かんながらの道

先日、ある方から本をいただきそこに「誠実自然」という言葉を見つけました。誠実と自然をそのまま並べていた言葉でしたので気になって改めて意味を深めてみました。そもそもこの誠実という言葉は、辞書をひくと「誠実」とは、私利私欲がなく、誠意・真心をもって人や物事に対する様子と書かれます。

さらにこの誠の文字の成り立ちをみると、「神様への祈りが成る」と書き、「想いが神様に真実と証明されたこと」ことを意味するそうです。そして「実」は實とかき、「本当のことがみちる」意味になります。字も「祭壇に貝(’宝)をたばねたものの組み合わせでここから真に中身があるものとされました。

誠実とは、嘘偽りなくそのままであるという意味です。

そしてこのあとの「自然」という言葉、この言葉もまた誠実と同じくあるがまま、そのままであるという姿です。別に無理に自分を装うのではなく、いつもの自分のままであること。これは別に自分のすべてを見せるという意味ではありません。いつも心を開いて神様や天に対して恥じることのないありのままの自分でいることを心がけようとするものだと私は思います。

自然体というものは、自分の定めた初心に対して正直で素直であるということです。つまり自分の心を優先していく生き方を実践しているということです。西郷隆盛なら敬天愛人ともいいましたし、吉田松陰は至誠ともいいました。

天地自然の一部として自分が自分のままに心に正直に生きていくことは、そのまま自然の天命を生きるということでもあります。天寿を全うする生き方をすると、人はその人をみて感動するものです。

私たちは地球が創造したものですから、心は地球そのものです。地球の心を生きることができたとき、そこは自然になります。これを私は「かんながらの道」と呼んでいます。

立場や生まれも異なっても、同じように生きた人。大和魂や武士道を実践した人がいることを知ると嬉しくなります。子どもたちのために、私も生き方を大切に残りの人生を自然体で全うしていきたいと思います。

屈原と真心、粽の祈り

先日、粽(ちまき(のことを深めていたら中国の屈原という人物のことを学びました。もともと端午の節句の食べ物として慣れ親しんできましたがその理由についてはあまり調べていませんでした。時期はズレていますが、少し紹介したいと思います。

もともとこの端午の節句や粽(ちまき)中国の故事にある楚国の詩人屈原(くつげん)の死を供養するためにはじまったものです。この屈原は、王様の側近でしたが陰謀により国を追われ悲観しついには河に身を投げてしまいます。この屈原の命日が5月5日でその屈原の死を嘆いた人々は米を詰めた竹筒を投じて霊に捧げました。理由は屈原の肉体が魚に食べられないようにという意味もあったそうですが同様に河に住む竜に食べられないようにと竜が嫌う葉で米を包み五色の糸で縛ったものを流し供養したといいます。

この風習が日本へは奈良時代には伝わり平安時代では宮中行事になったといいます。他にも神功皇后が三韓征伐の時持ち帰ったとも言われたり仁徳天皇の時代にちまきが宮中に献じられたと言う話、他にも伊勢物語や古今和歌集などに記述があるなどとあります。この「ちまき」と呼ばれるようになったのは、茅(ちがや)の葉が使われたことからつきました。

現在は笹の葉を巻いていますがこれも武士が戦に行く時にもっていくときに殺菌効果もあり腐らないからというのもあります。屈原との縁起を持つこともあったように思います。

では、屈原どのような人物であったのか。日本でいえば吉田松陰に似ているような気がします。澄んだ心で権力に媚びずに王と故郷を守ろうと真摯に忠義を貫きました。王が暗君でも政治が乱れていても、変わらずに自分の言葉と実践を大切にされました。別の言い方では、魂を守り生き方を優先した人生でした。その姿をみた国民や周囲の人々から深く愛され、亡くなってからその真価や徳が顕現した人物です。

自分に素直に生きていくことはもっとも価値があることです。しかし時としてそれは世の中が乱れているときは不器用な生き方です。もっとうまく生きていけばいいという声もあるでしょう。しかし、人生は一度きりですし自分も一人きりです。だからこそその人生おいて、魂を優先して歩み切ったのでしょう。

