昨日の満月の日の英彦山のお山は霧に満ちていました。二十四節気では「霜降」に入りました。この霜降(そうこう)とは、文字どおり霜が降り始める頃という意味です。
この時季の草木は静かに冬支度に入ります。陰陽思想では秋から冬へ向かうこの時期から陰の氣が深まっていく季節になっています。晩秋のお月さまを眺めていたら、陰の氣が深く充ち始めているのを感じます。
お月さまを眺めるというのは、心を観るということです。
今の自分がどのような心でいるのか、そして心がどのように移り変わるのかを眺めているのです。これを内観とも言います。月に心を照らすことで、今の心を悟ります。
月心とは、今心なのです。そしてこの今の心と書いて、「念」と言います。
仏教における「念」は、サンスクリット語の smṛti(スムリティ)、パーリ語の sati(サティ) といい「記憶する」「忘れない」という意味を持つ言葉です。
つまり、大切な一瞬一瞬の今の心を決して見失わないということでしょう。
この一瞬一瞬とは永遠のことです。
永遠とは、太古のむかしから今も変わらない普遍的な「場」のことです。もっとシンプルに言うのなら、ご縁や結び、羅網のように繋がっている空間全体宇宙のことです。
この今も地球と月はお互いに結び合い太陽を中心にして倍音を奏でます。
お互いに螺旋活動をしながら大宇宙と調和しめぐり続けています。
私たちは永遠のめぐりをお月さまを眺めることで思い出せるように思います。その懐かしい循環する感覚こそ、「心のめぐりとの邂逅」、月心です。
あなたはお月さまを眺めるとき、何が観えますか?
秋の夜長に心を観つめ、心を調え、心と一つになっていけるといいですね。
