ご縁かどうかだけ

今、私が住んでいるところは元々は誰かの持ち物だった古い民家です。かつてどのような人たちがここに住みどのような家族があって暮らしをしていたのかは想像することしかできません。しかし不思議ですが、住んでいるとその佇まいから何か余韻のようなものを感じることができます。

それは自分が喜ぶような暮らしをするとき、またはそこに迎え入れたご縁のある方々が来られているとき、また或いは、道具や家を手入れし磨いている時に実感するものです。

この世には本来、まったく縁のない新しいものなどは存在しません。私たちが生まれた以前からあったものを加工して新しくすることはできますがそれはまったく新しいものではなく今まであったものを甦生し組み合わせただけということになります。

大事なことは甦生し組み合わせたということ、つまりご縁を結んだということでしょう。

私はもともとご縁で物事を決断していくタイプです。よく戦略的だとか企画提案がどうこうだと言われますが、先にそんなことを頭で考えているわけではありません。今、来ているご縁に忠実であるだけでそこに真心を尽くしたいと取り組んでいたらアイデアが出て、また運のよい方へ導かれてきただけです。

計算はほとんどしておらず、損得も考えない。ただご縁かどうかだけを忠実に意識しているだけとも言えます。

しかしこの「ご縁かどうかだけ」というのが善いのです。

ほとんどのご縁は、私の場合ですが大変なものばかりです。自分の想定外の出来事や、予想もしなかった苦労が降りかかってきます。それを真に向けて引き受けたら真摯に汗水涙をたらしながら取り組んでいくだけです。

そうすると、時間が経ってみたらそれが自分の本当にやりたかったことだったりすることに気付けます。単に自分がやりたいことは願望であったり、欲望であったりすることもあります。しかし、思っていることが招いてくるのはほとんどはご縁です。

私の場合は一期一会が座右ですから、ご縁から来たものを大切にするという生き方だけであまり自分から先んじてご縁を拡大させていこうとは思わないタイプのようにも思います。

このブログも広めるために書いているのではなく、日々の一期一会のご縁を大切にして引き受けていることを綴って結んでいるだけだとも言えます。

子どもたちに、生き方を譲り残していけるように精進していきたいと思います。