明日は、いよいよ待ちに待ったみんなでむかしの五穀田の稲刈りをします。英彦山弁財天の縁の深い日に合わせて種もみをお山のお水に寝かせ苗づくり、田植えと草取りとすべて「巳の日」に合わせて取り組んできました。巳の日というのは、十二支の「巳=蛇」が巡ってくる日のことです。むかしの人たちは、この縁日というものを大切にしてきました。お水の中で蛇は脱皮して新しく甦生する存在です。そのお力に肖ろうと意識を保ちながら渾然一体の自然の一部になっていきます。
御蔭様でみんなのいのりが通じ、稲は本当によくよく育ってくれました。
はじめての田んぼで心配していましたが、関の山からのいのち豊かな風とお水が棚田の上も中も通り場の力を育ててくださいました。古代米をはじめ在来種や福岡のお米などご縁あったものが全部みんな活き活きと育ちました。
心から場に感謝しています。
秋は今までの苦労をみんなで労う季節です。そして冬に入る準備をしていきます。
実際にすべて稲刈りを手刈りでするのは本当に大変なことです。周囲の関係者からも無理ではないか、やめて機械にした方がいいと薦められます。正直言うと、あらゆる兼業をしていますから纏まった時間がうまく取れなくて身体が悲鳴を上げることがあります。
でもたくさんの仲間が集まってあのみんなで竈のご飯を食べたり、子どもたちからお年寄りまでみんなで居心地のよい場にしていく古民家と田んぼと稲と人の絶妙な調和が好きなのです。
「好き」というのは美しいという古語ですが、論語には「知之者不如好之者、好之者不如楽之者」とあります。つまり「知る」より「好き」が深く、「好き」よりさらに「楽しむ」境地があるといいます。
そして禅の道元禅師は、「仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするるなり」、人になる道は自分を識り自分になること、それは自分を忘れるほどに好きになっているという意味に近いように思います。
この好きというのは、周囲の評価など氣にしない現代でいう「オタク」になっている境地に似ています。(笑)自分が好きで誰よりも楽しんでいるのなら、それでいいと。それが自分らしさの源流ということでしょう。
どの方向に向かって暮らしをしているか、何が徳でそれを積み循環しているか。
不思議ですが私の田んぼの周りには、そういう人たちばかりが集まってきます。
ということで、明日は「労いの秋もやります」。
具体的には、稲架けをしたらライトアップして親戚の「丸目雅(まるめみやび)」さんによる労いの歌奉納をします。彼女は、私の息子たちと幼い頃から一緒に育ってきた音楽の申し子です。その歌唱力と声は、澄み切っていて一度そばで聴くと忘れないほど深く心に遺ります。
むかしの五穀田のと関係を結び稲刈りをしてくださった方々だけ参加できる秘密のライブをします。
心を癒し、好きの方向をみんなで確認しあい労い合う。
力をお借りしたいのが本音ですが、明日はじっくりと労いを意識して好きを楽しめたらいいですね。
参加のご連絡をよろしくお願いします。
https://www.tokutsumi.or.jp/info/2974.html
