです。だからこそ言葉を大切にしていく必要を感じています。

自分がなぜそれを思うのか、何のためにこれを言葉にするのかと正対するのです。

残りの人生もあとどれくらいの言葉を語りそして綴れるのかというと、そこまで多くはないことがわかります。思いを載せて、大切な人へ大切な思いを伝えてそして受け止めて受け容れて一期一会の言葉を磨いていきたいと思います。

いつもありがとうございます。

みずから

現在、浮羽の古民家の井戸を甦生していますが困難が続いています。毎回、試練というか自然に指導されるように物事が動きます。心身も削られますし、自分の中にある常識が毀されていきます。むかしの人たちの生き方や意識や考え方と、自分たち現代人があまりにも乖離していることを痛感して謙虚さを思い出させられます。

便利な世の中で今では水は当たり前に蛇口をひねったら出てきます。コンビニに行けば、ペットボトルで買えますしトイレなども水洗で大量の水が流されます。田んぼも干ばつなどは少なくなり、むしろ大雨や洪水に悩まされる方が多いものです。

しかしよく考えてみるとすぐにわかりますが、この水は何よりも尊いものです。水が出るということ、水が来るということがどれだけ有難いことだったかと感じます。むかしは毎日、丁寧に樽や柄杓のようなものでくみ上げていました。最初の水を神棚に祀り、感謝をして感謝を忘れずに一日を過ごしました。

美味しい水が毎日飲めることなど、とても仕合せなことだったように思います。水があることで家族の健康が保たれ、農耕も安産も工芸も商売繁盛もすべて成り立っていたのです。水があるかないかで日々に一喜一憂したように思います。私たちが呼んでいるカミ様も、火と水でカミともいうといいます。火と水がなければ私たちは生かされません。なのでそれが大前提ということでしょう。

平和な時代、何でも物が便利に溢れる時代はカミ様の存在も次第に忘れられていくのでしょう。

井戸の神様の名前は、弥都波能売神(みづはのめ)、日本書紀では罔象女神(みづはのめ)と書きます。これは和久産巣日神(わくむすび)と共にイザナミから産まれた神様です。

このみずはのめの「みづは」は「水つ早(みつは)」と解釈して「水の出始め」、つまり水源や泉、井戸などを指すという意味や「水走(みつは・みずばしり)」として灌漑の引水を指すという意味もあるそうです。

私たちが日ごろ使う「みず」という言霊は、水が自ら出るところを指している言葉なのかもしれません。井戸はそのみずが集まる場所を意味します。お水が集まるところへの井戸の神様に対する気持ちが失礼になっていないか、色々と反省することばかりです。

今回の古民家甦生でも、自分の無知と先人や目に観えない存在への尊敬と配慮のなさに情けない気持ちになります。刷り込みがまだまだたくさんあることを知り、刷り込みを一つずつ削り落としていきたいと思います。

みずからの学び直しを心を籠めて取り組んでいきたいと思います。

蕎麦の文化

蕎麦打ちをはじめて蕎麦を食べ続けていますが、お米と同じように飽きることはありません。特によい蕎麦はとても美味しく、こんな素晴らしい食べ物をなぜ今まで知らなかったのかという感動が何度も押し寄せます。

私は十割で打っていますが、世の中の蕎麦屋さんでは小麦や山芋を入れているところが多くあります。最近のチェーン店では麺に蕎麦も入っていないのに蕎麦といっているところもあります。

蕎麦は日本の大切な文化なのでその尊厳を守ってほしいと願うばかりです。

蕎麦は、中国が原産とも言われていますが実は日本でソバの栽培が始まった時期はそれよりももっと前からあったといわれます。高知県内で9000年以上前の遺跡からソバの花粉が見つかり、当時からソバが栽培されていたことが発見されました。またさいたま市岩槻区でも3000年前の遺跡からソバの種子が見つかっています。つまり縄文時代からすでに私たちの先祖は蕎麦を栽培し食べていたということになります。