その清々しい姿、澄んだ真心に人々は心をうたれ歴史の中に生き続けて今もあります。粽はその生き方を尊び、最期まで自分を盡すことができるお守りでもあったのかもしれません。先日のソクラテスも同じですが、この世の自分を守るよりも真の自己を守る生き方。魂を研ぎ澄ませるような美しさは、私たちに目を覚まさせる力を持っています。

最後に、屈原の残した言葉です。

「この世すべて濁るとき、清めるは己れだけ、人々みな酔えるとき、正気なのは己れひとりだけ、されば追放の身となった。」

今の時代も通じることですが、先人の生き方から学び、暮らしを観なおし続けていきたいと思います。

知恵風の知識

ソクラテスという人物がいます。わかっている範囲だと、古代ギリシアの哲学者。アテネに生まれる。自分自身の「魂」(pschē)をたいせつにすることの必要を説き、自分自身にとってもっともたいせつなものは何かを問うて、毎日、町の人々と哲学的対話を交わすことを仕事とした人とあります。

有名な名言に、「無知の知」や「徳は知である」などがあります。特にこの「無知の知」(または「不知の自覚」)は自分に知識がないことを自覚するという概念のことです。

これは「自分に知識がないことに気づいた者は、それに気づかない者よりも賢い」という意味です。これはある日、友人のカイレポンから「アテナイにはソクラテスより賢い者はいない」と神託があったことを知り、自分が一番の知者であるはずがないと思っていたソクラテスはその真意を確かめるためにアテナイの知識人たちに問いかけを繰り返していきます。そしてその中で「知恵があるとされる者が、必ずしも本物の知恵があるわけではない。知らないことを自覚している自分の方が彼らよりは知恵がある」と気づいたという話です。

私はこれは知識の中には知恵はなく、知恵の中にこそ真の知識がある。みんなが知識と思っているものの中には知恵がなかったということでしょう。

これは現代の風潮をみてもわかります。最近は特に、自分で体験せずに知識を得たい人が増えています。実践も体験もせず、気づいたこともなく、気づいた気になれるもの、わかった気になれるもののためにお金を払って知識を購入しています。

お金持ちは時間がもったいないと思い、体験しなくてもその知恵をお金で買おうとします。しかしその知恵は、知恵と思い込んでいるもので本当の知恵ではなく知識です。知識を知恵と勘違いしているからそういうことをしようとします。

オンラインでの講習会や、流行りの講演にいっても知恵のように知識を話していますがその知識は使おうとすると知恵が必要です。しかし知識が知恵になることはなく、知恵だけが知恵になるものです。知恵は知識にはなりますが、それはあくまで知恵を知識にしただけで知恵ではありません。

なので知恵者とは、徳のある人物のことであり、徳を生きるものです。これは世の中のハタラキそのものが知恵であるから使えています。

例えば、二宮尊徳はある知識のある知識人が訪ねてきたときに「お前は豆の字は知っているか」と尋ねた。それでその知識人は紙に豆の字を書くと、尊徳は「おまえの豆は馬は食わぬが、私の豆は馬が食う」と答えたという逸話があります。

これは知恵についての同じ話です。

私は本来の革命は、知識で起こすものではなく知恵がハタラクものであると思います。人類を真に導くには、文字や文章、言葉ではなく知恵が必要なのです。知恵風では真に世界は変革しないと私は経験から感じています。私が「暮らしフルネス」にこだわるのもここがあるからでもあります。

生き方と働き方というのは、単に知識で理解するものではありません。体験して気づき実感して真似ることで得られます。子どもたちのためにも、今日も実践を味わっていきたいと思います。

知恵の甦生

知恵というのは、もともと知識とは異なり使っている中でなければ観えないものです。つまり止まって理解するものではなく、実践したり体験する中でこそはじめて実感でき観えるものともいえます。

