暮らしフルネスの本義と目的~日本文明の甦生~

人は今を見直すことに対して過去から考えるものです。同時に今の社會システムの中でどう変えるかを考えるものです。しかし本来、どうありたいか、ゼロベースで何かを創ろうとしたらどう思うか、それは本来、自由自在に取り組めるものです。

例えば、地球ではない別の星にいき自分が文明をその星に持ち込むとします。その時、どのような星にしたらいいかを考えてみます。すると、どうするでしょうか?

今の地球のシステムをそのまま持ち込むでしょうか。将来、こうなるとわかっていてまた同じ文明をつくろうとは通常はしないはずです。失敗したことや、よくないことを鑑みて特に注意して持ち込むはずです。

環境破壊をはじめ、核兵器や金融などどうするでしょうか。今のように修正することが困難になっている文明システムなどは持ち込まないでしょう。ではどのような文明システムなら長く豊かに平和に生きていくことができるか。

人類は様々な文明実験を行っています、そして現代があります。そして日本には日本文明というものがあります。これは縄文時代から続いている文明実験のことです。そして日本人は現代までこの縄文の初心を調和として暮らしの中で息づいてきました。

私が取り組んでいる暮らしフルネスは、その日本文明の実践の一つ、かんながらの道を通して古代から続いている調和文明を甦生する試みです。それを私はご縁と今居る「場」を通して伝承しようとしています。

具体的には、日本人の伝統的な暮らしの知恵を古民家甦生を通して実践する。また自然農をはじめ在来種の種を守り自然のリズムと一体になって暮らしを調える。徳を積むという日本古来からの経済システムを甦生して地域や場の浄化に活かす。他には霊峰英彦山を中心にお山を調え巡礼し拝み、先祖を敬い供養し、心身をかつての法具や作法を甦生して調える。また講や結といった思いやりの共同体をつくり、お互いの徳を尊重して分かち合い助け合い一緒に生きる場を磨く。つまりこれらは全て地球全体のいのちが耀く場を子どもたちに譲り遺しご縁のバトンを繋ぐという日本文明の甦生です。

これが暮らしフルネスの本義であり目的です。

そのために暮らしを甦生し続け、場を一緒に磨く同志や仲間を集めています。私たちの日本文明実験は次に産まれてくるものたちのために行われています。人生は一瞬でありあっという間の出来事です。そして文明実験も歴史が過ぎてしまえばあっという間に露と消えます。しかしこの地球(ほし)をどう感じてどう暮らしたかはその時々の人の生き方が決めるものです。実験は明日いのちが終焉するかのように生き切り、そして永遠の寿命があるように學び続ける一期一会の人の道。

この日本文明実験が最も地球と調和したといわれるような試行錯誤を引き続き実践していきたいと思います。

KOMEI

生態仏教と暮らしフルネス

韓国の実相寺に来て、生態仏教という言葉を知りました。これは環境仏教ともいい、社会参加仏教ともいうようです。一般的には伝統仏教が「どう悟るか」を中心にしていたのに対して、生態仏教は「どう暮らせば、生命の網を壊さずに悟りへ向かえるか」まで問うという仕組みであるとも言われます。

日本の仏教が主に個人の救済や供養・儀礼を中心に社会の中で安定的役割を果たしてきたのに対し、生態仏教は人間・自然・社会のつながりを前提に、暮らしや社会そのものを変えていく実践へと仏教を拡張した点に違いがあるともいいます。

この生態仏教の基本理念は仏教の「縁起」と「慈悲」を、環境危機や地域社会の問題にまで広げて実践するということだといいます。実相寺の最近の法話紹介では「あらゆる存在は普遍的真理としての縁起法によって成り立っている」とし人間は自然から切り離された独立存在ではなく、空気、水、土、他の生命、社会関係の網の目の中で成り立つ存在であるということが前提に語られます。

実相寺の道法スニムはこれを 「インドラ網」 といいます。人間と世界は「インドラ網の世界の存在」であるとし、 同体大悲心 で生きること、つまり「自然を守る」のではなく自分も自然と生命の網の目の一部だから、壊せば自分も壊れるではないかといいます。