お米はというと、縄文時代の後期(約2800年前)とされていますので蕎麦は日本人の食のルーツの一つであるのは間違いありません。

もともと「蕎麦」という字の由来を調べると、蕎麦の「蕎」という字は、「とがったもの」とか「物のかど」を意味する「稜」のことです。蕎麦の実が三角卵形で突起物になっているのが理由でそれでその角がある形状から、「稜麦(そばむぎ)」と呼ばれていたといいます。

この稜という字を重ねると「稜稜」といって「稜稜し(そばそばし)」とい言葉がありました。これは「かど立っていて、よそよそしい」という意味だそうです。そこから「高層建築物の上の草」を意味する「蕎」という漢字が使われるようになり蕎の字になり「そば」と呼ばれています。そして麦は、小麦や大麦と区別するために蕎麦となりました。

蕎麦の麺だけをみていたらとがったものというイメージがないかもしれません。私はそば殻の枕を使っていますから頭の高さを調整するときに中身をみるととがっているのがすぐにイメージできます。

今は機械がありますが、むかしの人たちはこれを石臼で丁寧に脱穀して大変だっただろうと思います。さらに石臼が入ってくる前は、どうやって脱穀したのだろうかと。きっと煮込んでスープにしたり、小さく砕いてパンのようにしたりして食べていたのかなと想像できます。

今では信じられないかもしれませんが、ずっと以前の私たちのご先祖様たちはそうやって食べ物として大切に栽培してくださったことを思うと頭が下がります。蕎麦は今でも日本人に人気ですから、これからも大切に初心を忘れずに食べていきたいと思います。

重さのハタラキ

この世には重力というものがあります。これは簡単に言えば「重さ」です。そのものの重量とも言っていいものと思います。私が小さい頃から虫や動物を飼うことが多かったのですが、それらの生き物は死んだら軽くなります。この時、実際のグラム数ではほとんど感じないものですが軽くなる感じがするのです。

それとは別によく幼い子どもたちを連れて山登りしていたのですが、おんぶや抱っこをしていて子どもが起きているときはいいのですが眠ると重くなります。これは重心の問題があるといいますが、重さは生き物が生きているバランスと影響しあっていることに気づきます。

また或いは体調を崩したり疲れたり寝不足になると体が重たく感じます。他にも意識として嫌なことや心で思ってもいないことは重たく感じます。これらを観察してみると、この重さには重心があり重力がありそこには確かに単なる物質的な重さだけではないものが働いていることを直観するのです。

水というものにも重さがあります。これは氷や液体、そして気体でも変わります。しかし、低気圧の厚い雲の下や膨大な水量を持つ湖や海だと重みを感じます。逆に秋晴の空や山の上などにいくと軽く感じるものです。

つまりこの「重さ」というものを私たちが感じるときには、物質を超えた何かと触れ合っているということになります。これは熱を感じるときに似ています。私はガスの火や炭の火や太陽の火などでは火の感じ方が異なります。熱もまた重さと同様に、単なる物質的ではない火がありその影響をとても深く体で感じていきます。

私たちはいのちというものを直感し、感得するのに五感や六感、あらゆる感覚を駆使して稼働させていきます。思想や思念もまた、先ほどの重さや暑さを伝道しているのです。

私たちは小さく生まれそれが大きく重たくなりまた小さくなり軽くなります。それが人間の一生です。次第に気楽になって気軽になり、体も軽くなって極楽にいくのでしょう。重くなくなり軽くなることが自然の循環だとすれば、私たちの重さの源は一体何かということを思うのです。

重力や重心には、まだまだ深めていく面白さがあります。新しい修行を追及していくなかで、様々な智慧を顕現させていきたいと思います。

 

不易=流行

不易流行という言葉があります。これは松尾芭蕉の俳諧の理念の一つだといわれます。芭蕉は「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」とあります。これは「不変の真理を知らなければ基礎が確立せず、変化を知らなければ新たな進展がない」という意味です。

私の解釈では、自然は普遍ですが人間の価値観は変化していきます。自然の真理を深く理解している人だけが、何が不自然かがわかるというものです。そして不自然が理解できるからこそ変化がわかるということでしょう。

