学友との出会い、新たな平和への挑戦

友人のヤマップの春山慶彦さんの協力で英彦山宿坊のクラウドファウンディングをすることになりました。春山さんとは、2年前に宗像国際環境会議の座談会を聴福庵で行った時からのご縁です。

その時を思い返せば、穏やかな佇まいで語り、静かな情熱と哲学、美意識を持っている行動力のある姿に感銘を受けたことを憶えています。そこから約2年、ご縁からの行動を共にしたり英彦山の甦生への取り組みを通してさらにその人柄をすばらしさを実感しました。

振り返れば、その時々に場に誠実に、そしてどんなことからも吸収し学びを深めようとする実直な姿勢がありました。また、山のような深い心をもち長い目で物事を観て矛盾を受け容れつつ今を楽しもうと挑戦をしています。本をよく読み、知識を得ますが同時にそれを社会にどのように還元しようかと常に思案をしています。これは2年かけての私の勝手な人物評ですが、まるで「懐かしい日本の青年」という感じでしょうか。

今、世界戦争の足音が次第に近づいてきています。

私は戦後生まれですから戦争を知りません。しかし知覧の特攻の話や、沖縄の話をその土地のおじいさんやおばあさんから口伝で聞いたり、遺ったお手紙や日記、取材の内容を読んでいるとその当時の日本の青年たちの姿が観えてきます。

その姿は事に及んで真っすぐで誠実、家族のために社会のために自分の使命を全うするために深く学び、そして笑い、苦労を惜しまず命を懸けて運命を受け容れ実直に駆け抜けています。その根底には、深い優しさや悲しみ、そして思いやりを感じます。

私たちの心には、誰が与えたかわかりませんが最初から「真心」というものがあります。その真心に気づき、真心を盡そうと生きるとき、日本人の懐かしい何かに触れていくように思います。きっと歴史の中の青年たちは、この真心を常に生きていたのではないかと私は思うのです。

時代は現代、平和が続いて半世紀以上経ちました。平和で物質的豊かな時代を生きた私たちは何か大切なものを忘れているのではないかということに気づき始めてきています。これからどのような選択をするのかを決めるためにも、私たちはその当時の日本人の願いや祈り、その想いを改めて今こそ思い出す必要があると私は思います。

今回の英彦山の宿坊の甦生は、かつての日本人の心のふるさとを思い出すための大切な象徴になると信じています。

子どもたちに、何を伝承していくことが真心なのか。それは時代時代の人々の真の生き方であることは間違いありません。身近な学友から生き方の素晴らしさを学び合い、磨き合うような出会いをし、新たな平和を築くための挑戦を続けていきたいと思います。

樽の伝承

伝統の堀池高菜をむかしの樽に本漬けしました。このむかしの樽は、隣町にある伝統の味噌屋さんの蔵や建物が解体されるときにいただいてきたものです。もう随分と長い間、味噌をつけていましたが機械化したり樽がプラスチックになったりして使われなくなったものです。

昨日、樽をもう一度綺麗に洗ってみるととてもしっかりとできており隙間もありません。水をはってあげると、出番に喜んでいるような気がして使っているこちらも嬉しくなりました。

そもそも樽の文化はいつがはじまりなのかはよくわかっていません。世界ではおよそ2000年前にケルト人が金属の箍で木の板を張り合わせた丸い樽を作ったのがその始まりともいわれています。

日本国内では鎌倉時代末期に生まれ、室町時代に酒造業などの醸造業の発展と共に急速に広まっていったともいわれています。木工技術でいう結物(ゆいもの)の代表が、この樽や桶です。なので桶や樽を結桶(ゆいおけ)・結樽(ゆいたる)と呼ぶ場合もあるそうです。

これは従来の曲物の桶や樽に比較して強度・密閉性・耐久性に優れ、酒や醤油・油・味噌・酢・塩など液体や水に溶けやすい物資を入れて輸送するのにもとても役立ったといわれます。