また現代文明の危機として、自然生態的災害、極端な格差、人間疎外を並べて論じています。つまり対象は自然だけでなく、消費主義・競争社会・共同体の崩壊まで含む文明全体の問題だとしています。

その解決の方法として、智異山を中心に場をつくり、生き方の転換を実践し文明をつくってみようとする挑戦をします。例えば実相寺のテンプルステイ案内でも、共同体学校は「自然の懐に寄り添い、単純で素朴な暮らしを生きつつ、自分を正しく見る力を養い、隣人とともに村の共同体を育てる道を探る」場にするとし、簡素な生活、共同体づくり、帰農、巡礼、祈り、対話を行います。こうして寺・村・山・暮らしをつなぐ実験として今も試行錯誤を継続しています。

この生態仏教には少なくとも4つの柱があるといいます。ロゴマークをつくり、それを実践の理念のイメージ共有としています。第一に、縁起。すべては相互依存している、ということ。そして第二に、慈悲。苦しみを減らす対象を、人間だけでなく生命世界全体へ広げること。第三に、少欲知足とし現代文明の「もっと多く、もっと便利に」という欲望が危機を生むと警鐘を鳴らすこと。第四に、共同体。個人の救済だけでなく、村や地域の暮らし方そのものを変えようとすることです。単なる環境活動ではなく自然生態・格差・人間疎外を一体の問題として扱っています。

私が日本で実践している暮らしフルネスととても似ていると感じ深く共感と感銘を受けました。志のある仲間は、地球の中にはたくさんいます。それぞれの場で深く磨き、耀かせていきたいと思います。近い将来、日韓で交流しお互いの善いところや智慧を学び合い、場を繋ぐことができる日がくることを祈り、帰国の途に向かいます。

ありがとうございました。

文明の甦生~真の暮らしの実践場~

韓国の智異山にある実相寺に訪問し、メンターの方々から場の実践を教わり対話をするお時間をいただきました。この実相寺は、9世紀の新羅時代からある古い禅寺ではありますが歴史や伝統を守るだけでなく、色々と現代文明が抱える社会問題の解決のために様々な実験を通して試行錯誤している新しいお寺です。

公式サイトには、1998年に実相寺所有地3万坪を提供して帰農学校を設立したこと、2001年以降に「生命平和・民族和解・地理山千日祈祷」を進めたこと、さらにその流れから生命平和托鉢巡礼や地理山トゥレ道(巡回路)構想につながったことが記され農、地域、教育、環境、共同体、平和をつなぐ生態仏教の場とあります。

その取り組みの切っ掛けとなったお話をお聴きすると、1983年の咸陽ダム建設計画で実相寺が水没の危機にさらされたことだったといいます。計画自体は撤回されましたがそこで国家や開発論理がどれほど簡単に生態や文化遺産を犠牲にするかを体験したといいます。その後、実相寺では「一坪買い運動」によって寺の周囲の土地を買い戻し、古い寺域を復元していきました。「場や空間を守る」ことは、「暮らし方と価値観を守る」ことと定義して自然破壊中心の近代開発に対する別の文明観を実践していました。

実相寺で行われる具体的な実践としての農も共同体学校も巡礼も、テンプルステイも土地を守る運動も「どうすれば人間が自然と切れず、他者と切れず、自分の内面とも切れずに真に豊かに生きられるか」という場づくりを行っています。

また仏教の教えも、単に個人が悟る為の仏教ではなく生き方を通して社会そのものを変えるために活かしていました。具体的には、「縁起」といってすべては相互に関係し合って存在するという基本姿勢を保ち、人間・自然・社会を切り離さず一体のものとして捉え、その調和的な関係の中で生きることを目指しています。そこには人間中心の生き方や過度な欲望を見直し、すべての生命とのつながりを自覚しながら、持続可能で共生的な社会と生活を築こうとする思想の実践です。

