備えあれば憂いなし

世界では政府が何かの災害や戦争やテロに備えて備蓄するようにと通達をしています。ここにきてなぜこのようなことをと疑問に思いますが、きっと何かこの後に起きる、あるいは起こる予定なのかもしれません。

そもそも災害というのは、予測できないものです。自然災害なども天災として突然に発生します。その規模も内容も予測はほとんどできません。私たちが予測できると思い込んでいるのは直前の規模、あるいは起きた瞬間を知ることくらいです。

本当はむかしの人たちは自然観察に長けていたため、因果律やいのちの繋がりや関係性から変化を読み解きました。それが暦などにも反映されています。しかし、現代は科学の力で分析したり統計を取ったりとAIの発明によって進化はしています。

だとしても、正確に災害を予測することはできません。予測することができないから備える必要があるのです。

そしてもっとも備えないといけないものは天災ではなく、人災の方です。

人がデマを流したり、自己保身や目先の不安から通常ではありえないような破滅的な行動を行ったりします。その最たるものは核戦争であり、原発であり、無差別テロなどです。

天災への対処は、謙虚であれば後は運が味方になってくれたりします。しかし人災は、惑わされない、流されない、巻き込まれないというように正しい情報や行動がないといけません。

そのための準備とは何か、それは油断しないことや安心バイアスに呑み込まれないこと。つまりは、備えあれば憂いなしの状態をつくること、選択肢をたくさん持っていること、また暮らしそのものを危機感を忘れないような防災意識で生活することなどです。

私は東北の震災で原発の体験もしましたし、コロナ禍の体験もしました。

その二つの体験を通して学んだことは、人災の方が天災よりもはるかに恐ろしいという事実です。だからこそ日々は天の運行に合わせる生き物たちと共に自然のめぐりを歩みつつ、同時に人災対策のために日々の暮らしをかつての先人の智慧のあるものを取りいれて継続実践をし続けています。

暮らしフルネスは、危機と隣り合わせで生きてきた先人たちの大叡智の結晶なのです。日本という国は、自然災害が多かったからこそ暮らしの中であらゆる備えをしてきました。

いつも万が一に備えることが本当の備えです。

先人の体験からの智慧に感謝し、その備えを大切に日々を調えていきたいと思います。