もともと桶は、杉や檜などの板を縦に並べて底をつけ、たがでしめた円筒形の容器のことです。そして樽は、同じく「たが」で締めた円筒状の桶の形と同じですが蓋(ふた)があってお酒やしょうゆなどの液体を持ち運ぶのに重宝しました。どちらかというと、発酵させるもの全般は桶よりも樽を用いられています。

この樽の語源は、「ものが垂れる」=「垂(た)り」からきているといわれます。樽という字は木偏(きへん)に尊(たっと)いの組み合わせでできています。つまり「神に捧げる尊い酒壺」という意味で、樽は「神に捧げる入れもの」だったそうです。

よく神社にいくと酒樽が奉納されていますが、まさにあれは樽そのものの本来の役割を見事に顕現している姿です。神様に捧げると思ったらそういう品のある自然の器を用意したいと思うものです。そうなると私ならやはり木樽になります。

大事に育ってくれた高菜だからこそ、その高菜を漬ける塩も、ウコンもそして樽も本物にしたいと思うようになるものです。そしてその樽を安置する場所も、ととのえて清浄にしたいと思うようになります。

よく私はこだわりが強いといわれますが、こだわりが強いのではなく当たり前のことをやっているだけです。当たり前のことがなくなってくるとすぐにそれがこだわりだといわれるものです。

丁寧に暮らしを結んでいくなかで、本来どのようなものが本物であったか。それは自然を尊敬し、日々を大切に丹精を籠めて生きていれば自ずから本物に近づいていくものです。

子どもたちにも本物に囲まれた暮らしを伝承していきたいと思います。

和やかなテクノロジー

最近、ある人の紹介で「カーム・テクノロジー」(穏やかな技術)のことを知りました。これはシンプルに言えば、人、情報、自然が一体になって調和したテクノロジーのことを言うそうです。

もともと今のような情報社会になることをユビキタス・コンピューティングの父とも言われる有名なエンジニア、マーク・ワイザー氏はすでにその当時から予見していました。そしてそのワイザー氏が、現代のようなユビキタス・コンピューティングの時代に「カーム・テクノロジー」というコンセプトが必要になると予言していました。

このコンセプトは、テクノロジーが暮らしの中に溶け込み、自然にそれを活用しているという考え方です。このコンセプトは約四半世紀を超えて、人類に求められてきているテーマになっているということです。日本でも、この考え方を実装するためにmui Labという会社が京都に創業しています。この会社が監修したアンバー・ケース著の『カーム・テクノロジー 生活に溶け込む情報技術のデザイン』(BNN 2020年)にわかりやすくその内容の一部を整理しているので紹介します。

「テクノロジーが人間の注意を引く度合いは最小限でなくてはならない」

「テクノロジーは情報を伝達することで、安心感、安堵感、落ち着きを生まなければならない」

「テクノロジーは周辺部を活用するものでなければならない」

「テクノロジーは、技術と人間らしさの一番いいところを増幅するものでなければならない」

「テクノロジーはユーザーとコミュニケーションが取れなければならないが、おしゃべりである必要はない」

「テクノロジーはアクシデントが起こった際にも機能を失ってはならない」

「テクノロジーの最適な容量は、問題を解決するのに必要な最小限の量である」

「テクノロジーは社会規範を尊重したものでなければならない」

もともと、この「カーム・テクノロジー」(穏やかな技術)はなぜ必要になるのか。これは私なりの考え方では、自然を尊重するなかで如何にテクノロジーとの共生をするかは人類が生き延びるための普遍的なテーマだからです。これは避けては通れず、やり過ぎればどの文明も自分たちの技術によって滅ぶのです。これは歴史が証明していますからいつの時代でもその時代に生きる人が取り組む課題になるのです。そしてこの課題が発生する理由は、そもそも道具というものを使い進化するということの本質にこそあります。

元来、道具というものは、全て使い方から産まれるものです。そして使い方は、使い手の人間力そのものによって最大効果を発揮します。使い手が如何に人間的な徳を磨いてきたか、そしてその徳を積む環境の中で道具と調和をはかったきたか、そこには時代に反映された生き方と働き方があります。

道徳と経済の一致の話も同様に、人はどの時代においても謙虚や自然への畏敬、そして自分たちの文化や歴史を洗練させてきました。この時代においても、それは必要で今の時代は特にテクノロジーで便利になり過ぎているからこそ危険なのです。

