大欲と大志

一期一会を常に鑑みながらご縁をいただいていると、色々な方に出会う。

先日も関西にある保育園にお伺いすることができた。

長い時間をかけて正しいことを行おうと、自分の分限を守り、周囲にの流されずに古典にあるような正しい実践を継続して積んできていると徳が備わりできることが次第にたくさん増えてくる。

そしてその増えてきた中から、正しいことの延長に観えてくるものは、大欲だったりする。

たとえば、何よりも世の中を平和にしたい、子どもたちに美しい未来を残したい、多くの人たちの心の救済をしたい、など、どれも高い志に転換され深く根ざした理想の実現と追求に行動が変わってくるのは本当に不思議なことだと思う。

世間の肩書きに左右されない自然に陶冶されてくる人間の素晴らしさというのは正しい実践と教えにより誰しも立派に自立していくのだと思うと、自ら主体性を持って生きるということが心の荒蕪を救っていくのにどれだけ大事なことなのだと心底実感することができる。

私の尊敬する師、二宮尊徳翁の夜話にある。

「世人皆、聖人は無欲と思へども然ず。其の実は大欲にして、その大は正大なり。聖人之に次ぎ、君子之に次ぐ。凡夫の如きは、小欲の尤も小なる物なり。それ学問は此の小欲を正大に導く術を言う。」(夜話217より)

常に、志を高くし、身を恭しく慎み、謙虚に正しい実践を積んでいく人は、一見、自分に厳しく無欲に見えるけれど、その内面では、自分の命を超えた大きな使命と天命によって聖人の如く歩んでいるのだとも思える。

そしてそこには、目に見えない大いなる気のようなものが働いているように思う。宗教でもなく、哲学思想などでもない、この「気」というもの。

天地自然の間にあって眼には観えないものがこの「気」なのだと思う。

先日、仕事を通じて私が兼ねてより深いご縁を感じていた鞍馬山とのご縁があり訪問することができた。

私の名前は、同じく天狗を祀ってある九州英彦山の霊泉寺の高僧にいただいたものだったのでその天狗大僧正を祀っている鞍馬山に人生の一期一会の機に必ず触れてみたいと思っていた。

やはりその地に踏み込むととても不思議な場所で、文献にあるように太陽、月、大地からなる山となっていて宇宙を尊天として、その広大無辺な調和による霊亀を感じれる場となっている。

本殿への道のりの中にとても私にとっては素晴らしい邂逅となる言葉に出会うことになった。

そこにはこう書いてある。

      『天を仰いで
        悠久なる理想を懐き
         高山によじて
         広大なる気宇を養う
       これ人界のみ許されたる秘境なり』 (鞍馬寺より)

この言葉に出会い、すぐに書き取り、今も何度も読み返しても、心胆に沁み渡り勇気が込み上げ湧いてくる。

どんな出来事にも深い意味があり、通すべきものは通し、通すべきではないものは絶対に通さない。

秘境の人界。

だからこそ生まれてきた以上、自分にしかできないことで天地自然の中で悠久なる大欲をもって自らを修め養う。

子どもたちにも、そういう自分にしかできないことで志を持てるような共に思いやりを持って認めあえる素晴らしい自然なる社会が実現できるようにその人の命が持つ素晴らしいものを引き出すような環境を創造し、広大な気を以て感化していけるように謹厳に日々の脚下に正しく努めていきたいと改めて心に刻む。

この出会いと邂逅に再び心からの感謝。