真の融合

最先端と伝統文化の融合をみていて色々と思うことがあります。私は先人の智慧や先人の願いや祈りを尊重しますからあまり目新しくなる感じにはなりません。むしろ地味で、何が新しいのかわからないという具合にほとんどが目には見えません。今、あるものを活かし、そのあるものを別のものと組み合わせていくなかで今の自分に相応しい使い方を味わいます。

器というものは、その器は無です。しかしその器に何を載せるのか、もしくはその器をどう使うのかは、その器の天命にも関わってくるものです。

ある器は、飾り物になり、ある器は花の場になり、またある器は何かの想いを宿します。器は器、そして私たちもまた器にもなりえる存在でもあります。難しくなってきたかもしれませんがシンプルにいえば、徳を磨いていくということです。

私は古いものと新しいものを融合するとき、そこに徳を見出します。その徳は、いのちを尊重する中で顕現してきます。丁寧に磨き、丹精を籠めてお手入れをする。そうして、みんなが喜ぶように、そして少しでも長く幸福になれるようにとそのものの豊かさをみんなで味わいます。

ご縁を大切にしていく中で、自分に与えられた天命に従っていく。

そういう生き方が折り重なっていくとき、私たちは縦の糸と横の糸を結ぶように一期一会の融合に出会います。

よく考えてみるとわかります。

私たちの今もまた古いものと新しいものは融合し続けています。それは自分自身がそうであるからです。先祖からずっとつながっている自分、そして今を生きる自分。先人の恩徳に深く感謝して、今も子孫のために謙虚に自らを磨いて今以上に美しい世の中を推譲していく。

こういうことの繰り返しの中にこそ、真の新しいものと古いものの融合があるのです。見た目の融合ではなく、真の融合なのです。

私の取り組んでいることは、すぐにはわからないかもしれませんが時を経て歴史や時代に鑑照すればいつかは理解してくださる人も増えていきます。悔いのないよう、今とご縁を結んでいきたいと思います。

暮らしフルネスの真価

春うららかな天気が続くと、犬や猫、鳥たちも心地よくゆったりと過ごしています。自然は四季のめぐりと共に、自然のリズムで時が流れます。現在のような人間都合のスケジュールではなく、まさに自然の時は全生命の時でもあります。

本来、むかしは人間も同様に自然のリズムで暮らしをしていました。今では暮らしが失われ、労働するための時間に管理されなかなか自然のリズムで生きることは難しくなっています。

その中で、暮らしの意味も変わり、暮らしはリズムとは関係のないものとして言葉も定義されて使われます。私の定義する暮らしは、自然のリズムのことであり決して日常生活のことをいうのではないのです。

私たちは本来、この自然の営みの中に伝統的な暮らしを持っていました。これを生活文化ともいうのでしょう。この文化が失われて、現代のような文明が優先されていく生き方が求められ息苦しくなっている人も増えているように思います。

子どもたちは、自然そのもので産まれてくる存在です。その最初の三つ子の魂のときは、私はできる限り自然のリズムで生きられるような環境を用意する方がいいと思うのです。それが地球で自立して生き残るためのチカラを得ることができるからです。

あまりにも早期に文明に慣れさせすぎると、人間は性格のバランスがととのわなくなります。人間の性格は、その後の社会でのバランス感覚や、その人が自分の人生をよりよく生きるための柔軟性に影響が出てきます。

だからこそ、私たちの先祖たちは日本の家屋の中で自然のリズムと調和する暮らしを永続して生きる力、生き残る力を醸成し伝承を続けたのでしょう。

私が古民家にこだわる理由も、自然のリズムと一体になって暮らしていくのに都合がいいからです。もちろん、大都会でもできなくはないですが圧倒的に自然のリズムに包まれにくいから智慧と工夫が必要になっているのです。それは決してデジタルで無理やりに自然をつくることではありません。もっと、リズムを考えて暮らしをととのえていく工夫をみんなで知恵を絞って取り組んでいくということです。