自然環境が破壊されるのもまた、その行き過ぎた消費文明の中の技術主義にこそあります。技術が技術を調和するには、確かに私もこのカーム・テクノロジーが行き過ぎたテクノロジー依存の人類には必要だと実感しています。道具だけ進化させても人間力が伴わなければ片手落ちになるからです。それは、今の人類の核の利用をみても明白です。

私ならこういう時は先人に倣います。自立した先人たちがずっと大切にしてきた伝統的な日本の和の暮らしをととのえながら、その時代に発明された道具を必要最小限で最大の効果を発揮する仕組みを知恵として生活に取り入れるのです。

私が提唱する暮らしフルネスは、古民家の懐かしいもの、宿坊の仙人的な知恵に囲まれていますが文明のテクノロジーは否定していません。むしろどれだけテクノジーを人間力で高められるかに興味がありそれを実現させようと取り組んでいるのです。これを徳という砥石を使ってやりましょうと話しているのです。言い換えれば、私なら穏やかではなく「和やか」というでしょう。そしてこの和やかな暮らしこそ、人類を救うと私は確信しています。

和やかなテクノロジーを、この日本、この福岡の地から発信してみたいと思います。

自立と自律

春は出会いと別れの季節でもあります。思い返せば、何かが終わるときは何かが始まります。そして同時に新しい扉を開くときは、古い扉を閉めていきます。開けっ放しのままもありますが、戻ろうとしても戻れず人生は前進するのみです。

自立というものは、自分が一人ではない存在であること、多くの人たちの支えや御蔭様であることを知るたびに成長していくものです。親元から離れてみたり、新しいことに挑戦していくたびに自分が如何に守られていたのかということに気づくものです。

人間はそうやって、守り守られる存在をつくることで自立していきます。一人だけでできることや、一人だけで生きることを自立のように教え込まれてきましたが実際に大人になってみたらそれはまったく違っていたことに気づきます。

実際に、一人だけでできることなどはこの世には存在せず一人だけで生きることはできないのです。この時の一人は、決して内面の自己と現実の自己といった本当の自分で生きるという意味ではなく、単なる社会の中で自分のことは自分でできるようになりなさいという意味だったのでしょう。

本当はここでは自立とはいわず、自律と言えば善かったのではないかと私は思います。ちゃんと自立について体験せず深めていないと、おかしな自立を押し付けることになります。これは生きてみてそうだったのだから嘘はありません。実際の社会ではみんなで助け合って支え合っていますから、自律は必要です。これは、協力することを学ぶことにもなり自分もみんなを支え見守る存在になっていくことのためになります。

みんな自分らしく自己を実現し、そのままであることでみんなを支えていけばこんな仕合せな社会はありません。誰かだけができて、誰かができないという歪なものではなく、みんな違ってみんないい社会が居場所も安心も立命もある社会です。

産まれてきた以上、みんなそれぞれにお役目がありますからそのお役目にみんなで感謝しあって生きられたらこの世は天国になります。人間社会は、色々な人たちがいます。何が善で何が悪かなどは誰にも裁くことはできません。だからこそ、みんなで尊重し合う社会を目指していかなければならないと私は思うのです。

私が保育を本業にするのは、それを実現するために必要なことだからです。

子どもたちがずっと未来にまで、安心して豊かに暮らせる世の中にしていくために社業を通して目的を貫徹させていきたいと思います。

暮らしの改善

今朝がた、久しぶりにメールが受信できなくなりブログもアップロードすることができませんでした。なのでこのブログは、別のメモに書いています。

気が付くと、かなりパソコンやスマホをはじめインターネットに依存しているのがわかります。連絡手段として当たり前に使っていますが、改めてこれがない時はどうしていたのだろうかと思い出せません。

そういえば、私の小さい頃は連絡手段は自宅の電話とお手紙や回覧板でした。電話もよく停電などで使えなくなったり、手紙も時間がかかるし、回覧板もまわってくるのが遅かったりと不便が当たり前でした。

