命と記憶と記録

出逢いというのはたくさんの記憶と記録を持つことだといってもいい。誰かと出逢い、昔を思い出し、その記憶が如何に美しくあったかを再び記録するのだろうと私は思う。

人の今は、膨大な記憶の彼方から訪れる時空の記録によって存在するようにも思う。
その一つひとつは、色あせることもなく私たちの心に永遠に刻まれているのだろうと思います。

自分の心は、その記憶と記録を辿ることで繋がりの中のご縁を得ているように思います。それはなぜ自分がそうしたいのか、なぜ自分がこう思うのか、その時々の邂逅による心の感動はいつも命の記憶と記録の中にあるのだと覚えます。

この自分の本心というような潜在意識というものは、それが表に出ているのなら自らが心から望んでいるものや過去に味わったその命の記憶や記録を傍受できるのだと思います。それはすべて人と人、人とモノ、人と環境との出逢いという邂逅によって得られ、それを生死を超えていつまでも忘れないために永遠に生死を繰り返して甦るようにも感じます。

頭で考えていることでは思い出せないことも、その心はそのシーンに出逢うことで回帰することができるのはとても素晴らしいことだと思います。私自身も子どもの頃から今まで生きてきて心が揺さぶられた感動の体験にはいつまでも出逢いを繰り返すことで回帰していけるのです。それを確かめるように様々なシーンが心に焼き付けられるのであろうとも思います。

私の仮説では、その人の命が何を忘れたくないのかを生まれる前からその人の命の役割として担ってきているようにも思います。つまり天から与えられた命とは、命の記憶と記録であろうとも感じています。 そう定義してみたら、この先の人生はまたどのようなことを思い出すのだろうか、そして何を忘れたくないのだろうかと命の繋がりの一期一会の邂逅にワクワクドキドキしてくるものです。

そう観照してみると命は一見、その人には一度しかないようですが、実際はその命は人を換えて永遠に円環し続いているとも感じるのです。

子ども達のためにも一瞬一瞬の邂逅を命の記憶と記録として大切に繋いでいこうと思います。出逢いを大切にするのはこの宇宙でその命の記憶と記録にアクセスすることだと思います。

まだまだ自分の本心の探究を感動とともに味わっていきたいと思います。