甘さと弱さ

先日、組織のことを思いながらまたある人の相談に乗りながら人間の甘さと弱さについて考えてみた。

この似たようで異なるものは一体どういうものだろうか?

まず甘さから話すとよく人は何かを決めて取り組むとき、約束をすることがある。それはまず自分がそれを確かにできるかという自問が先であり、周囲の信頼を裏切らないようにという強い意志を固めることもある。

しかし生きていれば様々に出来事が起こり、できない理由はいくつも現れ、そして約束を守れないような邪魔もたくさん入る。それが人生といっても過言ではない。決めない人生であれば流されればいいけれど、一度決めるとそうはいかない、生きているというのは関係性であり決めたと公言するとそれは周囲へ影響をすぐに及ぼすことになる。

そして決定することから、自分に厳しい人と自分に甘い人を見ることができる。

例えば、自分に厳しい人は意志の強さゆえにどんなことへも準備を怠らず、どんなに外側の環境がどうであれ自分で決めたことは自分で守るとし、徹底して主体的に自分を持ちながら約束通りそれを継続していくことができる。

そして自分に甘い人は、意志が弱いゆえに受身になり準備を怠り、外側の出来事がそうなったから仕方がないとなり自分の責任を他人のせいにしたりして言い訳をすることで挫折し何度も続かないことを繰り返している。

意志薄弱ではないけれど、甘えるのは自分で決めないことであり、誰かに任せて責任をとろうとしない当事者意識の欠如から起きることが多い。

そして次の弱さとはどういうものか?

よく弱いのは人間らしいといわれ、他人に共感される。

それは通常は意志の強さと準備はできていてやれているけれど、継続がたまたま困難であったり、結果がどうしても思い通りにならずに心情を吐露するとき同じように取り組む周囲がその継続の意思を尊重し共感されそれも人間らしいからといわれる。

ある意味では他人は完璧な人間に憧れ、同時に嫌悪する。

それは、自分にはできないからであり、それをやることで自分の存在が小さくみえてしまうからでもある。いろいろ出来ない方が自分が役に立てると思える場所がなくなるから次第にその人から離れていこうとなるのだとも思う。

弱さというのは、あるがまま不完全なところがありながらも完全でありたいと思うけれどできないとなったときにお互いの持っている本来の役割や魅力を見いだせるということになる。

そして、弱さをさらけ出せる人は芯がある。

そういう芯を持つ人は、自分を持っている人であり、芯がない人ほど自分がない。他人の顔色ばかりを伺い、良い人になりたいことを目標としているから人は芯がわからなくなり甘えてしまうのだと思う。

そしてその甘さというのは、自立している人からはとても煙たがられる。

なぜならこの甘さは決して「他人を良くしない」からだと思う。

つまり自分に甘いのは自分が良い人になりたがっている人が多く、自分に厳しい人は他人を良い人にしていこうと思っている人だと私は思う。

本当に人に思いやりをもっていれば、自分に甘くはなれない。

先日もある人からなんでそんなに他人に本気になれるのかを問われたときに理由は簡単で「自分が思いやりに欠ける言動が嫌だからと感じるからだ」と話をした。

これも明瞭で、相手が良くならないと思えば思うほど、その言動は真摯になっていく。ひょっとしたらその人にとっては耳の痛いこともあるかもしれないし、ひょっとしたら言われて嫌われるかもしれない。

しかし、それでも相手が正しい行いをするために自分に厳しい部分で相手にもそれを伝え理解を促し、思いやりをもってともに変わろうと話をするのは自分の存在を正しく理解していることであり、自分が周囲により生かされている日々に感謝をしていればこそ、自分で意志決定することの大切さを伝えることができる。

そしてだからこそ、その刹那にその人になりきり人情的には艱難辛苦を深く共感してともに智慧を絞っていこうねや、そういう時こそ継続することだよと心底その人の立場になりきることができる。

そういう意味で私の定義する弱さとは、世界の一部としてあるがままの自分の存在価値を自分が認めていることであり、周囲を信頼し不完全な自分をさらけだしている自然な状態であり、感謝し一生懸命素直に真摯に自分を尽くし取り組んでいる姿であり、そういうものが人々を共感せしめ共に感動し生命の躍動を感化するのだと思う。

西洋文明の人間至上主義の考えでは、常に時間と空間の覇者でなければならずそのために責任に押しつぶされたり、自他をすぐに犠牲にしようとしたりする。

しかし、神道の八百万の神々にあるようにどんなに不完全なものもすべては神様とし何も排除しないという平和と調和の中でこそ神を見出だすことができるという自然と寄り添う寛容の姿から学んだ思想が私たちの内面に繋がり脈々と生きている。

そしてそれはかんながらの道のひとつであり、天地の恩恵を全て素直に感受し、その御礼に天地と同じく他を自分の存在で良くしていこうとする真心を持つ人こそ、自分の本当の弱さに向き合いそれを乗り越えている自然な境地。

だからこそ、社会にいる私たちは自分を大事にし他人も同じく大事にするために自分で決めて本気になり、自他との約束を守る言行一致の実践こそが甘えを断ち切るとし、あるがままの自分で人々を感化できるような日々を過ごしていきたい。

天の一方的で寛大な恩恵に対して、甘えず、地を這う私たちはともに生かしあって楽しみを謳歌する美しい関係性を築いていければと祈る。一度しかない人生だからこそ、甘さと弱さを履き違えないような世界を切り開いていきたい。