枯山水のつながり

徳積堂に枯山水の石庭を作庭していますが、配置が決まらずにいろいろと思案しています。もともと「枯山水」という言葉は、平安時代の『作庭記』(さくていき)という日本最古の庭園書に出てきます。まとまったものとしては世界最古のものと言われるそうです。

実際にこの「石」を使った庭のルーツは、巨石信仰にもあるように思います。人は、石が配置されているものを観てそこに不思議なつながりや力を感じたのでしょう。宇宙からのエネルギーを保存し、それを吸収して別のものにして放つ石のもつ癒しの力に畏敬の念を持ったのかもしれません。

BAの庭にも、1億年以上前の植物の化石の巨石が中庭に配置しています。また妙見神社のお社の磐座としても鎮座してもらい、そこを依り代にしていただくように場をととのえています。

徳積堂の庭は、茶庭になりますがそこに枯山水を配置します。かつて作庭家の夢窓疎石は仏教の宇宙観である「須弥山世界」を作庭しました。庭にあの世をつくりそこで座禅し瞑想することで「清らかなあの世を思い描いていると極楽浄土に行ける」という信仰が枯山水に投影されました。

また小堀遠州というもう一人の作庭家は、茶道の神髄と合わせた「綺麗さび」という美しく気品のある「書院枯山水」を作庭しました。心静かに、豊かに穏やかな空間の場を庭との結びつきを通して実現しています。その時代時代に、どのような枯山水を作るのかは志が同じでも出来上がりは異なるものです。私は、この時代に徳を甦生し、徳を可視化することに取り組むため、その徳を顕現させるような作庭にこだわるつもりです。

それに私は一昨年から石風呂を極めるために石を深め石に触れてきましたから「石」がとても好きになりました。その石を集めて庭を造ることは仕合せなことで思案しているだけでわくわくします。人々の心を癒せるよう、魂が甦生できるよう徳を主役にした徳積堂はまもなく開業する時期を迎えます。

そのおもてなしのはじまりで入り口をどのような作庭にするかは、私の思想と哲学、そして発明が入ったものになると思います。子どもたちの未来につながり、結べるような作庭をしてみようと思います。