お山の神の使い

昨日、田んぼを見廻りしていたらむかしの五穀田にイノシシが入ってくるのがわかり田んぼの真ん中の稲たちがなぎ倒されていました。一週間後に控えた稲刈りの神事の前に、特に一番実っている場所の稲が食べられました。イノシシは田んぼに入り、寝ころんで稲を倒して食べるため広範囲が荒らされます。

みんなで丁寧にお田植え神事で一本ずつお手植えしてきたからこそ、その時の思い出が走馬灯のように思い返され残念で悲しい気持ちになりました。

しかし、これもまた自然(じねん)の一つなのでここで意味を深めてみようと思います。

日本人は古来よりイノシシは単なる害獣ではなく「神聖な山の獣」「お山の神の使い」として敬いながら、田には入れないという二重の関係で暮らしてきました。元々、お山の神様は、猪や鹿、木、水、鉱物など「お山からもたらされる恵み」を司る存在と信じられてきました。実際に荒らされていると人間は思いますが、自然の循環の一部として暮らしていますから彼らはすべてお山をお手入れする唯一無二の存在でもあります。

それにむかしはお山と里は別の存在ではなく暮らしを通して一体になっている場所でした。なのでお山の神が春に里へ降りて田の神となり稲を守り、秋の収穫が終わると再びお山へ帰ると信じられていました。お山に帰る前にお山の神様の使いが田んぼにご挨拶に来たという捉え方もあります。

しかしそんな悠長なことを言っていたら、田んぼの稲は全部倒されてしまい食べる稲もなくなってしまいます。(笑)むかしの人たちは存在としてのお山の使いを大切に尊重しながらも同時に境界をつくり「お互いがここまで」という結界を設けました。

かつての文献を調べると山際の田に小屋を建てて夜通し番をし声を上げたり、笛や鳴子を使って追い払ったり、村ぐるみで石や土を積みシシ垣という巨大な境界を築いたともあります。

お互いの生活圏、お互いの領分がありここからはこちら、ここからはそちらという境目を丁寧に結んだのです。これは分断や断絶ではなく、調和や共生、折り合いをつけていたのです。お山からいただいている恩恵を里で頂戴し、お山にまた送り返す感謝のお祭りもまたこの暮らしの循環の一部でした。

来月、新嘗祭ではお山の神様に感謝してお山に御見送りする神事を私たちは和樂で行います。これもまた、いのちの循環の中で大切に関係性を維持するむかしから生きていく智慧の一つです。

早速、私たちも昨夜は夜通しライトアップしてラジオをつけタール系の忌避剤を撒き境界の対策をしました。今日から収穫を開始することに変更して、電気柵の結界も検討しています。畔周りなどを荒すまではいいけれど、田んぼの中は我々の食べ物だからダメですよとお知らせしていきます。イノシシにも子どももいて暮らしがあります。

「お互いを思いやり敬いながらも暮らしを守る。」

大切なのはご縁や関係性の中でどのように折り合いをつけていくか、これは現代の人たちの大切な場の思想だと思います。日本人としての場づくり、むかしからの伝承を守っていきたいと思います。

ということで、大切な御報せがあります。

当初は10月10日の巳の日の神事で稲刈りをと思っていましたが、こんな状況にもなったので明日から稲刈りを開始し10日までに終えるという計画で手刈りをはじめます。

もしも我こそはお山の神様と共生するぞという真心でお手伝いいたける結の方がいたら、ぜひ稲刈り稲架かけをご一緒いただけますと幸甚です。またご連絡をいただけますと、よろしくお願いします。