初心の実践

人は頭で考えても行動しなければそれは変わらないものです。行動しても変わらないのは頭で考えた通りにしようと思っているからでもあります。心が感じたことや心で思ったものをそのままに行動することこそ本来の行動とも言えます。

二宮尊徳に下記のような話が遺っています。

「朝夕に善を思ふといへども、善事を為さゞれば、善人と云ふべからざるは、昼夜に悪を思ふといへども、悪を為さゞれば、悪人と云ふべからざるが如し、故に人は、悟道治心の修行などに暇(いとま)を費さんよりは、小(せう)善事なりとも身に行ふを尊しとす、善心発(おこ)らば速かに是を事業に表(あらは)すべし、、、、故に我が道は実地実行を尊ぶ、夫れ世の中の事は実行にあらざれば、事はならざる物なればなり」

これは訳すと、いくら一日中、善いことをしようと思っても実際に善事をなさなければ善人といえないのは、一日中に悪を思っても悪をなさなければ、悪人ということができないようなものだ。 だから人は悟道や治心の修行などにいちいち時間を費やすよりは、小さな善事であっても身に行うことを尊いのだ。 善心をおこすときは速やかにこれを事業にあらわすがよい・・・ だから私の道は実地実行を尊ぶのだ。世の中の事は実行するのでなければ、事はならないものだからであるとあります。

そしてこれは信じて行動するというを言っているのがわかります。善いと思ったことは実行する、それができるのは信じるからです。実際に信じることができないから行動をすることができず、いつまでも思うばかりで何も変わっていきません。

その信じる行動を促すのは勇気です。善心があっても、勇気を出せない自分が情けなく、こんな生き方は嫌だと思い、思い切って行動してみればその行動の前と後では自分自身が変わっていることに気づきます。

人間は自分自身を創るのは、自分自身の一つ一つの行動です。その行動を変えていくためには、こうありたいという自分像に対して思い切って勇気を出して行動していくこと。心で感じたことを素直に行動していくことの繰り返しで、心と感情のバランスが調和していくように思います。

頭で無理に納得させようとしても、人間は心が納得しなければ行動を変えていくことはできません。心の納得は、頭で聞くのではなく心に聴かなければわかりません。自分を偽って自分を誤魔化していたらいつまでも心は開いていきません。初心を忘れてしまうと人はすぐに頭ばかり考えて行動ができなくなります。そういう時こそ、初心を思い出し自分の心が納得することへと勇気を出して舵を切っていくことで自分を創り上げることを味わえ楽しめるようにも思います。

自分のことを頭で決めつける前に、自分の初心が何かをよく思い出して自分自身の憧れる方、目指した方を信じることを応援していきたいものです。同じように信じて勇気を出している人たちのチカラになれるように自分自身、実践をしながら初心を積み重ねていきたいと思います。