調和の妙

今夜は十三夜祭です。季節のめぐりの中でもこの日は、秋の余韻や余白を味わう大切な心の休息日です。秋は何かと忙しくなるものですが、お月さまの御蔭様で静かに変化を味わう場が調っています。

お山をはじめ街路樹も黄色や紅に葉の色が変わり、鳥や虫の鳴き声も甲高く澄み渡ってきました。いのちのめぐりを調え、これから冬を迎えるためにみんな降りていきます。

十三夜という言葉は、約850年前から日本文学の中で観られる言葉です。十五夜ではなくなぜ十三夜なのか。それぞれ諸説ありますが、大切なのはお月見をしながらその満ち欠けや満ちる少し前の美しい光を感じながら直観することだと私は思います。

コップの水も器も、満々にしているとこぼれていきます。最も安定するのは満たす少し前で止めることです。「ほどほどがちょうどいい」とも言えます。このほどほどというのはこの歳になってくるととても好きな言葉になり、変化や循環の要諦とも感じて学び直しています。

老子にこういう言葉が遺っています。

「持してこれを盈(み)たすは、その已(や)むるに如(し)かず。揣(きた)えてこれを鋭くするは、長く保つべからず。金玉堂に満つるも、これをよく守るなし。富貴にして驕(おご)れば、自らその咎(とが)を遺(のこ)す。功遂(と)げて身退(しりぞ)くは、天の道なり。」

これを意訳すると、「満ちたものをさらに満たそうとするより適切なところでやめる方よい。刃物を鍛えてどこまでも鋭くしようとしてもその鋭さを長く保つことはできはしない。いくら金銀や宝石が家いっぱいにあってもそれを永遠に守り続けることは誰でもできない。富や地位を得て驕り高ぶれば、自ら災いを招く原因にもなる。功績を成し遂げたならその功績にいつまでも執着せず静かに身を退けばいい。まさにそれこそが自然のハタラキである。」と。

あの有名な「足るを知る」に通じる話です。

これは別に欲望を持ちすぎるなとか、行き過ぎることをやるなという言葉では本当はありません。それに真の豊かさを知るためにとか、十分満ちていることを忘れないという警告でもありません。

これはちょうどいいという、最も自然循環において安定した状態のことをいうのではないかと私は思います。

お水は0度ではなく、約4度が最も安定すると言われます。4度の時が、すべての生き物たちを活かす温度なのです。これは地球上のいのちを支えるためのちょうどいい温度なのです。

お月さまもまた同様に、この少し欠けたときに私たちのいのちや精神や心に偉大な影響を与えているように思います。

そういうことで、今夜は暮らしフルネスの十三夜祭。昨夜から息子たちは焚火をしてはお月様と対話をしています。

今日も皆様にとって、ちょうどいい調和の音が響きますように。

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