例えば、昨日、暮らしフルネスの一環で滝行をしてきましたがこの滝も流れる中でしか滝のいのちを感じることはできません。いくら口頭で滝の話をしたとしても、滝が持つ徳は滝の中ではじめて活かされるものです。

さらには、この滝が知恵として感じるためにはその滝をただの文字や言葉だけにしない知恵の伝道者が必要です。この伝道者は、その価値を知り、その価値を学び、その知恵を正しく使い続けてきた人でなければなりません。

むかしから伝統の職人たちのように、意識を継いでいく人があってはじめてその真の技術が温故知新されアップデートしていけるようにその本になっている知恵が伝承されなければ伝統はつながりません。

つまり知恵こそ伝統の本質であり、知恵を活かす人こそ真の伝承者ともいえるのでしょう。

時代は、時代と共に時代の価値観があります。戦国時代の知恵の活かし方は平和な時代は使えません。その逆も然りです。つまり時代に合わせて価値観が変わっていくのですから、知恵はそのままに使い方や仕組みは変える必要があります。

先ほどの滝行も同じく、一昔前の使い方をしていても知恵が伝わりません。知恵を伝えるには、今の時代の使い方、活かし方が必要になるのです。これは意識も同じです。現代の知識優先の考え方を意識優先の生き方に換えていく。そうすることで、眠っていたり忘れていた知恵が甦生していきます。

知恵の甦生は、人類のこの先の未来、子孫たちの永遠の仕合せには欠かせないものです。地球がバランスを保つように、人類もまた長い歴史の中でバランスを保っています。この時代は、バランスを保つために舵をきる必要がある時代でもあります。

子どもたちに真の知恵が伝道していけるように、暮らしフルネスの実践を積んでいきたいと思います。

暮らしフルネスの場数

情報過多の時代、脳の認知も過労になります。以前、修験道のことを英彦山の禰宜さんにお伺いしたときに深夜からずっと山歩きをして身体感覚が極限まで過労したときに何も考えなくなることがいいということを聞いたことがあります。

きっとその時、脳の認知がなくなり力が脱落して空や無の状態になるように思います。脳は、あらゆるものを仮想に創造しますから今ここにあるという意識を遠ざけてしまうのかもしれません。

しかし本来、脳は、短期的な危険を未然に察知したり想像をしたりするのにはとても大切な役割を果たしています。しかしそれが行き過ぎると、疑念や不安などをつくり実際にないことまで創り出したりそれを事実だと思い込んだりもします。思い込みの強さというは、記憶を捻じ曲げていきます。人は世界をそれぞれに持っていて、それぞれの世界を生きています。

事実が同じであってもある人は、平和で安心の楽観的で穏やかな世界に暮らしていたり、あるいは疑心暗鬼と不安、悲観的で恐怖の世界に暮らしていたり、それはその人の心の持ち方で決まっていきます。

心の持ち方というのは、常に初心を忘れずに今起きていることを意味づけして自分のありたい方へと転換していくような実践です。つまりどんなことがあっても、「これでいい」とし、それを上手に受け容れて目的に回帰していく原動力にしていくということです。

古語にある「禍転じて福にする」というのもまた、心の持ち方の実践ともいえます。

脳の認知に縛られないで心の在り方の方に軸足を置いていく。バランスを取るというのは、身体の重心や軸を保つということに似ています。背骨が一緒についていきながら移動していくように、初心が一緒についていくように移動させていくということ。

何のためにこれをやるのかということを、忘れないでい続けるというのは日々の自己内省と自己鍛錬によるものです。

よく考えてみると、人間は自己を真に育てあげていくことで世界を変えていくことができます。どのような世界にしていくかは、一人一人の心の中にあります。その世界になるようにするには外側の世界に軸足を置くのではなく、あくまで軸足は自分の世界をととのえていくことに置き、バランスよく移動していくことに似ています。

脳と身体の関係もまた、日々の暮らしをととのえていくなかで磨いていくのかもしれません。小さな日常の移り変わりの中においても、大きなハタラキがあることを知り、そのハタラキが世界を真に豊かにするということを知覚できるのもまた日々の精進です。