私の暮らしフルネスは、足るを知る暮らしと一般的にはお伝えしますが自然のリズム側から話せば暮らしだけで充分という意味でもあります。

暮らしの真価を子どもたちに伝承して、今と未来をよりよくしていきたいと思います。

自然の仕組み

私たちは1年のめぐりを四季を通して行います。1000年続いていれば、1000回の四季を、そして2000年続いていれば2000回の四季を巡ってきたことになります。私たちは時代を年数で捉えますが、実際にはその回数繰り返してきたということでもあるのです。

自然の仕組みは見事で、毎年同じように繰り返されます。その都度、はじめからやり直すようになっていて私たちはその自然に合わせて自分たちもはじめに戻します。例えば、種を蒔き、芽が出て、花が咲き、実をつけまた種になる。この繰り返しですが、自然はその前の一年と同じことはほぼありません。毎回、はじめに戻りますが同じことは二度とありません。

その都度、私たちは謙虚に自然の姿から学び、自分たちを変化に合わせて成長させていく必要が出てきます。つまり自然の変化にあわせて私たちも進化し続けているのです。

同じように菜の花が咲いても、同じ菜の花はない。

これはタイミングも異なれば、同じ量でもない、大きさも形状も前の年とは異なります。つまり自然のあらゆる生命は同じように、自然と調和しながら進化を已みません。そして一緒に、進化して生きているのです。

私たちは自然と共生しながら、その生き方を学び、同じように変化に合わせて繰り返しの中でいのちを磨き直していきます。

いつまでも同じようにしていくのは、私たちが自然の存在であるからです。

大事な時こそ、今までどのようにして暮らしを営んできたのか原点回帰していたいものです。謙虚に、人類の行く末と子どもたちの平和のために尽力していきたいと思います。

ウェルビーイングではなく暮らしフルネス

現在、資本主義経済の行き詰まりをはじめコロナによる経済の低迷、また戦争による閉塞感など世界は暗い情報が増えています。そんな中、ダボス会議ではグレート・リセットといって今までの価値観を見直し、前提から見直そうという声が出ています。

リセットというのは、最初からやり直すという意味です。

シンプルに言えば、これは今のやり方ではこれ以上難しいから最初に戻すということを言っていますがではどうやって戻すのかということは議論されていません。それは戦争によって破壊されて縄文時代のように戻ることをいうのか、もしくは原点回帰というように人類が何を求めているのかということを真摯に考えて前提をひっくり返すのか。どちらにしても、それも人類が選択できるということなのでしょう。

具体的には下記のようなことがいわれています。

  1. ビジョンの再定義:自然との調和を保ちながら、社会のニーズに応える
  2. 透明性の確保:環境、社会、経済のパフォーマンスに関するデータを開示
  3. 外部性の内部化:環境的及び社会的影響を認識し、負の外部性を減らす
  4. 長期的なビジョン:会社、社会、自然を含む全ての重要な利害関係者に利益を
  5. 人を資産にする:社内の声を優先する
  6. 生産のローカライズ:エネルギー源や財源、流通のローカライズ
  7. サーキュラーエコノミーへの切り替え:環境および社会システムとの共存
  8. 多様性を受け入れる:価値観、所有構造、財務の多様性を認識

確かに、現状を維持しながら変革をしようとすると今の社会の在り方を換えていくことで幸福に近づこうとするのはよくわかります。しかしこれで本当にグレート・リセットするのかということどうでしょうか。

私は、そもそもの大前提がこれで変わっていくとは思いません。これはこれまでを換えようとはするのですがこれまでとの対比の中で大前提が変わることはないからです。

現在の行政の仕組みや国家の在り方なども根本は変わりません。それは今の仕組みを走らせながら新しい仕組みを入れようとするからです。一度知ってしまった便利さを手放せないように、人はそう簡単に元に戻ることはありません。そして長い時間をかけて教育してきた価値観を忘れることもなかなかできないからです。手段は目的を超えられません。目的を換えるには、具体的な智慧が必要でそこには常に今を磨き続ける努力が必要だからです。

