自立の勘違い

先日、自立の勘違いについて大きく気づき直すことがありました。
それは自分流というものを持っている人が自立を勘違いしているということからです。

例えば、自分流などという言葉は、自分では真似ていると勘違いするときに使う言葉です。実際は自分に自信がない人ほど自分流などというものでコピーではないものをコピーしていると勘違いしているからそう思っているのです。

一流の仕事を真似るや習うというのはどういうことかというと、その人の背景にある今までの体験を習うや真似るということに他なりません。表面上だけを似せてそれで自分はいいとなるのは、決して本当の真似ではないのです。

イチロー選手の振り子打法のコピーをしたといくら本人が思っていても、それは決してイチロー選手の真似とはいわないのです。イチロー選手がやっていることはその心技体全てに到達した本質をいい、それを自分もできると安易に勘違いしているのは大きな間違いだからです。振り子を似せてもなぜ振り子なのかの本質は真似していないからです。なので自分ではもうやれると先に思い込んで自分流で勝手にやっていても、本番になれば誰の目にも振り子打法の本質と全く違うことをしていることは明白です。

だからこそ、本当にコピーするのならイチロー選手が行った全ての本質を自分で”ものにしたか”どうかを自分でやりながら真摯に確認してこそはじめて自立できているかどうかの確認になるのです。これは武道の師弟関係のようなものと同じく師から弟子が己で学び己で習うのに似ています。

本当の習うというのは、その人が過去に取り組んできた練習や訓練の仕方、仕事で言えば取り組み方やプロセス、積み上げてきた修練などの全てを”自分のもの”にするために真摯に直向に習うことではじめて仕事の仕方が理解できてくるともいいます。習うというのは、鳥が親鳥のやってきたことと同じように体験を積み確認しそれをものになっているかどうかを見守ってもらうことをいうからです。

例えば、身近な例でいえば一流の経営者の仕事を真似るというのはとても至難のことです。

なぜなら、その一流の経営者は過去にどれだけ質の高い体験と経験、自分のリスクで修羅場や真剣勝負などを得て、膨大な量の知識と膨大な量の智慧を己から一流に習いものにしているから一流の仕事ができるのです。一流が難しい仕事を簡単にやってのけるのも、それは頭がいいからや能力が高いからではなく過去にそれに掛けた時間があったからです。つまり一流の経営者の仕事がわかっても、一流の経営者のように一流の仕事ができないのは一流の仕事の仕方を学んでいないからです。

なぜ人はこうやって自立の勘違いが発生する本質は、頼ることができないからです。

例えばイチロー選手に頼ることができれば、それを習うことができるようになります。それを一人で頑張り頼ろうとしなければ、単にコピーですからそれは自分流になるしかないのです。いつも大事な場面でイチロー選手をあてにしなくてもいいようになるには自分でできるようになるための真の実力をつけるしかありません。

本来の自立というのは、自分から信頼関係を築き、自分から習い、そして自分から頼ることができて自分でできるようになることではじめて自分で立ったとなります。

過去の教育や家庭環境から誰も信頼せず、一人で頑張り一人で立てることが正しいと間違った価値観を植え付けられた人たちが結局は一人で無理をしていつまでも自立を勘違いしてただ一人だけでやることを正しいと思い込んでしまうのかもしれません。

本来の一緒に取り組むというのは、それぞれが己でできるようになるという互いに認め信頼しているという証であり、それがあってはじめて社会の共生と自立を育んでいくのだろうと私は思います。

子どもたちに自立のモデルを志すからこそ、真摯にこのことは考えていなければなりません。