例えば、過去の歴史を省みると近代はあらゆるものが新しくなっています。建物をはじめ食料、生活用品、お金などその時代に発明されたものが進展して今があります。しかし元々何だったのかを見極めていくと何が本来の自然の姿であったかに気づきます。そしてそれがどう複雑化してきたのかもわかります。特に現代は何でも簡略化して合理化して大量生産し大量消費する価値観へと人類が移動してきたからそういう進展を経ているということです。

これは決して物だけではなく意識の変化も同様です。人間は時を体験することでそれまでのことを新しくします。この時の新しくというのは、変わっていくということです。同じことを繰り返していくうちに、同じではなくなっていくといった方がいいのかもしれません。

本質的に同じように取り組むのなら変化に対して変化に応じていかなければ本質が維持できません。これをしなくなると形骸化していきます。現在の文化財保護などもよく眺めていたら、一昔前に文化財が破壊されまくっていた時代には必要な保護でしたが現代ではその保護がかえって破壊を進めています。ショーケースにいれてただ見学するような文化財はすでに終わったものです。

本当は歴史や文化は不易流行があってこそ成り立つものです。それをしないで、文化財の保護や活用をいくら専門家が集まって議論してもそれが新たになることはありません。特に今の時代は、流行が真理のようになっていて不易を知る人はほとんどいません。それくらい何が自然で何が不自然か、もっといえば何が常識で何が非常識かもわからなくなっているちぐはぐな時代だからです。

だからこそ、不易流行の原点回帰が必要になってきているように思います。そのためには、不易=流行にする精進が必要です。意味のなくなってしまったものを甦生し、形骸化されたものを根源的に実践する。

道のりは長いですが、私なりに暮らしフルネスに取り組む中で一生をかけて精進していきたいと思います。

剣聖や医聖の生き方

塚原卜伝という人物がいます。のちに剣聖と呼ばれる人物です。戦国時代に戦わずして勝つという思想を持ち、その極意である一之太刀は「国に平和をもたらす剣」であるとされ尊敬されたといいます。

よく考えてみると、戦国時代はまさに戦いの世の中です。戦いを終わらせるために新たな戦いをしては戦国時代は終わりを見せません。仮初の平和というのは、強いものが出て仕方なく戦わないでいるだけで弱くなればまた争いの世の中です。人類史の歴史は、いつまでもこの戦いを続けています。戦いというのは、ある意味で人類にインプットされた必然なのかもしれません。

だからこそ、どう戦いを終わらせるのかというのが勝つということかなのかもしれません。この剣聖の塚原卜伝は、無手勝流といって戦わないための仕組みを考案しました。その一つは、戦わないということを極めることで未然に戦いを防ぐ意識であったり、あるいは敢えてそれを避けるために行動するということです。侍であれば非常に憶病にみえますが、実際の戦いでも一度も負けたことがありません。この負けるということの定義が、一般的な勝ち負けではないことはすぐにわかります。

そういえば以前、似た話で扁鵲のことを書いたことがありました。これは中国の同じく春秋戦国時代の伝説の医者のことです。この扁鵲はその時の皇帝から認められた真の名医ですが兄弟の中ではもっとも自分の医術が低いといいます。それは長兄は発病する前に未然に防ぐ人で、次兄は病気が軽いうちに少ない薬と施術で治す人で、扁鵲は病気なってから人を治す人だからだといいます。

発生する前に決着が着いているというのが、まさに戦わずして勝つということなのでしょう。

今の時代の有名人や評価されている人たちは、果たしてどれが一番でしょうか。私は塚原卜伝や扁鵲の長兄のような人物こそがこの世を平和に導く真の聖者ではないかと感じます。もちろん、それぞれに役割がありますがだからこそそういう市井の隠者のような人物を探し求める必要があるのではないかと思います。

世の中の変革は、決して目立つような派手なところ、権力があり膨大な財力や名声があるところで発生しているのではありません。塚原卜伝や扁鵲の長兄のような人物が裏で支えているのでしょう。私もそうありたいと思います。