私はこれまでのことを対比するウェルビーイングではなく、今を温故知新し根源的に甦生させる暮らしフルネスというものに取り組んでいます。これはもともと幸福を目指しているのではなく人間の暮らしをととのえていくことを実践していく方を目指しているのです。

今、世界は現状を換えずに変化することをみんな求めていますが今の国の仕組みがいつまでも変わらないようにそんな大きな変化はないように思います。しかし、時代は必ず後押ししてきて原点回帰するときが訪れると思います。

大事なのはその時、その原点回帰するものが残っているかということです。私が文化や知恵を伝承するのは、子どもたちがそれを受け取れるようにするためです。今の社会をどうするのかという運動は、私の役割ではないように思います。

私の役割は、一つ一つの先人の智慧を甦生し、実践し、歴史を紡いでいくことです。どの時代も、本当は同じ課題と向き合い続けて今があります。むかしも今も、本質的には人間の課題はなくなっていません。だからこそ、智慧が必要なのです。

子どもたちに智慧が伝承できるように、ウェルビーイングではなく暮らしフルネスを実践していきたいと思います。

変化の創造

成熟してきた業界のことを観察していると、今までの仕組みが邪魔をして変化が停滞していしまっているところがよくあります。その時代時代に、課題がありそれを解決するためにはじまるのですがその時に作った仕組みやシステムが陳腐化してくるのです。

その時は、それでよかったものが時代が経つとそれが変化の邪魔をするのです。そもそも移り変わっていくということが分かっていれば、移り変わる中で何が今の時代の要請なのかということを常にとらえて学び続けることができます。しかし、日々の忙しさに追われてそんな時間が取れなくなると次第に移り変わることを忘れてしまいます。

あまりにも目先のことや日々のことに追われていくと、人は変化に疎くなるのです。

変化していくためには、少し忙しさから離れて世の中の変化をよく見つめ直す時間が必要です。もしくは、忙しくしない日々を生き、常に変化というものを見つめる観察眼を養う必要があるように私は思います。

かつての人たちは暮らしの中でその観察眼を磨いてきました。

日々の小さな変化、自然の変化に目を凝らし、小さな虫一つ、植物の変化一つを気づき、そこから世界の変化を予測していました。自然界にも兆しというものがあり、世界の反対側で起きていることでも小さな自然の変化から想像することができるのです。

今は、テレビやインターネットで世界の反対側の情報も映像などで入ってきますがむかしは長い時間と小さな変化を観察することで情報を入手したのでしょう。もともと地球は球体ですから、投げたものは長い時間をかけて返ってくるものです。これは意識の変化も同様です。歴史が刻まれていく中で、人間の意識も少しずつ変化していきます。

コロナがあり、戦争があり、人間の心理や感情も刻々と変化していきます。

毎日は同じように見えても同じことは一つもありません。

その時々によく観察し、原点回帰しながらも何が変わったのかを見極めて順応していくしかありません。昔と比べてではなく、まさに今がどうなっているのかに集中するということでしょう。

子どもたちの未来のためにも、新たな変化を創造していきたいと思います。

暮らし方

人はそれぞれに人生を生きていますが、その中で暮らしがどうなっているかはその豊かさや仕合せを左右するものです。例えば、芸術や文化、音楽などを含めそれがなくても毎日仕事をしてお金を稼いで毎日、忙しく生きてはいますがそれで日々の暮らしが潤うかというとそうではないことはすぐにわかります。

ある人は、毎日の生活に潤いがありまたある人はそれがない。それは環境もあるかもしれませんが、本来は生き方が決めるのであり、その生き方が暮らし方を決めているということもでもあります。

どんなに忙しい毎日であっても、暮らしがととのっているのであれば潤いのある日々を過ごしていくことができるのです。

私の場合も、周りからみると結構暇そうに過ごしているように見られることがあります。特に古民家で炭火でお茶を沸かしてゆったりとおもてなしやおしゃべりをしていますから余計にそう思われます。

私のことをあの人はもう十分儲かって稼いでいるから仕事をしなくていいなどと言われたり、話が長いし時間がゆったりだから気を付けないとすぐに時間がなくなってしまうよなどともいわれます。しかし実際は、結構な忙しさもありやっていることを話すとよくそんな時間がありますねというくらいいろいろとやっています。ただそう見えないだけといことです。

