心と心

昨日は、無事に古民家和樂のご神木の銀杏拾いや綱分八幡宮の参道の竹林のお手入れと田んぼの稲架を設置することができました。

御蔭さまで地域の暮らしを甦生し、かつての里山のような地域の循環の場ができています。こんなことを数年続けていると、集まってくる結の人たちや地域の人たちも故郷の風物詩のように風景に馴染みます。これを文化といいます。文化は暮らしがあってはじめてできるものです。文化は決してお金で買えません。

今年の銀杏の実はとても大粒で全部まるごとみんなで拾いきることができました。昨年まではあまりにも銀杏の量が多く、拾いきれずに一部は土に還していました。銀杏の木に「いつもありがとう、いつか拾いきるほどになるのが夢ですね」と話していたからか、不思議なことにその冬に枝が風でだいぶ落ちスリムになりました。すると今年は小粒だった銀杏がすべて大粒になり、味もさらに美味しくなり全部、ご縁のある方々の来訪分でぴったりと拾いきりました。

現代では一般的には思い込みだとかスピリチュアルだとか言われそうな話ですが、きっと主人の話を聴いてくださってそうしたのではないかと不思議に思い、改めてご神木の存在を尊敬して大切に一緒に暮らしていきたいと思いました。これは英彦山の守静坊の枝垂れ桜も同じく、話しかけるとすぐに翌年にそれを聴き届けてくれます。これはむかしの五穀田の稲も同じです。

樹木や植物には、人間のような口もなければ耳もありません。

しかし心は通じるようで、尊重していのり話しかければ応えてくれます。重要なのは、「応じる」ということです。応じるというのは、相手の求めに心で受けこたえるという意味です。

心で聴く、心を通じ合わせる、心で接する、心を観守る、心と心。

何を伝えてくださっているのか、どうしたいと願っているのか、傾聴し共感し受容して感謝しあう。

二宮尊徳はこれを「一円観」と言いましたが、自然循環の妙であり真理です。

御蔭様で年々、ご縁や関係性が充ちてみのり、一期一会の場が醸成されていきます。

ご縁や関係性の中にこそ、真の暮らしがあります。

秋は、多様な生き物たちが心と心を和合します。

秋に心からありがとうございます。