則天去私と命従我省

夏目漱石の造語に「則天去私」がある。

大正5年に出た『文章日記』(新潮社)の扉に漱石が「則天去私」と揮毫していてその解説ににはこう書かれているそうです。

「『天に則り私を去る』と訓む.天は自然である,自然に従うて,私,即ち小主観小技巧を去れといふ意で,文章はあくまで自然なれ,天真流露なれ,といふ意である.」

他にも広辞苑では、「夏目漱石の最晩年のことば。小さな私を去って自然にゆだねて生きること。宗教的な悟りを意味すると考えられている。また、創作上、作家の小主観を挟まない無私の芸術を意味したものだとする見方もある。」

ちょうど、松山の道後に立ち寄った際に夏目漱石を調べていたらこういう言葉に出会いました。

今年のテーマに沿って学んでいるとすぐに情報が飛び込んできます。学ぶことの面白さや楽しさというのは、同じようにテーマを掲げた人たちとの学びの邂逅のように思うから不思議です。

自然というものと自分というもの、この両輪をどう理解していくかということは生きていく上で重要だと思うのです。私の解釈では、人生は楽をしようとすると偏り辛く、人生は楽しもうと思うとバランスが取れて幸せであるように思うのが今の私の幸福論です。

どうせ一度しかない人生ならば、苦しい方を選んだとしても楽しい日々を送るということ。

そういう人生の中にこそ、去私の境地があるのではないかと今では思うのです。そして運命というものは、生まれる前から壮大な宇宙の循環の一部として自分のいのちが活かされているのだから委ねて信じるということで則天ではないかと私は思えるのです。私の造語にしてみれば、「命従我省」です。

特に人生を振り返ると、どうにもならないような出来事ばかりがあったように思います。

誰かと比べては幸福論を語る人たちばかりの中で、本来の自分の生き方というものを正しく見つめる機会はどれくらいあったでしょうか。人は、人生の苦難や艱難に於いてはじめて自分を見つめて自分を育てていくように思います。

人生の道は、それぞれで異なるからこそ自分で見出していくことが大切なのかもしれません。

夏目漱石から今年は他にもたくさんの言葉を得てインスピレーションがありました。
早速、さらに深めて実生活の中で生かしていこうと思います。