心静かに、暮らしフルネスの場数を増やしていきたいと思います。

苦労の真価

昨日、聴福庵に来庵された方から「苦労をお友達にする」というお話をお伺いするご縁がありました。これは苦労は嫌いになったり逃げたらいつまでも追いかけ来る、だから苦労とお友達になっていこうとするのが人生にとって仕合せになる大切なこととお話されていました。これはこの方の座右の銘でとても深いお話でした。

苦労はみんなが嫌がるものでもありますが、お友達になっているちに苦労が好きになり、苦労がいることで仕合せになると感じられるようになったらもはやそれが最上の喜びになるというのもわかります。苦労する喜びを味わえる人になったとしたらそれはもはや人生の達人です。

その方のお話ではかつての古い時代、日本人は苦労をよいこととして受け止めていた人が多かったと仰っていました。若い時の苦労は買ってでもせよという格言もあります。その苦労は人生に大きな役に立つからとの教えもありました。苦労するからこそ幸福になるという言葉、つまり苦労こそ幸福であるという意味になります。

その苦労とどのようにお付き合いしていくか。辛いこと、嫌なことになると本当に毎日がそのような日々になります。そこを見方を転じて、苦労させてもらえる喜び、苦労があったから今があると、まるで人とのご縁のように丁寧に一つ一つ関係を結んでいくことがよりよく生きるための知恵であることもわかります。

教えていただいたその方の生き方を拝見していると、本当に苦労を厭わずに真心を生き、日々を充実し、感謝で満たされておられました。徳を纏われ、みんなに慕われ、歳をも感じさせない溌溂として元氣が漲っておられました。

生き方というのは、こうやって歳月を積み重ねることで素晴らしい結果になっていることを知り、努力をさせてもらえる喜び、苦労できるほどに心から好きなことに取り組めたことに感謝の気持ちが湧きました。

一つひとつ、一人一人のご縁があるから今の私があります。

心に響く言葉や教えを胸に、丹精を籠めて歩んでいきたいと思います。

 

思いを纏う

人はいろいろな人の思いと共に生きています。今の自分は、個人的な自分というだけではなく先人たち、そして仲間たちの思いをそのまま受け継いで存在しています。その思いは、目には見えませんが同じように思いを持つ人たちとつながっていて生き続けています。

つまり人の本体とは何か、それは思いの集積であるということにほかなりません。私たちの器には、あらゆるものが入ります。その入るものをどのように選ぶのか、そして結ぶのか、関わるのか、それをご縁ともいいます。

ご縁を生きていくというのは、この繋がり続ける思いを生きているということです。そしてその思いがあるから私たちはその思いに活かされて思いを醸成してまたさらに繋がっていくのです。

振り返ってみると、思いを誰から誰につないだのか。特にその器としての肉体が生を全うした時、別の器に思いが移動するときに深く結ばれていくのがわかります。一人だけで思いを持ったのではなく、一人一人の小さな思いが集まって偉大な思いになっていきます。その思いが器を乗り換えながら、あるいは器を共有しながら生き続けているのです。

これだけの人口、そして細胞があり、私たちはその思いが宿るものと共にあります。絶対安心の境地は、その思いを継いでくれるものが必ずいると感じることです。自分と同じように守りたいと思うもの、そしてつなぎたいと思う人が現れ、その人が次の人に必ず思いのバトンを渡してくれると確信できるのです。

思いが自分を活かしていると思う時、大切なのは思いが生きているということを忘れないことです。私たちが思い出すという行為もまた、思いのお手入れです。目を閉じて心の中にある思いを思い出す、それがお預かりしている思いでありみんなとつながっている思い。思いはみんなのちからでいのることで必ず何度でも甦生するのです。

思いを纏い、今日も生き切っていきたいと思います。

足半の知恵

昨日は、足半(あしなか)を履いて英彦山を歩いていたら声をかけられました。この足半の草履は、日本人の先人の知恵の一つでいつまでも伝承したい道具です。

そもそもこの足半(あしなか)は一般的な草履の半分くらいの長さしかありません。つまり踵部分がありません。鎌倉時代の文献にも記されていて蒙古襲来のときに九州に来てこの足半を見て鎌倉武士たちの間で流行ったとも伝え聞きます。なので、それ以前からあったということは平安時代くらいから、もしくはもっと以前からあったものかもしれません。