なので、時間の約束をしたり場所を丁寧に決めたり、今後のことやもしもの時の判断などを話し合っていたように思います。不便の時の方が、もしもの事態に備えていたように思います。

今は便利で快適ですが、もしもの時には非常に脆弱になっていることがわかります。これは依存することが問題だということはすぐにわかります。持っているけれど、もしもの時だけという使い方と、持っているから問題ないというのでは対応も準備も変わってきます。

人間にとっての災害というのは、突然にやってくるものです。しかも、想定外のようなことが連続して発生してきます。その時、生きる力、生き延びる力が大切です。そしてその力は急に出るものではなく、日々の自立した暮らしの中で磨かれていきます。その自立した暮らしとは、あまり便利に依存せず自分の元々持っている力、自分に元来備わっているものを使っていく中で磨かれていくものです。

いつでも原点回帰できるように、真に自立した自己を磨き高めることが修養であり子孫への無事悠久の暮らしの伝承になります。古いものと新しいもののバランスを見極めながら、引き続き暮らしを改善していきたいと思います。

漬物をつなぐ

昨日は天日干しした伝統の堀池高菜を仮漬けしました。ここから1週間近く漬けてから、本漬けといってウコンなどを加えて木樽に移動して他の高菜と合わせて漬けこみます。

もう11年近く漬け続てけていますし、もともとは百年以上続く老舗の高菜の菌が棲みついていますからそこで漬けることで独特の風味を産み出してくれます。種のことをブログで書きましたが、実はこの菌との共生や生き方もまた伝承していきたいものの一つです。

漬物というのは本来保存食でもあり塩は私たちの健康を守る大切な食材でした。ローマ時代には、塩が給与で支払われていたことで今のサラリー(給与)の語源になっているともいいます。かつての日本の食文化である一汁一菜は、ご飯とみそ汁と漬けもののことでした。塩とご飯、おむすびもですがこれが私たちのいのちを長年支えてきた基本のものです。

現代の塩はあまりいい塩がなく、むかしの塩づくりは自然に沿っていましたから健康を維持するのには欠かせないものでした。縁あって今、100年前の梅干しを一壺いただいていますがその塩は今でもしっかりとしていて味も美味しいです。100年以上保存できるものは、この塩が関係していることをそこから学びました。

漬物の原理は、塩の浸透圧を使います。浸透圧は、水がもともと濃度を一定に保とうとする力のことです。野菜の中の養分が外に出て、その分、塩が中に浸透していきます。その養分が菌たちの繁殖の栄養になり発酵してその野菜を別のものへと転換していきます。

重しをのせますが、これも水分を出やすくなるのと重力の力をつかい沁みこませて安定させる効果もあります。この野菜の水分で野菜が漬かることで漬物は完成します。空気に触れると腐敗菌が発生するので、塩分のある水の中に漬かることで腐敗よりも発酵を促進させます。

後は、塩分濃度さえ調整していけば、何年でもその漬物を食べ続けることができるのです。体にとっては、発酵した菌を取ることで腸内フローラも元氣にし、腐敗を防止します。漬物を食べると元氣になるのは、この発酵の仕組みをそのままに体に用いているからです。

いい塩、いい菌、いい野菜を食べ続けることで私たちは健康の基本を保つことができていました。今の時代のように多様で飽食の時代は、健康を保つことが難しくなってきています。医療がその分、発展発達して治療もできるようになりましたがその分、治療費もかなりの額になっています。この時代に生まれてきたらこれが当たり前なのかもしれませんが、本来の健康環境とは程遠くなっているかもしれません。

時代がまた揺れ戻され、何らかのかたちで治療ができなくなってきたらきっと私たちの日本もまた一汁一菜に回帰する日もくるかもしれません。その時、この漬物を守ること、塩を守ること、智慧を守ることは子どもたちのためになります。

今、やっていることを信じて、粛々と繋いでいきたいと思います。

種を守る

昨日は、郷里の伝統野菜の堀池高菜の収穫をしてきました。今年は、とても小ぶりですが逞しく健やかに育っているのは触った感じからも伝わってきました。毎年、一年を一緒に過ごす作物があることはとても豊かで仕合せなことです。