それを考えてみると、私の場合は「今」というものを大事にします。また人生の座右の銘は一期一会です。その瞬間に真心を籠めていきると決めていますから、忙しくても心まではそうならないようにと噛みしめながら味わっています。毎朝毎晩、振り返りをしてはその余韻から気づいたことを反芻しています。

自然に触れたり、花をめでたり、炭を感じ、音を聴き、光を観察しご縁を味わう。そうやって少しの隙間に、今、この瞬間を楽しむのです。

暮らしは、暮らし方でもあります。

人生は一度きりですから、悔いのないよう潤いを忘れないように過ごしていきたいものです。子どもたちにも、多様な暮らし方を選択できるような場をつくっていきたいと思います。

子どもの環境

今の子どもたちとむかしの子どもたちは、基本的には同じです。しかし同じ子どもでも与えられた環境が異なってくるとその子どもたちは異なった成長をしていきます。当たり前のことですが、環境が子どもに与える影響は大きく、どんな環境であったかはその後の人生を左右していくのです。

ではどのような環境がいいのか。例えば、自然が多いところ、もしくは学術都市のようなところ、他にも有名な教育をしているところ、色々と考えることはあるでしょう。しかし、それが子どもにいいかどうかは本当に意味ではわかりません。なぜなら個人差もあり、どのような効果があるのかは人それぞれだからです。

こういうことを書くとでは、どうするのかとなります。もちろん、自然が多いところなどは感性を磨いてくれますし、身体も健康になっていきます。都会と比べて空気も美味しく、健康的です。健康に育てようとすれば、自然豊かで地産地消できるような場所、また人のつながりやコミュニティが暖かいところがいいのは間違いありません。

私は子どもの環境のことを深めていながら普遍的な環境というものがあるのではないかということに気づきました。一つは、暮らし、一つは発達、一つは伝統文化です。

例えば、伝統文化というのは今の子どももむかしの子どももそれを知恵として伝承してこの土地の人間として育ってきました。それは非常に理にかなっているものであり普遍的です。この土地に生まれたからこそのこの文化というように、地理や気候、生活文化が長い長い時間をかけて醸成されてきたのです。この環境が子どもにあるのかどうかは大変重要だと思うのです。

もう一つの発達、これは育つ環境のことです。植物であれば、土中の環境がよくその植物にあった場所で育ちます。つまり育つための環境があるということです。もともと人は個人差もありますから発達速度もバラバラですし、特性もあります。それがうまくみんなで育ちあうようにするにはそれができるような場所が必要です。植物でいえば土もない、水もない砂漠のようなところでは育ちません。自然農でも、その特性を見抜いて最適な環境をどう用意し見守るかが大切です。これも時代が変わっても普遍的なものです。

最後に暮らしです。暮らしというのは、人の営みです。大人の姿を見て子どもは育ちます。そしてその暮らしの中には、今まで連綿とつながってきた先祖からの記憶や知恵が凝縮されておりそれによって地球や自然と共生していくことができます。あらゆる生き物は、この暮らしと調和し一生をはじめ一生を終えるのです。どのように暮らすことが仕合せなのか。それも教えずにしてわかるのがこの暮らしです。

このように普遍的なものがあるなかで、人は特殊な教育ばかりを注目しますが残念なことです。空気や太陽や水などと同じように、本来は教育も普遍的なものでした。私たちは今までどう育ってきたのか、こういう時代だからこそ原点回帰していく必要性を感じています。

保育に関わる人間として、私自身、まだまだやれることがあります。残りの人生の課題の一つとして挑戦していきたいと思います。

英彦山の甦生のはじまり

昨日は、英彦山の宿坊、守静坊に120人以上が集まりみんなで茅葺屋根の茅を運び入れました。大きなトラックで6台分くらいあったでしょうか。一軒の家の屋根にこんなにも大量の茅を使うのかと驚きます。先日、阿蘇に茅を刈りにいきましたがその作業も大変な作業でしたからこれをこの数と思うと、改めて職人さんたちの労力や仕事に頭が下がる思いがしました。