子孫のためにも、人類の未来のためにも徳を磨いて徳の循環する世の中に貢献していきたいと思います。

一生の自分

昨日から宿坊に来客があり共に過ごしています。どの方も、一つの人生をやりきっておられる方で好きなことをして成功されている方々です。人生は会社が終わり仕事が終わったら終了というわけではありません。人生は続く限り、私たちは最後の日までどのように生きるのかが試されています。

思っていたものとは異なるのは、周囲と比較してこういうものだと思い込むことが多いように思います。一般的には、誕生してから学校に入り勉強し社会人になり成功し余生を孫たちに囲まれて送るというものです。その間は、無病息災に大きな事故もなくと、これが平均だと思い込むのでしょう。

しかしそんな人生であっても、紆余曲折を繰り返して思った通りにはいかないものです。大体、思ってもいないことに遭遇して人生は大きく変化していきます。思ってもないことの方が人生ともいえるように思います。

だからこそ、思ってもいないことに挑戦したり導かれたりすることに意味があるように思うのです。そしてそれは出会いによって、養われていくものです。

誰と出会うか、何と出会うか、そしてどの自分に出会い直すのか、すべて出会いが人を変えてくものです。

人生を終わりにできないのは、出会いがあるからです。そして出会おうとする気持ち、もっと別の自分に出会いたいという好奇心や志があると人は青春を続けていけるように思います。

一生青春というのは、一生の自分との出会いということでしょう。

新しい門出に相応しい見守りができるように真心を盡していきたいとおもいます。

場と人を結ぶ

聴福庵には珍しい方がたくさん来られます。そして多くの方が影響を受けてその後の人生が変わっていく方がいます。一つの家に出会うことで人生が変わるというのは大げさのように思えますが、そういう私も思い返せばこの家に出会ったことで色々なことが変わりました。

人が誰かに出会って変わるように、人は家というものに出会っても変わります。

家というのは、一つの伝承の器のようにも思います。言葉にできないものや文字にならないものを仕組みにして伝えていくのです。まさにこれが日本家屋の真髄の一つかもしれません。

特に自然淘汰の中で、それでも長い年月を経て遺された場所や家には不思議な力があります。その力は、永遠の力というか形を変えても価値観が変わっても失われていきません。それを守り甦生する人たちによって何度も息を吹き返していきます。

これは人間の生命も同じです。人の一生は限られていますが、そのいのちや志というものは代々受け継がれていくものです。形をかえても、何度も人を変えては甦生していきます。大事なものは伝承されていくのです。

それを保つもの、それを結ぶもの、繋ぐものとして私たちは器というものを用意します。その器は別では場ともいい、空間にいつまでも宿るものです。その宿っているものを形にする力、まさにこれは物づくりの醍醐味でもありますが敢えて形にすることで私たちは出会いをいただくこともできるように思います。

人との出会い、物との出会い、出会いは全てを一瞬で変えていきます。

そういう出会いがある場所に出会えたことも奇蹟であり、私はとても恵まれていることに気づきます。御恩をいただき、ご縁に感謝して場と人を結んでいきたいと思います。

社會の御蔭さま

息子が関西の大學に入学し、これから一人暮らしをはじめます。あっという間に大きくなって次第に自分の役割をみつけて社會に入っていきます。自分の若い頃を思い出してみると、ただ野心だけがあって早く大人になりたいと焦っていたようにも思います。

競争社会の中で、成功することや勝ち抜くことを考えては他人とは違うことをしようと挑戦していました。今思えば、自分は何者かを早く知りたかったからもしれません。偉人の本や、ビジネス書を読み漁っては世間でいう立派な人や有名な人を目指していたようにも思います。現実とのギャップに苦しみながらも、自分の可能性を信じては色々と試してあちこちと移動していたように思います。

自分というものを知るというのは、人生の大切な一大事です。

このブログもですが、毎日体験したことを振り返って掘り下げて自分と対話を続けていると自分が何が好きで何が嫌いで、どうしたくて何を感動したのかなどがわかってきます。他にも、いただいている恩徳やご縁、またありとあらゆるものへの感謝の気持ちなども湧いてきます。

