厳父慈母

昨日は久しぶりに歯科医院を経営する友人と一緒に食事をするご縁がありました。6年前にお会いしてからお互いに6年間を振り返ることで改めて観えてくることもあります。いつになっても学び合いそれぞれの初心を確認できる関係があるというのは有難いことです。これも目指している理想や自分がこうありたいという生き方をお互いに諦めずに精進しているからできることです。学友や同志がある御蔭で、また日々の実践が深くなり味わい深くなります。

友人がいつも大切にされている自分自身への自戒は「誠実さ」であり、「自他ともに誠実である」ことを大切に日々の診療に正対されておられます。その姿勢は、誰かに対して自分を変えたりすることなくいつも自分の心に対して誠実かどうかに主軸があります。己に打ち克とうと刷り込みを取り払う努力も欠かしません。

今回お会いして特に印象に残ったお話に、父子の関係がありました。昔気質の厳格な父がいて、自分自身が長男だったこともあり幼いころから徹底して厳しくされてきたといいます。しかし本人はそれが良かったといい、厳しくても愛があったから今の自分があると深く父を尊敬し感謝されていました。続けて「自分は甘いから厳しい父の御蔭で小さなことを徹底したり、当たり前のことをちゃんと守るということを教えられた。それは父の厳しさの御蔭です。」と仰っていました。

古語に「厳父慈母」があります。かねてからこれは理想の両親像とされ、両親のその絶妙な調和の中で子どもはよく育つといいます。厳しさの中に愛があり、慈しみの中に愛がある。その両輪の愛を受けて育つということなのでしょう。苦楽を共にしたり、喜怒哀楽を共にしたりして充実していくのが自分の人生だから厳しさと慈しみの形の愛を受けて学ぶことはその子のその後の人生において心身を逞しく象っていくのでしょう。

高齢になった両親の親孝行をしたいと毎月日帰りで実家の歯科医院のお手伝いに飛行機で東京と熊本を行き来されているそうです。

植物や木々は太陽の光を受けますが、その養分と水は自らの根で吸収します。その養分と水は「愛」という存在によって心身の隅々まで運ばれるように思います。愛を受けて育つものはその根底に「感謝の心」が坐るように私は思います。厳父慈母はその感謝を育てているのかもしれません。

本当の優しさや思いやりの大切さを学べる子どもたちが増えるように、まずは大人がその生き方を示すことです。先祖の皆様や両親から受けてきた愛や御恩をしっかりと子どもたちに譲っていきたいと思います。