有名なのは、織田信長がこの足半を履いているものが接見の条件になっていたり家臣に褒美として与えたりした話が残っていること。他には西郷隆盛も愛用していたといいます。合理的で知恵を重視した人たちが愛用してきた、日本人の足元を支えた大切な草履だったことがわかります。最近では実業家で民俗学者だった渋沢栄一の孫の渋沢敬三さんが、戦前各地を歩いて足半を300点以上集め研究されていたことも有名です。

よく考えてみると、現代の靴を履くようになったのも明治以降です。まだ100年そこいらでそれまではずっと草履や裸足のようなものでした。私たちは、足の裏から大地のエネルギーを感じていたともいわれます。たまに今でも靴を脱いで直接、大地や土や草原などを歩いていると足元から様々な情報が身体に伝わってきます。

都会ではアスファルトでしかもこの時期は暑すぎて足をやけどするかもしれませんが、山歩きをはじめ田畑などはとても草履や裸足は心地よく感じます。

むかしある方に、歩く健康のことを教わったことがあります。人間が健康を保つには歩くことが一番だということです。地球の重力でバランスがととのい、足裏からの刺激で内臓をふくめ全身がととのっていくというのです。

これは足半を履いて歩くとその価値はすぐにわかります。

日本人はどうしたら健康で長生きし、そしてもっとも自然の身体感覚を得られるかということに非常に長けていた民族です。この民族の知恵は、現代文明の中で消えかけていますが本来はこの知恵こそいつ訪れるかもしれない自然災害などに対する危機への備えになったはずです。

生きる力と教育ではいいますが、本来は生き延びる力だったのは間違いありません。今では生き死になどどこか遠い話、自分とは関係がないようになっていますが野生のものたちは常に生死は隣り合わせです。だからこそ、常に感覚を研ぎ澄ませ、自然のリズムや状態を確認いるように思います。

そしてそれが元氣さを増し、逞しくイキイキといのちを輝かせたのでしょう。今の時代、文明に少し偏っていますが文化や知恵も同じくらい大切にしていくことが子孫を守ることだと私は思います。

子どもたちにもこの足半の知恵をつないでいきたいと思います。

 

人づ手の伝承

古来から知恵というものは、人づてで伝承していくものです。もしくは、自分の内面の何かがその場や文化と呼応して甦ってくるものです。それは単なる目新しさではなく、創生や創新、私の場合は起新といい、真に新しくなるということです。

この真に新しくなるというのは、真であり続ける新しさのことです。

例えば、伝統文化なども形式だけ受け継がれていくものと奥義ともいえる知恵が受け継がれていくものがあります。特に一つ一つの儀式なども本来は偉大な力があったものが、今では形だけ残ったというものも多くあります。現代は便利な機械が増えていますがから、むかしのような一つ一つの知恵を使って何かを丁寧にやるよりも簡単に機械のコピーやプリントなどのようにアウトプットできるようになりました。しかしそこには、本来あるはずの暗黙知は介在しておらず見た目だけのものになっています。

意味があったものを意味がわからなくなり、意味がないものにするというのをみんながやり続けるほどモチベーションが下がるものはありません。それがとても大切だと体感し、知恵であると実感しているのならそれは続けられるものです。それが失われていくから文化もまた消失します。

本来、大切だった知恵は知識に置き換えられて別の物になっていく。だからこそ、知恵を守り続けていくために子孫や人は代を重ねて常にその知恵と共に生きてきたのです。それが人類が永続するための使命でもあり、まさに叡智だったのでしょう。

この時代、かなりのスピードで知恵が失われているのがわかります。知恵を機械化して繁栄してきましたがそれは知恵の一部分だけを採取してそれを目先の利益に活用しているということでもあります。知恵は本来は、永遠のものですから本来の使い道で活用するときに真に活かされるように思います。