作物も種もそれは単なる呼び名であって、本来は一緒にこの世を生きる大切なパートナーです。そのパートナーとの一年一年の思い出や支え合い、その暮らしがあるということは何よりもかけがえのないものです。

お互いに貢献し合うことや、お互いに助け合うことで私たちは存在の絆を結ぶことができます。これは、生きものたちのすべての根底にある願いでありその価値の源泉です。

みんなただ生きているだけですが、その生きているだけで貢献する。物も同じく、すべてその存在理由はお互いの共生や貢献のためにあります。そしてその中でも、特に暮らしで支え合う仲間たちはともに働き、ともにその時代を生きていきます。

今、私の手の中にある種もそして目の前の高菜も同じように時代時代の中で同じ「種」として生き、お互いにいのちを分け合いここまで生きながらえてきました。私がそうであるように、先人たちもこのいのちを大切に守りながらここまで生きながらえてきました。

だからこそ、このずっと一緒に過ごしてきた種を見捨てるわけにはいかず同じようにこの土地で、この土地に生まれた者同士で生き続けていくのです。

私が伝統固定種の種を守るのは、ただ種が失われるからではありません。私がこの種を守りたいと思うのは、この種との「生き方」であり、大切なパートナーとしての仲間や家族との仕合せな暮らしをこの先もずっと子孫へ繋いでいきたいと願うからです。

現在、伝統固定種の種をブロックチェーンのトレーサビリティで守る取り組みを企画していますがこれもまた伝統を守るための革新なのです。

日本の風土の中で、この風土が育て見守るいのちを補助していけるようにこの世代の役割を果たしていきたいと思います。

懐かしい暮らしの工夫

英彦山の宿坊の甦生が大詰めに入ってきています。今回の甦生は冬の厳しい時でしたので、大工さんはじめ職人さんたちにも難工事になりました。英彦山の冬の厳しさを体験できたのは大きなことではありましたが、先人たちはどう過ごしていたのだろうかと色々と想いを馳せました。

冬の山は、生きものの気配もほとんどなくなり食料もあまりありません。山はあまり畑もつくれませんから、きっと様々な保存食などを工夫して生活をしていたように思います。

またこの寒さをどのように凌いできたのかと思うと頭が下がります。

今ではぬくぬくとした生活をしていますが、かつては厳しい環境で寿命も短かったように思います。炭も高級品でしたから火鉢が使えるというのは、大名や武家、商人だけです。農家では、囲炉裏にたくさんの服を着こんでなんとか暖を取っていたのでしょう。

私はたまたま古民家甦生のことで、古い家の暮らしを甦生し、山などにもご縁がありますが都会にいたらほとんど味わうことのない生活です。

しかしここ100年程度の生活が現代の環境ですがそれまではずっと千年以上、このような厳しい自然と共生する生き方をしてきたのです。それが現在の便利で快適な生活の中には懐かしさというものをあまり感じません。

私はこの懐かしさが暮らしに与える影響はとても偉大だと感じています。その理由に、私たちは四季折々、自然と共に暮らしてきましたから自然と上手に一体になることで身体や心、あらゆるものを同時にととのえていくことができるからです。

たださすがに今のような便利な生活に慣れていていきなりすべてむかしの生活に戻すのは難しいことでしょう。

だからこそ、上手に取り入れることだと思います。それは、心の豊かさであったり、自然への畏敬であったり、工夫は色々とあるのです。

私の暮らしフルネスは、そういう体験がたくさんあります。子どもたちに千年後も遺していきたい懐かしい未来を実践していきたいと思います。

 

真の文明人

いのちは寿命を大切に最後まで使い切るときに喜ぶものです。最近は、寿命を伸ばすという言葉も聞かないくらいみんな消費することに没頭していきますが本来はなるべく消費せずにもったいなく使うことを大事にしていました。

捨てるという文化こそ、近代になって生まれた価値観でありその価値観によって環境問題も社会問題も荒廃の一途をたどっているともいえます。

例えば、回転数というものがあります。ゆっくりとじっくりと回すよりも、急回転させるとスピードが上がります。スピードが上がるというのは便利ですし消費行動です。スピードを上げて、回転数をさらに上げれば確かになんでもすぐに手に入るほどのものが増えますがその分、捨てるものも増えていきます。