本来、よく考えてみると仏陀そのものの人物は仏教ではありませんでした。自然の偉大な観察者であり、自然そのものの徳を生きた人間の実践者でもありました。原点に立ち返れば、自然と一体になり調和した真の人としてのロールモデルのような方です。その方がどのような生き方をし、どのような場を創造したか。まさに原点回帰すれば、今の文明の中でどう試行錯誤すればいいかが観えてきます。

今を生きる私たちは、教えの前に「どのように暮らすか」を問い直す必要を感じます。

この先、全人類はどのような地球文明の未来へ向かいどう生きるかということを問われています。その時、共同体として一緒に生きるいのちとしての在り方の暮らし、また今居る場所をどのような空間にしていくかという暮らし、そしてみんなが幸福になる暮らしとは何かを文明そのものを創造する人間としての真の暮らしを見つめ直す時機に来ているように思えます

私も約10年間ほど暮らしフルネスの道を歩んできましたが、世界では同じように自分の居る場を真摯に調えて実験する仲間がいることに氣づきます。歴史のある霊峰の麓にあるからこそ、この場は人類にとって偉大な智慧を与えてくれます。

日本にも霊峰がありますが、お山から真の暮らしを観直し、場を易えていきたいと思います。

ご縁に感謝しています。

自然の観察者

韓国でご縁のあった方ら日本の田中正造氏の話をお聴きする機会がありました。この人物は1841年〈天保12年〉〜1913年〈大正2年〉)の人物で日本の政治家・社会運動家で、足尾銅山鉱毒事件に一生をかけて反対した「公害問題の先駆者」として知られる人物です。

日本では近代の環境問題の原点ともいわれ、人権問題をはじめ弱い立場の農民たちに寄り添った人物として尊敬されています。本人は政治家でもありましたが、政治が腐敗する理由を知り政治家をやめて活動をしています。

「政治家が、正義とか道徳があることを忘れて政治を行えば、民衆は本質を失い堕落する。そうさせないために国民は、政治家を絶えず監視しなければならない。また、その監視を怠れば政治家は国民を騙し、盗みをするというものである」といい政治の要は仁義であるといい、真の政治家は人民の中にありとも言いました。

まさにその一生は、真の政治家を志し、その最期には赤貧を貫き、ポケットに石数個と日記があったのみだったといいます。生き方と実践を貫いた、見事な一生をやり遂げた方です。

人間中心の世の中を憂い、文明とは何か、真の豊かさとは何かに氣づき警鐘を鳴らしました。韓国では東学という運動があり、似たようなことに氣づいた人や農民が働きかけますがそれは政府によって鎮圧されています。日本では、運動にせず「真理は実行の中にこそある」とその生き方を通して田中正造氏がそれを示して今に至ります。

「山川は荒れても復することあり、人は荒れたるままにして復することなし」ともいいました。人は荒れるままにすれば快復しない、だからこそどうあるかを問い続けます。

現在、自然環境の破壊の荒廃は目まぐるしく、気候変動を含めた環境破壊は加速度的に進んでいます。最初に明治の文明開化を声高に掲げたとき「デンキ開ケテ世見暗夜となれり」ともいい、文明とは本来何が本来のものかを世の中に問います。

そして最期の日記に書かれたものにこういう文章が遺っています。

「真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」と。

この時代、南方熊楠もまた自然破壊について同様に警鐘を鳴らしています。よくよく自然を観察する人たちは、自然が破壊された先に何が人々に影響を及ぼすかが手に取るように観えたのでしょう。

別に人類の発展に反対したのではなく、人類の行く末を憂い人を愛するからこそ反対するような行動をとったのです。人間はいつの時代も都合の悪い真実は受け入れないし信じないものです。

しかし時が経ち、いつかはその現実を目の当たりにするとき人はそれらの自然観察者がまるで預言者のように発した言葉をもう一度、聴き直し後悔し反省する日が来るのでしょう。

