ハーモニー

人は人との間には様々な壁をつくって距離を持とうとする。先日のコンサルティングの組織もお互いに遠慮し本当のことをオープンに話し合おうともしない。同じ日本語を使っている日本人同士なのに、いつまでもコミュニケーションの壁は取り除けない。

そのほとんどは自分の弱さを受け容れることができない部分を頑なに自分が守っていることが多く、そこから相手を恐れ感情的になり何かを自分が先に決め付けてしまうことでさらに分かり合えないケースが多い。

たとえビジネスライクに何でもない表面上の仲良くはうまくできても、お互いの垣根を乗り越えた本音・本心で語り合い助け合うというのは心を許し合える友や仲間でなければできはしない。一緒に考え一緒に悩み一緒に解決するというのは、お互いが力をあわせて協力する関係ができていなければできはしない。

自分だけでいつも解決しようと自分の中に引き籠っていては本当の解決はしない。人は人と関係の中で自分を役立たせることで仕事は存在しているからだ。一人でできていると思うのは錯覚で必ずそこには関わり合う人や対象者によってはじめてそれは存在している。

まずは自分がダメなのだから自分で解決しようではなく、自分ができないのも受け容れて助け合い皆で協力しあい一緒に一つ一つ解決しようとするのが本当の社会の中での個人の在り方なのだと思う。

人は頭で脳でいくら考えたって一緒にやろうとあわせたり調和しようとしたりすることはできない、自然界のように見習って調和するというのはもっと本質的で本能的なものだと思う。

例えば、音楽に乗せて皆で楽しく踊ったり歌ったりするように、または秋の豊かな実りを歓び手をたたいてお祭りをしているときのように、「楽しい」と思う気持ちや、遊びのような「ワクワク」と好奇心が発揮されているときにこそ、皆が自然界の動植物のように調和していくのだと思う。

自分らしく生きることを心底それぞれが楽しんでいるのが自然界だからだ。

人間は理性的になることで、自然に仲良く共生することを忘れ周囲を信じず疑い、不自然に防御し自分らしくいなくいることで周りに調整しようとしてしまった。人工的に創られた調和というのは調和ではない、それはそこだけに切り取られた架空の建造物でしかない。それを信じさせられたって、自然界ではそれは不自然に観えているはず。

あの自然の森の中のビル群や、山にあるダムや、海にある防波堤など、そもそもそこには様々な生物が様々に共生し合った調和があったのにいまではないし当たり前になっていること、その刷り込みにこそ気付かないといけない。

私は人工物が悪や善などと言いたいのではなく、何が自然なのかを自分で考えないといけないと思っている。でなければ信じていて違うと思うことばかりに気をつけて生きているとより調和できなくなってしまうからだ。

自然界のように自分の周囲を信頼し信じると言うのはもっと心地よく素晴らしいことであるし、自分が信じた周囲によって自分らしくいられることを歓びみんな一緒に人生を謳歌しようよと自分から光り輝きあっているのが個性の本質でもあると私は思う。

仕事として作業を沢山真面目にやるのはいいけれど、忙しさのあまり余裕とゆとりがなくなり楽しくなくなっているのなら皆で協力したりするための自然に肩の力を抜いて協力しあうことは難しい。

何もしなくても自分がワクワクできるというのは、自然を感じつつもいつも心にゆとりを持ち、人の温かさ、人の親切さ、人の心の美しさ、人の存在の有難さ、人の偉大さをあるがままに受け容れているということをいうのではないか。

そうやって様々なものと繋がり合い、自分から結んでいくことが自分を存分に発揮し道縁を楽しみ幸せを玩味し歓びあうことではないか。

今は、保育や教育業界は様々な効率化のために余裕とゆとりがなくなり先生も保護者もみんな悪い方ばかりが見えやすくなり、不安や不信ばかりの問題が起きてしまい楽しみ力や遊び力がとても劣化してきているように思う。

子どもたちがあんなに楽しそうに自然に周囲を信じているのに、なぜその周囲の大人が大人たちを信じようとしないのか、本当に大人げない大人が増えたなと思う、どっちがコドモなのかと思ってしまう。

人は信じあうことでしか楽しいと思えることはない。
信じあうことは、すべての物事を全肯定して受け容れているということ。

すべての生命の価値をそのままに平等に感じる力。
お互いを尊重して生きていると言うことであると私は思う。

人の一部が観えるのは、そこから宇宙が全体が感じられる。
一部がその人なのではない、本来生命はそこから全繋がりが観えるものだ。

自分のことをそうやってみれば自分そのものを受け容れられるはず。
もっと子どもたちの見守る方は、信じるということを優先してほしい。

今、起きている問題や課題をどれだけ楽しむ力で面白いものに変換していけるか、それが本来の生きる力であると思う。待つことは楽しい、できないことも楽しい、分かり合えないことも楽しい、すぐに手に入らないことも楽しいと言えるような心のゆとりこそを大事にしていくことが自分らしく生きていくための知恵だと思う。

まずはカグヤも私たち子どもに関わる人たちは自分から周囲を信じて心を開いていくことで、仲間をたくさん創り広げることをしていきたい。そういう信じあう和の中にこそ本当のハーモニーがあることを実践で示していきたい。