子どもたちにも叡智を伝承し続けられるように、人づ手の伝承を守っていきたいと思います。

英彦山守静坊の甦生 感謝祭

明日は、いよいよ英彦山の守静坊の甦生感謝祭を行います。振り返ってみたら、本当に多くの方々に見守られ無事に宿坊を甦生することができました。結に参加してくださった方々のことを一生忘れません。この場をお借りして、改めて深く感謝しています。

思い返してみたら、今回の宿坊の甦生は困難の連続でした。工事に取り組み始めてからも何十回、もしくは何百回も神様に真摯に拝み、尽力することはやりつくすのでどうかお力をおかしくださいと祈り続けました。少し進んだと思うと、大きく後退し、善いことが起きたと思ったら八方ふさがりのような状態に陥ったり、一喜一憂してばかりの日々を過ごしてきました。

そんな中でも、本当に有難かったのは身近でいつも支えてくれたスタッフや家族、どんな時でも丸ごと信じて応援してくれた叔父さん。そしていつも見守ってくれていた仲間たち、結に参加してくれて見返りを求めずに徳を一緒に積んでくださった同朋のみなさま。小さなお気遣いから、大きな思いやり、取り組みに深い関心を寄せてくださった方々に心を支えていただいていました。

今回の宿坊の甦生で、故長野先生はじめこの宿坊に関わったこられた歴史の先人の皆様。そして英彦山に少しでも御恩返しすることはできたでしょうか。喜んでくださっているでしょうか、もしもそうなら努力が報われた想いになります。

私たち徳積財団、及び結の仲間は宗教組織ではありません。むかしの先人たちが暮らしのなかで信仰していたように、お山を拝み、お水を拝み、いのちを大切にし、お祈りを実践し、生活を助け合うなかで心をむすぶために信じあう仲間たちの結(ゆい)です。この結というのは、つながりや結びつきの中で暮らしていくという古来からの日本人の知恵の一つで「和」ともいいます。

私は、和が永続することを「平和」だと思っています。そしてそれは徳を積むことで得られると信じています。この徳を積むというのは、自分の喜びがみんなの喜びになり、みんなの喜びが自分の喜びになるという意味です。自然をお手本にして、全体のいのちが充実していくように、暮らしを充実させていくことです。それが暮らしフルネスの実践であり、徳が循環していく安心の世の中にすることです。

今の私たちは歴史を生き続けている存在です。終わった歴史ではなく、これは今も私たちが結び続ける責任を生きています。今までの先人たちの徳の集積を、さらに磨いてこの先の子どもたちに繋いでいくのが今の世代を生きる私たちの本当の使命です。

最後に、感謝祭に来てくださってお祝いをしてくださる友人たちがむかしの家族的な雰囲気で舞や唄を披露してくれます。この宿坊の谷は、弁財天さまの谷で弁財天は芸能の神様でもあります。むかしのように囲炉裏を囲み、みんなで一緒に同じ釜の飯を食べ、笑い、踊り、唄を歌う。心地よい法螺貝の音色が宿坊全体に広がっていくように豊かで仕合せなひと時を皆様と一緒に過ごせたらこれ以上の喜びはありません。

これから親友で同志のエバレットブラウンさんが、宿坊に滞在し英彦山の徳を出版や湿版写真等で伝承してくれます。そして私は、一人ひとりの徳を尊重し合い磨き合う場として仙人倶楽部というものをこれから徳積堂にてはじめます。私が心から尊敬する師の一人、二宮尊徳はこれを万象具徳といい、それを顕現させるのが報徳ともいい、その思想を一円観といいました。私はこれを現代にも甦生させ、「平和が永続する知恵」を子どもたちに伝承していきたいと思っています。

本日がその一つの節目になります。このひと時を永遠の今にしていけるように皆様と祈りをカタチにし、懐かしい未来を味わいたいと思います。

ここまで本当にありがとうございました、そしてこれからもどうぞよろしくお願いします。