改めて世界規模で今こそ自然を再観察し、どのように生きるのか、暮らすのか、あり続けるかを学び直し、私なりに暮らしフルネスを通して子どもたちに実行を貫徹していきたいと思います。

薬草の歴史

現在、英彦山で薬草文化を甦生させていますがそもそも薬草は縄文時代より前から先人たちは身近な薬として利用してきました。世界中の古代の遺跡にも薬草が使われた形跡があります。

そもそも人間が最初に薬草を摂取するようになったのはいつかを思うとき、私は幼い時に飼育していた犬が散歩中に特定の草を食べているのを見てなぜわかるのだろうかと疑問に思った思い出があります。

また他の野生動物たちも季節を分けて、草や樹皮を食べにきます。鹿などは宿坊の周辺の草を特定の時季に摂取しています。これは季節の巡りと体質の変化に合わせて、薬草を本能で見極めて取り入れているのです。

私たち人間も、春は苦味を取りたくなり野草が美味しく感じます。今の時季は、筍をはじめイタドリやドクダミ、ヨモギなども美味しく感じます。医食同源とも言いますが、自然の一部としての身体を維持するために私たちは自然の叡智に肖って暮らしを調えて健康を保ちます。

健康とはバランスが取れた状態そのものであり、そのバランスを保つように周囲の自然の変化があります。日本では日本の四季があるように、海外ではその国々の四季があります。その巡りにあわせて薬草もまた変化していきます。

日本に来た薬草は、日本に合わせて変化していきます。

以前、日本にある野菜の種を中国に持ち込み植えてみたことがありましたが味も形もまったく変わってしまいました。植物たちはその場所でその場所の力を得て変化を已みません。

私たちは土から化けたものを摂取することで、その土地を食べていきます。その土地を食べることでその土地に漲る様々な薬効を摂取することができるともいえます。

薬草文化が栄える場所というのは、そもそもその場所がかなりのパワースポットであるということです。

英彦山は現在は、国定公園になってしまい薬草の採集もできなくなっていますが本来のお山の徳は薬草と共にありました。庭の一部でどこまで薬草が甦生できるかわかりませんが、色々と試行錯誤してみたいと思います。

お水は薬

薬のことを深めているとお水に辿り着きます。万物全ての薬の根源はお水ということです。そもそもお水は私たちのいのちの源です。お水がなければ私たちはこの生命を維持することもできません。だからこそ、お水が薬となります。そしてお水は単一の存在ではなく、お水は千差万別にあらゆる姿にカタチを変えてその時々のいのちの一部となって私たちの生命を巡ります。

結局、どの薬草もまたお水が土と和合して生成したものであり、その薬草もまた人体に取り込む時にはあらゆるお水と和合して溶け合うものです。お水こそ、私たちの根源ということです。

今年は私の一文字は「水」としていますが、お水の持つ力には驚嘆するばかりです。深めても深めてもその奥が底知れず、好奇心は尽きません。

もともと私はお水を薬として認識したのは、若い時に体調を崩した経験からです。その時は、何も食べれなくなりお水も飲めなくなりました。その時にせっかくだからと日本中のお水を取り寄せ飲み比べていたら飲めるお水があったのです。その時に、お水は一つではなく唯一無二であることを学びました。その時々の体調や心境、精神状態でも和合できるものとできないものがあると。そこからお水にこだわる人生になりました。今でも、料理別にお水も変えますし炭も変えます。お鍋に向くもの、お蕎麦に向くもの、蕎麦湯一つでも飲んだ後の身体の変化はまったくお水で異なるのです。

