経験する価値

今の時代はインターネットの普及によって何かの知識を得ようとすればすぐに手に入るようになりました。膨大な知識がいとも簡単に検索ができてわかるというのは、本当に便利なものです。

しかしその反面、知識は得ても経験の量が圧倒的に足りなくなってきて頭でっかちのように分かった気になっていることも増えてきました。知識を得ても経験していなければそれは本当の意味で自分のものになったのではなく、そのためには絶対的に必要なのは場数になります。この場数とは経験する質量のことで、経験を得る体験をどれだけやったか、実験をどれだけ試したかということです。

人間は習熟するためにはその場数が必要であり、熟練者や専門家と呼ばれるその道の達人は皆、場数を徹底的に熟して自分を磨き上げています。

体験や経験をすることは失敗を認めることです。そしてその間違いを学んで次回に活かしていくことです。失敗を怖がり評価を避けようとして場数が減ってくれば体験していませんから習熟することができなくなります。習熟というのは場数ですから、現場でたくさん試してみなければなりません。試行錯誤という言い方もしますが、失敗から学び次はどうするかという前向きな発想が必要になります。

そのためには、経験こそが価値であるということの認識が必要です。経験を良し悪しで自分で評価したり、知識が正しいかどうかの答えを先に思い込んで裁いたりしていたら一向に行動することができなくなります。

さらには自分の価値観の中から出ようとせずに、いつまでも思い込んだところで自分の都合でばかり物事を解釈し、自分の都合のよいことしか認めようとしない態度になればなおさら経験の価値がなくなっていくものです。

良いとか悪いとかではなく、その経験から何を学んだか。そしてその経験はどれだけ価値がある経験だったか、その経験にこそ価値を置いて学び続けていくのなら失敗こそが貴重な経験であることに気づけるものです。

どんな結果が待っていようが、それでも挑戦して取り組んだ経験の結果という価値がのこります。その価値は次の人や、周りの人、そして子どもたちに必要な価値としていつまでも遺ります。そう考えてみると、やらないことが無価値でありいつまでも経験をしていないことが本当の失敗であることに気づきます。

やってみようと思うことは、好奇心の一刺し、また振り絞る勇気のようなものです。やっているうちに興味も増えてそのうちそのことが楽しくなってしまえばしめたものです。楽しそうに遣っている人は、次第にそれが楽しいに変わってきます。マジメにやっていることで100点満点を目指すことがいいのではなく、経験することが楽しいと取り組んでいくことで1000点にも10000点にも制限を超えて可能性が無限に広がっていきます。

引き続き、子どもたちが学ぶことをやめないように本当の結果とは何か、何がもっとも価値のあることかを自分の背中を通して伝道していきたいと思います。