自立して働くということ

人間が生み出す社会というのはお互いを尊重し合い助け合い成り立ってきた。
今までもそうだし、これからも助け合い生きていくのが社会だと思う。

しかし物質的にも環境的にもあまり満たされ続けていると傲慢になることがある。

人が人に助けられている、自分だけで生きているのではないということを日々の小さな喧噪や日常の中で忘れて自分のことばかりを思い煩うようになっていくとそういう感覚がマヒしていくのだと思う。

人は助けたいと思える自分、思われる自分、誰かの何かの役に立ちたいというようなことのために力を発揮するようにできている。なぜなら本質的に自分のためにというのは周囲がいるから考えられることだし、周囲もなく本当に世界で一人で生きているのならば自分のためとは言わないはずだ。

どんなに忘れてもこの世に生まれてくるためには、先祖の恩恵、父母の愛、周囲の見守り、奇跡的な関係の中で自分が生まれはぐくまれてきた。

その色々なものの中間にあって生きているのが人間だということだと思う。

そしてだからこその「自立」ということ。
教育が自立に深く関係し、人間力を養うのに大事なことだと本当に思う。

論語にある、

子曰、
吾十有五而志于学、三十而立。
四十而不惑、五十而知天命。
六十而耳順、七十而従心所欲、不踰矩。

孔子が言われる、十五にして学に志す、そして三十にして立つ。
四十にして惑わず、五十して天命を知る。
六十にして素直に耳従い、七十にしてあるがままでも構わなくなる。

人間のあるべきようを示している素晴らしい遺訓だと思う。

そして、この三十にして立つの本質は、私は自立のことだと信じている。

みんなのお役に立てるように、皆の中での本当の一人になるためにも、自らの社会へ依存する甘えを捨て去り、共生を目指し、その仁と礼の実践に生きるということを決心したのではないかと私は思う。

色々な学びがある中で、自立というテーマに三十代で向き合えることは素晴らしいことだと思う。

働き盛りのこの時期、本当に働くということが何なのかを正視して誠を貫く実践を強めていきたい。

子どもたちにも仕事ということ、働けるということが、自分をこの世に活かす理由になり、幸せということが、いったいどのようなものなのかの本質を自らの社業を通じて伝えていければと思う。

とても幼い子どもたちがいる職場に縁があることに感謝し、自立した会社になるように改善と努力を続けていこうと誓う。