李氏朝鮮時代の医師、許浚が記した東医宝鑑にお水を分類わけしたものがあります。具具体的には、「井華水(せいかすい)、寒泉水(かんせんすい)、菊花水(きくかすい)、臘雪水(ろうせつすい)、春雨水(しゅんうすい)、秋露水(しゅうろすい)、冬霜(とうそう)、雹(ひょう)、夏氷(かひょう)、方諸水(ほうしょすい)、梅雨水(ばいうすい)、半天河水(はんてんがすい)、屋霤水(おくりゅうすい)、茅屋漏水(ぼうおくろうすい)、玉井水(ぎょくせいすい)、碧海水(へきかいすい)、千里水(せんりすい)、甘爛水(かんらんすい)、逆流水(げきりゅうすい)、順流水(じゅんりゅうすい)、急流水(きゅうりゅうすい)、溫泉(おんせん)、冷泉(れいせん)、漿水(しょうすい)、地漿(ちしょう)、潦水(ろうすい)、生熟湯(せいじゅくとう)、熱湯(ねっとう)、麻沸湯(まふつとう)、繰絲湯(そうしとう)、甑氣水(そうきすい)、銅器上汗(どうきじょうかん)、炊湯(すいとう)」です。

この分類は、お水そのものの化学的違いではなく「どこから来たか」「どのように存在しているか」「どのように変化したか」という観点で水を捉えています。

まずはじめにお水は「天から来るもの」と「地から来るもの」に分けられます。そして春雨水や秋露水、臘雪水などは天からもたらされる水であり、季節や気候の影響を強く受けた「天の気」を帯びるとされました。また井華水や泉水、海水などは地に由来する水でありその土地の性質や環境の影響を受けた「地の気」を持つとされます。お水は天地の間にありますが、そのどこで採取するかで性質が全く異なるとするのです。

そしてお水は「動き」で分けます。順流・逆流・急流といった流水の違いは、水の中に宿る気の巡りや勢いを表し体内の気の流れと対応づけて考えられました。流れるお水がどこを通ってきたかということも大切で、屋根を伝った水や木の中に溜まった水などは、その経路にある物質や環境の影響を受けて性質が変わってしまうとしたのです。

次に甘爛水や生熟湯のように意図的に人が攪拌したり混合したりして作られる水は、すでに「薬」として治療目的に応じて性質が調整されたものとあります。他にも蒸気が凝結した水や器物に付着した水滴、あるいは穀物や土などから生じた水などもあり、お水は他の物質との関係や変化の過程でも変わるとするのです。

お水の変化を的確にとらえ、そのタイミングで性質が変化する。それを薬として用いるとするのです。

お水のことを深く理解することが、薬道の第一義です。私はお水とのご縁が深いので、性質をさらに学び直していきたいと思います。

医療のかたち

現在の医療のかたちは昔と比べて大幅に変化しています。科学的な薬や外科手術などで対処療法することで道具や機械も発展していきました。遺伝子治療をはじめ、新しい医療技術はますます進化しています。

その背景には病気が増えたこともあります。日本全国にはドラッグストアがあり、病院の数もコンビニを超えています。医療費の負担も世界のかなりの高い水準です。

よくよく洞察してみると病気の種類が大きく変わってきたことを感じます。

むかしから病気というものはありました。不治の病というものもありました。今ではワクチンや手術によって回復するものもできました。現在では、病気の原因を特定することで病気を恐れなくなりました。しかし本来、病気は不自然なこととして恐れられたものです。

そしてその原因の特定も、病気という患部だけをみるのではなくその人の背景、あるいは国家の状態なども含めてむかしは探していきました。

分析する手法は、細分化を促進していきます。時間が経ち分析が増えれば細分化は多くなります。しかし、そうなると全体最適が観えなくなるものです。

かつての日本は、山に住む山伏たちも医療に携わっていました。そのころは、病は怨霊の影響を受けていること、疫病は国家の経営の影響を受けていることなどが常識でした。江戸時代になっても、病気になればまず山伏を呼び祈祷をして、その後に医師を読んで治療をしていたといいます。

今では心療内科などが増え、メンタルの病気と身体の病気などを分けられていますがむかしは分かれていなかったのです。だからこそ、診断も難しく誰でも気軽に治療を受けることも難しかったように思います。

そんな時代は、病院も薬も治療もありませんからみんなで病気にならないような未病の暮らしを実践していきました。また民間療法といって、医師がいなくても民間で協力し合って治療していく仕組みを増やしていきました。

