国際感覚

人は自分の価値観を拠り所にして様々なことを判断しています。

先日のインドでもそうでしたが、世界は様々な宗教観などを含め価値観を形成するものがありその価値観に由って生きているともいえます。ヒンドゥー教とやイスラム教などもそうですが、私たちからすればなぜそこまで激しく対立するのかと思うものですがそれだけ価値観というもの中で理解できないものが互いにあるのです。

食べもの一つでもそうですが、豚肉を食べないとか野菜しか食べないとかもその価値観がそうさせるとも言えるのです。自分の価値観が正しいと思い込んでいればいるほどに、相手の価値観は間違っていると思うのです。

本来は、それでも相手の価値観を認めて相手も正しい自分も正しいという柔軟性があればいいのですが相手から自分が間違っていると責め立てられれば同じくそれを仕返すというように対立は激化していくとも言えます。

そう考えてみると、世界での紛争のほとんどは互いの価値観のぶつかり合いとも言えるのです。言葉を話せるようになってから、文化をそれぞれで持ってから、私たちは逆に話し合うことができなくなっているともいえます。

言葉で何万語使って語っても、分かり合えないということも生まれてしまっているのです。

だからこそお互いに共通するものがあることを学ぶことが人間の最上の教育ではないかと思います。それは真心であったり思いやりであったり、勇気であったり優しさであったりといった人間の共通した生き方そのもので分かり合うことがシンプルなかかわり合いであろうとも思います。

そしてそういうものを感じるには、常に自分がシンプルであるように価値観に柔軟でいなければなりません。柔軟であるには智慧と体験、そして素直であることが必用でそういうものこそ学問を修めていく中で体得していくのでしょう。

世界で活躍する一流の人達の共通するものは、やはり価値観に素直である気がします。まずは自分から国際感覚を磨けるように、精進していきたいと思います。