現在、この宿坊は昭和のリフォームで茅葺屋根がトタン屋根に変わっています。もう地元で茅を育てている人たちもなく、みんなで茅を葺く文化も消失しました。できないのだから他の方法でということで、トタンになったのでしょう。トタンは便利で、茅を丸ごと囲いますから茅に雨が染みこむこともありません。茅は、そのままにしていると傷みますから定期的なメンテナンスが必要になります。

むかしは、常に囲炉裏に火が入っていたから茅も燻されて防カビや防虫などもしてくれ長持ちしました。現代は、燻すこともありませんからすぐに茅も傷んでしまいます。どう考えてもトタンからわざわざ茅葺にすることは見た目が良いメリット以外には大きな費用がかかるし、この先もずっとメンテナンスできるかという問題があるからと二の足を踏む人が多いといいます。それはよくわかっています。一般的には無理だと諦めるかもしれません。しかし、私は別に家をリフォームしているのではありません。

私は、古民家甦生を通して日本の懐かしい未来を甦生しているのです。なので茅葺屋根は私にとってはメリットしかないのです。やらない理由はまったくないのです。この茅葺屋根を葺くという行為自体が、懐かしさの源流であり、現代にも連綿と続いてきた真の日本人の心を甦生することになっているからです。

昨日は、みんなで「結」(ゆい)という体験をしながら、たくさんの茅を運びました。みんなで声をかけあいながら、力を合わせて協力しました。午前中だけでは終わらず、その後は有志が残ってくださって残りの茅もほとんど運びました。体力も消耗し、大変ではありましたがみんな心は清々しく笑顔も多く、素晴らしい人たちが一緒に汗をかいてくださっていることで場所全体が輝いていました。そして200年の枝垂れ桜もそれを満開の花と共に美しく揺れながら見守ってくれていました。

この懐かしい未来の光景は、決して文字では伝えることができません。

この場に参加してはじめて、これが「結」(ゆい)なのかと、直観し実感するものです。私はこの光景がいつまでも子どもたちに遺して続いていけたらいいなと心から祈っています。

人はみんな、みんなのものだと分かち合う時、そして誰もが地球では家族の一員だと助け合う時、私たちはそこに繋がっている存在、結ばれている存在の有難さに気づきます。他人と貸し借りができるのも、そして知らない人たちでも協力し合えるの、その時、心はとても豊かになります。懐かしい先人の生き方や知恵に触れるとき、私たちは何かを思い出しています。その何かは先人が私たちに遺してくださった大切な心を伝承し、その当たり前ではないことに感謝を思い出しています。そして私たちはその結ばれてきた今までのご縁の尊さを思い出すのです。

私たちは、ずっとむかしから今も結ばれ合っています。それをまたこの時代も結い直すことが、これまでもこれからも仕合せになっていくための知恵なのでしょう。

英彦山の甦生のはじまりが、この結からであったことに深く感謝しています。

歴史の大切な1ページを皆さんと一緒に、結でめくれたこと一生忘れません。英彦山のお山の徳が引き出された瞬間を感じました。ここからは引き続き、徳を磨き、英彦山から日本全体へとその徳を顕現させ子どもたちの心のふるさとを甦生させていきたいと思います。

一期一会をありがとうございました。

仁聞の徳

歴史を調べていると、文献にあるものと文献のないものの辿り方があります。本来、文字で歴史を残すというのは改ざんされたり全体が観えるものではなかっため、大勢の人たちの口伝、もしくは石碑や場の景色や風景、他には何かしらの目印を残していました。

以前、何がもっとも歴史として遺るかというものを調べた研究者がいて文字がもっとも早く失われ、その逆に長く遺ったものは言い伝え、歌や舞などの神事であったということを聞いたことがあります。

確かに文章や文字は、その時代の価値観を反映していますし記録はできても記憶は伝承できません。記憶を伝承するのが先で、それを理解するのに記録が必要ですから本末転倒になってしまいます。

私はもともと記憶を優先するタイプで、歴史を辿るときは直観的に必ずその場所に行き、その記憶を辿るための目印を探します。その目印は、時には石碑石像であったり、樹木であったり、場であったり、風景であったり、道具であったり、人々の伝承や伝説、文化や芸能であったりと多種多様です。

記憶というのは、一体どこにあるものなのか?