薬草を用いるのも、坐禅や瞑想も、場を調えることもまた病気にならないための智恵として先人たちは研究し残してくださっているのです。それが今はあまり重宝されなくなり、伝承も途絶えてきました。

これだけ病院も増えて薬も多いし、遺伝子治療で病気が撲滅できるという人も増えていますが実際にはコロナウイルス一つでも対応ができずパンデミックになりました。それに経済が破綻すれば病院も薬も機械も停止します。その時はどうするかということです。医療の危機に備えることと、先人の智慧を伝承することは同一です。まだまだ残っている大切な暮らしの知恵や医療のかたちを学び直し、子どもたちに伝承していきたいと思います。

 

韓国の大医

韓国の医療について深めていますが、韓国三大名医の一人に許浚(ホ・ジュン、1539年 – 1615年)がいます。この人物は李氏朝鮮時代の著名な医師であり、医学書『東医宝鑑』の著者です。

伝統医療というのは、伝統文化と同じく先人たちの知恵と努力の結晶です。今の韓国の薬草文化が暮らしの中で取り入れられたのはこの著書の影響が大きいことがわかります。

許浚の一生はとても魅力あふれる人生を送っています。まず武官の官僚の子として生まれながらも母が側室であったために「庶子」という不利な立場に置かれていましたがその制約を乗り越え、医術の道へ進み、やがて王の主治医にまでに出生していきます。

そして著書に関係する話では王の宣祖が許浚に朝鮮独自の医学書を編纂するよう命じたのは、1596年のころです。この頃の朝鮮では中国の明医学が主流で、明から輸入される漢方が多用されていましたが1592年に勃発した壬辰倭乱(イムジンウェラン=文禄の役)などで国内情勢は不安定になり、明医学の薬の輸入が難しくなりました。そこで山野草を含めた治療法を確立させる必要がありました。また明医学では朝鮮半島の環境や病理に適さない部分もあり朝鮮独自の医療の必要性を迫られていました。しかし1608年に宣祖が崩御し、許浚はその責任を取らされ志半ばで流刑になります。それでも境遇に腐ったりせず、諦めずに真摯に使命に取り組み1610年に全25巻の『東医宝鑑』を完成させるのです。

許浚の『東医宝鑑』の御蔭でそれまで一部の特権階級に限られていた医療知識が世の中の一般人にまで広く開放され伝わりました。この書物は病気ごとの対症療法のことではなく「人間の身体そのもの」を中心に据え体質や生活、自然との関係まで含めて体系的にまとめられました。つまり単なる病気ではなく、「人を治す」本質的な書物としてのものです。むかしから諺で大医は国を治すといいますが、まさにこの人物は「国家の大医」だったのでしょう。

また「人は自然の一部であり、健康とはその調和の中にある」という思想を持ち「薬草は山にあり、治療は日常の中にあり、最も優れた医者とは病気になる前にそれを防ぐ者である」とも言いました。現代でいう予防医学や個別医療の基礎になる思想です。

来週訪問する韓国の霊峰智異山は、薬草の宝庫といわれるお山です。霊峰英彦山と通じるものがまだたくさん息づいています。この「山の知恵」つまり、お山に蓄積された自然の知恵、薬草の知識、そして人間と自然の関係そのものが今でも遺り、誰でも使えるものにも体系化されています。お山と医学の関係は、この数年の英彦山守静坊の暮らしの甦生で発見することばかりです。

現代こそ、このお山の知恵を活かす時代ではないかと私は直感します。

今回の訪韓でどのようにお山を通じた智慧の交流があるのか、子どもたちや子孫のために学び直していきたいと思います。

法螺貝祭り

昨日は、北九州市若松区乙丸の貴船神社の法螺貝祭りに参加してきました。この法螺貝祭りは日本では唯一無二に伝承される貴重なお祭りです。毎年、4月15日に開催され200年前からこの行事を続けているといいます。