もう気づけば、新しく生まれてくるものが周囲に増え、同時に亡くなっていくものも増えていきます。中年というのは、その両方を体験でき今の自分がどう感じているのかをより感じやすくなる時期なのかもしれません。

人はたくさん人たちに支えられて生きています。

当たり前の話ですが、水もガスも電気も、そして食材も生活の道具も、勉強も学校も病院もですがどれもが社會を支えながら一人ひとりを助けています。私たちは社會に支えられる御蔭で今のような快適な暮らしを実現できています。

息子の一人暮らしの準備を手伝いながら、一人暮らしといっても多くの人たちに支えられている一人暮らしであることを再実感しました。今ではお金優先で個人主義が強く、孤独や貧しい環境が増えているといいます。これは感謝が循環しにくくなっているだけで、本当はこの日本は水も飲めて島国で親切で環境に恵まれています。

支えられている方を観れば、すべて足りているし感謝を感じればその社會にご恩返しをしたいと思うようになるものです。我々の仕事の本懐は、社會への御蔭様に気づき、その社會へのご恩返しこそが本来の仕事ということなのでしょう。

引き続き、子どもたちが安心して暮らしていける豊かな社會を守る為にも社業を大切に取り組んでいきたいと思います。

役割の尊さ

すべてのものには役割というものがあります。それはそのものにしかないものです。不思議なことですが役割は交代することもあれば、急に別な役割をいただくことがあります。自分がこういう役割を果たしたいといくら思ってみても、あるいは役割が果たせない状態になっていたとしても役割は与えられることがあります。その時々の役割があって、それを体験することで自分というものの可能性を新たに発見していくことがあります。

例えば、器というものがあります。一つのお椀というものでもいいです。はじめはご飯を食べるときに食べ物を容れるものでしたがそれが愛着が湧いて自分の大切な暮らしのパートナーになります、時には汁を容れたり、またある時は子どもの御粥をつくったり、時には保存するものに使ったり、割れたら修繕し、大切な時の縁起担ぎや御守りになったり、そして場をととのえるお花や苔を活けるものになったり、最後は一緒に土になったり、それぞれにその時の役割を全うしていきます。

私は古民家甦生に取り組んでからその「役割」というものをとても強く感じるようになりました。私の身近にあるものは、長いものは数百年の役割をもっていた道具があります。伝来するなかで多くの人たちにご縁があり大切にされ、あらゆる役割を果たしてきました。

色々な役割を経てきたものが持つ美しさや洗練された徳には頭が下がる思いがします。

現代の社会では人間は役割というものを誰かによって決めつけられるものです。あるいは、自分の役割を自分勝手に決めつけては苦しんでいるものです。しかし本来の役割というのは、自然に与えられるものです。

与えられた役割を全うする生き方というのは、仕合せで豊かなものです。他人と比べて幸福の善し悪しを嘆くよりも、自分に与えられた最も尊い役割を実感することで有難い気持ちが満ちてきます。時にはそれが自分の思っていないものかもしれませんし、世間的にはあまりよいものではないと評価されることがあるかもしれません。

しかし不思議なことですが、自分にしかない役割を天が与えてくれていることがほとんどです。それをどう受け取るかは自分次第でもあります。他の誰かにはなれないからこそ、自分の役割を全うする喜びに生きることが大切です。

教育というのは、何かにさせるのではなく、役割に気づいてその役割を全うする中で出会うご縁に感謝していく人を見守っていくことではないかと私は思います。今の価値観では、そして日本の教育環境という空気を吸っている中ではそこは議論の中心になることもなくなっているのかもしれません。

徳というのは、本来は観えないものです。だからこそ、気づく環境を用意して見守るのがある意味での教育者の役割かもしれません。生意気なことを言っているようですが、役割の尊さに気付けることが入り口に立つことだろうと私は思います。

子どもたちに役割があることを丸ごと信じてそれぞれの人生を全うする喜びを伝承していきたいと思います。