循環の視野

全ての物にも捨てるものがないように、すべての出来事にも捨てるものはない。そもそもこの国は、八百万の神々といった信仰があり、勿体ないという言葉もまたそういう精神から発生したものであろうと思う。

捨てないということはどういうことかと言えば、それが循環し続けているということでもある。

そもそも捨てるという概念はどういうものかといえば、捨てるとは途切れさせるということでもある。リサイクルなどと言われるけれど、人間が何かのために利用して価値のある部分は用い、価値のない部分は用いないという考え方自体が循環に則っているとはいわないのです。

万物具有の徳ではないけれど、全体を俯瞰した時には必ず何かのお役にたっているからこの世に存在しているともいいます。それが一部分を切り取った狭い視野のみで活かそうと思えばやっぱりそれは活かせなかったりするのです。

つまりは、捨てるという概念自体はとても狭い視野であるともいえます。

人で例えてもどうかといえば、社会全体を観た時にその人がどのような役に立つことが幸せであろうかと考えるとき、その人に一番相応しいところに居ることが社会のためになったりもします。

そしてそれは決して人間の狭い視野や自我欲で勝手に判断したりしてもマッチングすることはなかなかありません。なぜなら狭くない視野とは、天の視野であるからです。天の視野とは、天を信じて人事を尽くしていくなかではじめて得られる境地であり、自分の与えられた場所で精一杯遣り切っていけば自然に次の扉が開くように、全身全霊の自分の努力精進があってこそはじめて天の視野を感じることができるのであろうとも思います。

こういう風に、循環の視野とは全体を通して自分の布置を感じることでありそういう気持ちにいつも自分を保つのに勿体ないや捨てないという実践が在るのです。

世界で緑が消失していくのは、こういう循環を途切れさそうとする人間の浅はかな視野の狭さが邪魔をしているからだとも思います。

何よりもこれからは、循環や繫がりを感じる生き方を優先する人を増やしていくことで本来の天の視野を持たせていくことに意義があるのだと思います。そしてそれは道の入り口に接する一期一会の出逢いを増やしていくことであろうとも私は思います。

子ども達には、この先に迷うことがないように自らがまず実践し示していこうと思います。