国家の大計

むかしの伝統建築と今の建築は、そもそものルールが異なります。むかしのものは自然の道理に適うかどうかを基準に風土に合ったものを建てていました。しかし今では、人間の都合で風土に合わさないものを好きに立てています。

自然への畏敬の念、つまりは自然の力の偉大さを見知っていたからこそ私たちの先祖は修繕や修理して壊れてもまた直せるように建てていたのです。しかし今では、壊れたら新しくすればいいと頑丈につくり災害でもしも少しでも壊れたら全部壊し新しくしてしまうという具合になっています。

修理や修繕は手間暇がかかるからという理由で、まったく修理や修繕が必要のない方法で安く新しくしようとします。長い目でみたら、古民家をはじめ数百年持つように建てられていますし素材もまた再生利用なものばかりですが現代においては短期的にしか見ていませんから損でしかないように教えられます。

何をもって損かどうかは、短期と長期で観照すれば逆転するものなのです。

人間は長期で物事を考えるには、広い視野と高い理想、そして悠久の時の流れをもっている人でなければできないものです。自分の欲望や保身、そして狭い視野、目先の忙しさに追われていたら正しい判断などできるはずもありません。

むかしは、歴史をお手本にして人間がいくら抗っても自然には勝てないことを見知っていましたし自覚もありました。そこから謙虚さがうまれ、自然に逆らうのではなく自然に適ったものに近づく努力を続けていました。

もちろん進歩を否定するのではなく、あくまで自然の道理に沿った進歩こそが先人たちが大切にしてきた生き方ではなかったと感じるのです。特に建築においては、国家の建築とも比例しているように思います。

奈良にある法隆寺の時代などは、国家も同様に1000年以上続く理想に向かってみんなが力を合わせて建築してきたのがわかります。それに比べて、現代はどうでしょうか。

東京ではオリンピックに合わせて急ピッチで建物を建てていますが、あの建物は果たして1000年のような考えて取り組んでいるのでしょうか。鉄筋コンクリートの寿命は、約40年ほどともいわれます。それに比べて古民家の年代の梁などは1000年持つともいわれます。

費用対効果というのなら、少しの修繕を繰り返した方が資源の枯渇もなく風土も安定していきます。今のように海外から大量の材料を輸入していたら、海外の資源が枯渇するだけでなく国内にゴミのように循環しない材料があふれかえってしまいます。

国家の大計はまさに文字通り、国という家の姿にこそ鑑みるものかもしれません。

今更時代と逆行して古民家の甦生をと言われますが、私がやっているのは単に古い家を直そうとしているのではなく未来の子どもたちのために国家を直したいと思っているのです。

引き続き、古を愛し、新しきを創り、長期的な戦略で取り組んでいきたいと思います。