循環の本質は共生にある

昨日、来年に向けて味噌作りを行いました。九州の農園で大豆を栽培し、全部とは言いませんが購入した麹などと足して手前味噌を作りました。これから最低でも10か月間は熟成します、長ければ3年後にになりますが沢山の「ありがとうございます」を籠めた味噌がどのような味になるのかとても楽しみです。

また自然農園を借りて一年、生活をシンプルにしていくうちに食や発酵に出会いさらに深まっていく中で「循環」ということを身近に感じる日々です。

当たり前ですがもともと私たちは沢山のものを食べて生きています。それは動物や植物、昆虫たちも同じく共に互いのいのちを食べ合って生きているともいえます。

そしてそれは自分の生命を維持していくためでもあり、同時に他の生命も生かしあっていくためともいえるのです。そうして、自分の生を通して他の生の一部になることを私たちは「生活」ともいうように思います。

この生活というものはつまり自分の生き方や在り方のことで、生活を見直すというのはこういう「循環」の姿を改めて見つめ直すということに他なりません。

今の私たちは、物を豊かにすることを目指しましたがシンプルにしていこうとはしていません。本来の豊かさとはシンプルで素朴なものであるのは、そこに自分のいのちを活かす幸せを実感することができるからのように思います。

簡単に便利に何でも一気にできることよりも、丹誠を籠めて時間がかかってもじっくり醸していく方がより充実した生活を味わうことができるからです。素朴やシンプルさというのは、実は偉大な楽しみが詰まっているものです。味噌作り一つでも丹誠を籠めて育てたものをさらに菌に餌を与えることでよりいのちがびっしり詰まったものに換えていく。共に生き、共に食べる関係を身近で揺り動かしていくことが日々のいのちの躍動を支えてくれるもののように思います。

循環というものは、それぞれの互いの共生、つまりお互いに食べて食べられる関係を何を結ぶか、そして自分の身体に取り容れ、取り出すといったこの通過の中にこそ存在するように思います。血液もしかり、呼吸も然り、いのちを通過したものが循環の本質なのです。

如何に自分を通すものをシンプルにしていくかは、かんながらの道のテーマです。
自分が楽しく循環できるように、より共生を味わっていこうと思います。