変化は生き方

人はそれぞれ何のためにそれをやるのかという初心をたずねていくと自ずから生き方に出会います。その生き方を知れば、その人の目的を確認することができます。一般的に人は人を理解するのにその人の目的への手段ばかりを見ては、「きっとこんなことをやりたいのだろう」と勝手に推察されますがその途中がどうなっているのかはその目的が非常に困難で偉大なものであれば目先に出ている手段だけをみてもその全体もしくは初心を把握することはほとんど不可能です。

例えば、エベレストに登頂するという目標を掲げているからとその人が単に山が好きなんだろうとだけ思ってもそうとは限りません。その人の目的を知ってはじめて、その手段に何を選択したのかの意味を理解することができるのです。

人は手段を目的だと勘違いして、手段をしたいのだろうと親切にお世話してくれますが本来はその人の生き方を観てその目的を共有することの方が真の意味で親切になることもあるように私は思います。

老子に、魚を与えずに釣り方を教えよという言葉があります。これも手段に対して与えるのではなくまさに生き方を与えよという意味でも受け取れます。

私は釣り方が今でいう、「暮らし方」であり、それが根本的に変化しなければ実際には何も変わっていないということにもなると思っています。なぜなら現代人は真の暮らしというものが喪失してしまっているからです。

特に今はコロナ禍で一時的に困ったからと補助金や助成金を出しては食べれないからと魚を与えているのでしょうが果たしてこれがいつまで続くのか、そしてそれでこの先に訪れる世界の困難や災難に対して一緒に乗り越える力を与えられたのか。少し先の未来が予想できて心配になります。

私が言うのは、このコロナ禍を福に転じてこの目先のことだけ乗り切ればいいという場当たり的な対処ではなく根源的にどうあらなければならないのかを学び直す必要があるのではないかと提言しているということです。

どのみち人類は今の方向のままでは、確実に資源が枯渇し競争原理の中で心の貧困はますます進み、愛に飢えた人たちが増えていくのは見てのとおりです。戦争もまた近づいてきています。本来、地球には真の豊かさがあり十分に足りている暮らしがすべての生きものに行き届くほどの無尽蔵を持っています。それをまだ足りぬとこれでもかと消費して成長ばかりを追い求めている方向を転換できるチャンスが今であるのは歴史をみればすぐにわかります。

このチャンスを活かして変化するのか、それともこのチャンスを逃してまた元に戻すのか。一人ひとり選択が与えられています。その時、中心になる大切なものは「生き方」であるのは明白です。

生き方は、現代では暮らし方に出てきます。働き方というのは本来は生き方であり暮らし方ですが、現在は単なる働く手段の一つにしかなっていません。テレワークも時短も、複業も手段の一つにすぎません。しかしそれでもそれが働き方改革と言ってしまえるのは、生き方を変えてまでやろうとはみんな思ってはいないからでしょう。それは大変なことだからです。全体の空気に任せていた方が楽だからでもあります。

実際に生き方を変えるというのは、日々の覚悟が迫られます。覚悟はいいのかと常に自分に問い続けることでもあります。そこまでするほど切羽詰まっていないというのが事実なのでしょう。

しかしこの先、コロナに加えてもしも未曽有の災害や危機が訪れたとき外圧によって本当の試練がきたら耐えられるのでしょうか。私は臆病で小心者だからそれが来てから選択というのが怖いからか、その前に変化したいと思うタイプのようです。大切なものを守りたいのです。

子どもたちを愛するがゆえに、暮らしフルネス™に取り組み葛藤の日々ですがこの取り組みが子どものためとは思われないことの方が多いです。何のためにこれをやるのか、それが多くの人に理解されるには真の暮らしの実践を共にし続けるしかないのかもしれません。

引き続き、子どもたちのために日々の暮らしを味わい楽しんでいきたいと思います。