現在ではわずか四十数軒ほどの小さな集落ですが、ご神体である寿命貝(法螺貝)を大切にお祀りして地域で伝統を守り続けています。

祭典では、神職がご祈祷をして祝詞を奏上します。その後は、寿命貝にお神酒を注ぎ参拝者たちに振舞われます。この法螺貝を通していただけるお神酒は薬となりその法螺貝に肖り長寿になるとも信じられてきました。また神饌の一部を直来で頂戴します。

法螺貝は年代物で、数百年経っている雰囲気をもっていました。直接、それを法具で吹くことはありませんが有志の龍螺師たちが法螺貝を立てます。私も法螺貝を奏上して、地域の法螺貝への報恩感謝をしました。

神主さまからは、本来、神事やお祭りが地域の最も大切な楽しみの一つでした。現代になって各地で娯楽イベントがありますがこの小さな集落でなぜこれだけ長くこの神事が続いているのか、そこに大切なヒントがあるというお話もありました。子どもたちもたくさん集まり、丁寧にお話をして伝承をなさっておられました。年配の方々もこの場所を大切にされているのが伝わってきました。

歴史というのは、人の繋がりです。

最初にこの場所の切っ掛けとなった不老長寿の法螺貝を食べた630歳の海女の女性。そこから人々が、その伝承を大切に守りつなげてきて今があります。

伝統や伝承は智慧と一体です。

竹取物語が今も受け継がれているように、その伝承にはいのちが宿っています。法螺貝の神秘性や不老長寿の話、不思議で奇跡のような物語は妄想ではなくそこに事実があったという真実。

改めて法螺貝の徳と可能性を感じる一日になりました。

法螺貝を伝承する一人として初心を忘れずに学び続けていきたいと思います。

お茶文化の甦生

英彦山の守静坊の敷地内には、お茶の古木がたくさんまだ残っています。冬の間は鹿にほとんど食べられますが春になるととても美しい新緑の茶葉が出てきます。もともと山伏たちにとってこのお茶は、暮らしを支える大切な存在でした。現代でも、お茶は私たちの暮らしを支えていますが少しお茶のことを深めてみようと思います。

北部九州にお茶が広がったのは栄西の影響が大きいといいます。この栄西は平安末期から鎌倉時代にかけて活躍した僧で、中国に渡って禅を学び、それを日本に伝えた人物です。

日本では禅だけでなく、茶を健康に役立つものとして紹介し『喫茶養生記』を著してその効能を説きました。仏教が日本で荒廃していたのをみて、本物の修行を甦生したいと心と体を整えるための実践的な手段と禅の修行を支える重要な道具でもあったこのお茶を通して心を調えることを弘めていきました。

喫茶養生記には「茶は養生の仙薬なり、延齢の妙術なり」と記されます。具体的には、

「凡そ人は心を本とす心弱ければ万病生ず」

といいます。これは心(心臓)が病気をつくる、心が強いと病を防ぎやすいと。しかしこうもいいます。

「世人多く苦味を嫌う然れども心は苦味を好む」。

世の中の人は甘いものなどは好きで苦いものは嫌う、しかし心は苦いものが効能がある。そしてこういいます。

「苦を以て心を養い、茶を以て身を調う」

お茶が心を養生し、そのことで心身が調うのであると。つまり人間の体は、心(しん)を中心であり、この心とは単なる精神ではなく、体の働きの中心でもあり、ここが乱れるとさまざまな病気が生じていく。お茶の苦味こそが心身の調和をする。そしてお茶葉他にも、眠気を防ぎ、意識をはっきりとさせ、疲れを取り除き、体内の滞りを流す働きもあり健康を保ち、寿命を延ばすための優れた方法であるとします。

日常的に暮らしにお茶を導入することで、心身の乱れを予防し大きな病気を防ぎ健康になる。自然に無理をせずに健康になることが日々の修行になるとします。

今でも古い寺院では、苦いお茶をいただくことがあります。静けさと苦味は、心を静かに調えます。

英彦山の標高の高い場所で、たくさんの水氣を浴びて穏やかに育つお茶の木を守り、新たなお茶文化の甦生に挑戦してみようと思います。