幸せの本質~インドの旅1日目~

人生ではじめてのインドへの訪問ですが、何か懐かしいものを感じています。

今は、まだインド行きの航空機内でこのブログを書いているのですが周りはインドの人達ばかりです。長い歴史を持ち、数々の文明を築きまた滅び、今に生きているインドの文化というものを感じることができるでしょうか。

私はインドといえば、仏陀や達磨大師のことなどが思い当たります。もっとも大好きなのは、観音菩薩ですが数々の慈愛と解脱に生きた方々の詠んだ物語や、その数々の言葉ばかりが頭を過っています。今までは本でしか感じれなかったものを、より現実の場所に訪問することで今まで以上に感覚で理解できるものもあるように思います。

仏陀にこうあります。

「愚かなる者に、親しみ近づかぬがよい、賢き人に近づき 親しむがよい、また使うるに値するものに、使うるがよい、これが人間最上の幸せである。

よき環境に住まうがよい、常に功徳を積まんことを思うがよい、また自ら正しき誓いをたつるがよい、これが人間最上の幸せである。

広く学び、技術か芸術を身に付けるはよく、規律ある生活を習うはよく、よき言葉になじむはよい、これが人間最上の幸せである。

よく父と母とに使うるはよく、妻や子をいつくしみ養うはよく、正しき生業にはげむがよい、これが人間最上の幸せである。

布施をなし戒律を保ち、血縁の人々を恵み助け、恥ずべき事を行わざるはよい、これが人間最上の幸福である。

悪しき行いを楽しみとしてはならぬ、酒を飲まば程を過ごしてはならぬ、また、もろもろの事において節制せねばならぬ、これが人間最上の幸せである。

人を敬い、自からへりくだるはよく、足るを知って恩を思うはよく、時ありて教えを聞くはよい、これが人間最上の幸せである。

こと忍び、穏やかなるはよく、しばしば、悟りし人と交流し、時ありて、真の道をかたり、談ずるはよい、これが人間最上の幸せである。」

これらの道徳的な生き方を列挙したあと、こう最後に続きます。

「よく己を制し清浄なる行いを修め、真の道を悟りてついに、不動の心を得なば人間の幸福はこれに勝るものはない、そのとき人は、誉められても、貶されても心を、乱されることもなく得ると得ざるとによりて心を、動かされることもなく、憂いもなく、怒りもなく ただこの上もなき安らぎの中にある、人間の幸わせはこれに勝るものはない、人よくかくの如きを行いおわば何処にあるも打ちかたるることなく、何処に行くも幸い豊かならん、かかる人々にこそ、最上の幸せはあるであろう」

まるで何ものにも囚われず心静かに穏やかに生きるというのが人間の幸せであるということを繰り返し言っているかのようです。

一体、この人間の幸せというものの本質とは何なのか。

それをもう一度、はじめから考え直して定義してみたいというインスピレーションが来ました。
もうすぐインドの上空を通過します。