これは人の脳の中にあるものなのか、私は記憶は脳で理解するものではないと思っています。記憶は、五感や六感を通して直観するものであり、その記憶はいつまでも場に佇み、磨き上げたり澄ませるときに徳のように顕現してくるものだと感じています。

私が何か古いものを甦生するとき、心身を清め、場を磨きととのえ、その記憶にゆったりと心や耳を傾けていきます。つまり「聴く」のです。聴いていくと次第に、どうしてほしいか、何を出してほしいか、どれを引き継いでほしいかなど、篩にかけられた記憶が残っていきます。もしくは、じわりとにじみ出てくるように、太古からの複雑な記憶が集まってきます。

それをカタチにして甦生させるとき、人々はその記憶をはじめて実感することができるのです。いくら隠しても、いくら改ざんしても、本当にあったことはなくなることはありません。ただ忘れているだけです。忘れたものは、必ず思い出すことができます。それは脳で思い出せなくても、心は思い出すのです。

私が英彦山の甦生に取り組んでから、ますますそのむかしの記憶が蘇るご縁が増えてきています。そろそろ思い出す時機が来ていることを思い、できる限りの人たちにその記憶を伝播していきたいと思います。

古の記憶を心で聴いて子どもたちと歩んでいきたいと思います。

 

守静坊の枝垂れ桜

ついに念願の英彦山守静坊の枝垂れ桜が開花をはじめました。この枝垂れ桜は、文化・文政の頃(1804年~1819年)に、英彦山座主の御使僧として京都御所へ上京した真光院普覚という山伏が祇園枝垂の苗木を持ち帰り植樹したものだと伝わっています。

この枝垂れ桜の樹齢は約200年。高さ約15m、幅20mで、品種は一重白彼岸枝垂桜(ひとえしろひがんしだれざくら)と言われています。

京都の祇園の桜のことを調べていたら、祇園枝垂れ桜というものが円山公園にあることを知りました。円山公園は、八坂神社の東側にひろがる京都で最も古い公園です。

なんとこの品種も守静坊と同じで「一重白彼岸枝垂桜」なのです。かつて歌人・与謝野晶子も愛でたという大きな桜は、現在二代目のものです。初代のシダレザクラは、根回り4m、高さ12m、樹齢200年余あったそうですが昭和13年、天然記念物に指定されましたが、昭和22年に枯死したといいます。現在の桜は、これに先立つ昭和3年に、15代佐野藤右衛門氏が初代のサクラから種子を採取し、畑で育成したものを同氏の寄贈により、昭和24年に現地に植栽したものだそうです。現在の容姿は、樹高12m、幹回り2.8m、枝張り10mとあります。

不思議に思ったのですが、守静坊の枝垂れ桜と初代の枝垂れ桜の年代がほぼ同じです。これは私の直観ですが、この桜はもとは同じ桜だったのではないかと感じます。現在の2代目の円山公園の枝垂れ桜は京都は南山城の井手町にある地蔵院の枝垂れ桜を株分けしたものです。この地蔵院の枝垂れ桜の写真をみたら、守静坊の枝垂れ桜にそっくりなのです。

その当時に思いを馳せると、どのような物語があったのかを想像しロマンを感じます。それが200年の歳月を経て、このタイミングで京都と英彦山がつながり枝垂れ桜のご縁で日本文化や信仰を甦生する場が誕生するのです。

ご縁というものは、時空を超えていきます。

どこまでがシナリオ通りなのか、それは神のみぞ知る世界です。私はその天意を邪魔しないように器として支えていくのみです。

皆さんと一緒に、枝垂れ桜の物語を未来に紡いで子孫たちの平和を祈念したいと思います。