これは全く合理的ではないうえに、寿命をみんなで短くしていく作業です。

人類は、あらゆるもののスピードを上げていきました。それは運輸、移動などの物質的なもの、そして時間というもの、さらには環境の自然循環であるものまで、本来のじっくりとゆっくりとみんなでゴミ一つ出ないような理想的でシンプルな状態を捨てて手に入れてきたものです。

そのことに由って、無理がたくさん生まれ無理した分があらゆる問題として浮上してきます。もう一度、スピードを落とそうとしても今更そんなことをすると時代遅れと揶揄されますからもはやブレーキを人類自体がかけられる状態ではありません。

もしかしたら、自然災害や隕石の落下など、現在の文明を一転させるようなことがあれば元に戻るのかもしれませんがまたそのうち同じことを繰り返すのでしょう。

そう考えてみたら科学というのは、自然から時を盗むことに似ています。自然の知恵を盗み、ある部分だけピックアップしてそれだけを便利に使い周囲の資源を急速に引き出すという技術。これは現在の量子でもAIでもバイオでもだいたい似通ったものです。

私は人類はブレーキを自分でかけることができたとき、真の文明人になる気がします。そのためには、自然を善く学び、自然から得た智慧を尊敬し、あくまで分を超えない程度で科学を用いる。

そこに真の文明人の徳を感じます。

子どもたちのためにもそのお手本になれるように精進していきたいと思います。

時代と人生の記録

私たちは歴史を生きていますが、その時に何よりも重要になるのは記録です。どのような経過で何をしてきたのか、それを遺すことはとても意味があることです。それを読むことによって、私たちはその出来事から真実を学ぶことができるからです。

ちょうどヨーロッパで戦争がはじまり、第二次世界大戦の頃のことを知りたいと思うようになります。あの時の虐殺の歴史や人種差別、あらゆる人間の行いがどうでったのかを考え直すのです。

アンネの日記というものがあります。

ユダヤ人迫害から潜伏していた場所で書き綴った日記です。この日記はアンネの一家が拘束された後、秘密のアパートで見つかりました。今ではその日記が世界中であららゆる言語で出版され多くの人たちに読まれています。

私たちは、その人生の記録や記憶は空間にいつまでも遺っています。しかしそこにアクセスするには、その空間と繋がっているキッカケが必要だったりもします。もちろん、遺跡や建物、そして暮らしという媒体でアクセスすることもできますが日記や詩などもその方法の一つです。

今の時代、あの頃に何が起きたのかを思い出し私たち人類は大切なことを忘れていないかを再確認する必要性を感じています。

アンネの日記から、いくつかの言葉を紹介します。

「私は理想を捨てません。どんなことがあっても、人は本当にすばらしい心を持っていると今も信じているからです。」

「私達は皆、幸せになることを目的に生きています。私たちの人生は一人ひとり違うけれど、されど皆同じなのです。」

「あなたのまわりにいまだ残されているすべての美しいもののことを考え、楽しい気持ちでいましょう。」

「澄みきった良心は人を強くする。」

「たとえ嫌なことばかりでも、人間の本性はやっぱり善なのだということを私は今でも信じている。」

「私が本や新聞記事を書く才能がなくても、いつでも自分のためには書くことができる。」

「私は、また勇気を奮い起こして、新たな努力を始めるのです。きっと成功すると思います。だって、こんなにも書きたい気持ちが強いんですから。」

「私は、死んだ後でも、生き続けたい。」

私もブログや日記を毎日、書き綴っています。アンネには会ったことはありませんが、共感することがたくさんあります。こうやって書き綴っている間は、まるでそこにいるかのように日記を通して語り合うことができます。

時代を超えても語り合えるものにこの記憶や記録があるのです。

時代は変わっていきますが、どのとき、どう生きたかという魂の声や勇気を分け合いながらその時々の人生の記憶を子どもたちのためにも記録していきたいと思います。