心の話

人間は話を聴かないときに忙しくなるものです。この忙しいというのは、心を亡くすと書いていますが実際には亡くしたのではなく心と分離するということでしょう。心は常に心ですべてのことを捉えています。しかしそこに時間という人為的なスケジュールが入ってきたり、頭で外からの評価や認知や仮想を考えすぎていると心は着いていけなくて置いていかれます。

スピード社会で何でも先に考えすぎたり、追いつけないほど離された気になてしまうと心は分離していきます。

よく心で感じろとか心で味わえと言われますが、実際には感覚を使うことだろうかと思うくらいです。マインドフルネスなども流行っているのは、頭でっかちに考えすぎたり猛スピードで処理してきた脳を休めるために感覚を使って休ませようとするものです。

しかし実際に心は感覚なのかといえば、そうでもあるしそうでもないようにも思います。

そこで大切なのは「聴く」ということだろうと私は思います。この聴くというのは、脳は嫌がります。なぜなら脳で処理しているのは不安や心配、起きていない未来を先回りしてあれこれと情報処理をして危険回避をしていることがほとんどです。頭でっかちになると、心配や不安が先回りして動けなくなります。安心するというのは、聴いている状態であるという持続があります。

では何を聴けばいいか。

それはきっと、何か自分に分からないことがあると脳では処理できないことを心が聴くのです。よく何かの意味があるのではないかと尋ねる人もいます。これも心で聴くための手段の一つかもしれません。

世の中では相手のことはよくわかりません。自然のことも宇宙のことも人間はほとんどのことがわかりません。1パーセントくらいともいいますが、その1パーセントもどういう基準で言ってるのかわかりません。つまりこの世は分からないことしかないのです。

分からないからこそ、分かった気になってあれこれを妄想を増やして標準であろうと悩むよりもきっと分からないと受け容れた方が楽になるし、その方が話を聴ける状態になります。

話を聴いてみたら、そうだったのかと知らなかったと知らないことが増えていきます。

畢竟、分かるというのは知らないことが増えるということです。知った気になったり、分かった気になってもそれは知識を使って思い込みの世界を広げただけです。

素直に謙虚に学び続けるというのは、聴く姿勢を持っているということかもしれません。子どもたちのためにも聴福人の実践を積み重ねていきたいと思います。

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