人間学

カグヤでは毎月一度、関係者を集め全体ミッション会議を行っている。
今日は、その会議を早めに切り上げ社員全員で株式会社致知出版社を訪問した。

以前から私が購読をしている月刊誌「致知」の発行元になる。
この本は、今の若い世代が是非読んでほしい本だと思う。

この本には毎月、色々な人たちが登場する。

人生にはいろいろな艱難や困難があるけれど、いつも足元にはそれ相応の喜びも広がっている。五体満足で全てが足りているのに欲にかられ不平不満などが当たり前に多い「今」の大衆心理だからこそ、当たり前のことに悦びや感謝をして生き切る人の生き様はたった一つのそれぞれのより良い人生の指針に於いてとても重要だと思う。

他には「論語」「大学」などからの引用して実社会で生きる知恵や学びなどを人間の生き様を通じて表現している。

この会社の藤尾秀昭社長に教わったことなのだが人間が学ぶに於いて学ぶ『教育』というものの学びの本質は「2つ」あるそうだ。

ひとつは、技能や技術などを通した「時務学」というもの。これは今世間一般で学校や会社で教えてくれる知識の使い方やマナー、仕事の仕方など所謂スキル全般のことだ。

そしてもうひとつが、「人間学」というもの。これは人間が持つ徳性、いわゆる感謝や報恩、奉仕などの動物にはない人間にしかない部分を学び高めていくというものだ。

戦後からこの「人間学」がすっぽり抜け落ちてしまい、今の社会は子が親を殺傷したり、兄弟や親子で憎しみあったりと悲しい事件が起きていると考察されていた。

私もまったく同感した。

歴史に現れる我が国の先人たちは、ちゃんと人間としての知性や理性、つまりは生きていくのは共生という助け助け合いの「和魂」の精神をとても大事にしてきた。

それは別に意図的ではなく、自然とそれを歴史の失敗からの教訓であったり、自然と共に生きていく中で畏敬の念を持ってその学びを大事にしてきた。

しかし、今は大量生産市場拡大主義の過度情報化社会になり「目に映る物差し」だけが重要視され「目に見えにくい本質や真理」は特に重要視されなくなった。

そうやって現象にだけ囚われ、実体を持たず日々煩悩に苦悩している人たちの作りあげた社会という構図が現代社会の今の様相なのだと思う。

ここで私たちはもう一度、人間としての本当の生まれてきた意味。
そして、何かを遺して死んでいく意味を学びなおす時だと思う。

誰かが知らないうちに引いたボーダーは、気づいた人たちが変えるしかない。
その贖罪は未来の子どもたちへは引き渡してはいけない。

まずは常に自分へ矢印を向け、われわれ大人がそれを示さないといけない。
日々、徳を磨き、道を歩み、人間としての徳を切に求め大事にしていく。
自分以上に大事な愛する子どもたちのために、私たちはやるしかない。

そしてこの時代にも子どもたちにはその人間としての大事なものをたくさん持って、助け合いの自然の共生を得て、輝かしい未来を創っていけるように安心して育てる環境を社業を通して創造していくことを再び心へ深く刻む。

最後に、この月刊誌「致知」は会社で購入し全社員で購読することにした。少しずつでも、生きる喜びや先人たちの大切な思い、その在るべき様を影響を与えるカグヤに居る人たちから受け取っていってほしいと心から願う。

そして毎月、常に今の自分たちをいろいろな人たちの生き様から自省反省していくために「社内木鶏」というものを行うことにした。

これからが始まりだ。
常に、区切りとは始まりの連続なのだ。
途切れることのない発達のように、途切れないことに無常の安堵感がある。

このご縁をいただいた必然の出逢い、邂逅へ心から改めて深い感謝。

藤尾秀昭社長には執筆等で大変お忙しいのに、ご無理を言って大事なお時間を2時間も頂いた。何事にも代え難い我々の人生に於いても情熱溢れる貴重なお時間になりました。

教えていただいた「本命」と「末命」の意味を座右に置き、カグヤの社業を必然だと思い、子どもたちのためにいつの日か天命を全うすることができるように志高く、また日々新たに歩んでいきます。

本当にありがとうございました。