無一物中無尽蔵の銀杏拾い

現代は何でもお金の価値に換算して購入する時代です。特に産業革命以降、大量生産大量消費を実現してから人々から手仕事が消え、人と人、人と自然との関係性も減退していきました。誰がどこでどのように、何を守り育て、そして分け合い助け合いそのものが自分の手元に来たのかなどは考えず、もっぱら他の商品や海外の輸入品と比較して高いか安いかの判断価値基準しかありあません。

例えば、お米であっても機械で改良されたお米を大量生産をするようになりそれが農協に集められ他のお米と混ざられてブランド米として市場で販売される。田んぼがどうなっているかや誰がどのようにしてどのような思いで、そして場との関係性などは知る必要もなくなっています。

本来は、ご縁と関係がなければ譲ってもらえないものですから場に関わり、一緒に働き、手伝い、分け合い、譲り合い、思いや心などの日頃の結びつきがあってはじめて手元に入ってきた存在でした。これはお米に限らず、すべてのことがご縁で結ばれた「暮らし」の中で営まれてきたものです。

今週の日曜日は古民家和樂で銀杏拾いを行います。

今では便利にスーパーなどに行けば銀杏は安価で購入できます。誰かが拾ったのか、どこのどのような環境の銀杏かなどは、関係もなく購入して食べればどれも同じようなものでしょう。

しかし一年間、感謝して銀杏と暮らし、銀杏拾いのために丁寧に下準備をして銀杏が傷まないようにシートをかけ、拾ったものの果肉を井戸水で丁寧に洗い、一つ一つを秋の澄んだ太陽の光で天日干しをする。数十粒つくるのにも大変な手間暇と真心を使います。

この銀杏のご神木は、百年以上ずっと故郷の関の山から吹いてくる山風を受け、棚田の栄養豊富な地下水脈を得て古民家の懐かしい風景と一体になって地域を守っている銀杏の木。この暮らしと銀杏の木の御蔭で、この季節は私たちの活動を一緒にしてきた人たちと銀杏を食べて心安まる憩いの場になっています。

便利な時代、何でもサービスでもお金で解決します。しかしご縁も関係性もないお金中心のお金の残高ばかりを気にする生活は疲れます。暮らしや関係性の残高をよくよく観つめ、私たちが実践しているような暮らしフルネスを学べば何もない中に本来の仕合せや喜びがあることに氣づき直せるものです。

まさに銀杏の木そのものが「無一物中無尽蔵」の世界を教えてくれます。

心の奥底にある偉大な豊かさに触れるご縁を銀杏と拾いに来ませんか?