人助け

先日、相談に乗った中に病気とどう付き合っていくのかということについて話をしたことがある。

医療に限らず利権が渦巻く業界では、常に利己的な科学を優先させ人間よりもさもそういう最先端科学や最新機械が優秀なのだと定義し人間的なものを排除している傾向がある。

木を見て森を見ずではないけれど、病気ばかりを見て薬ばかりを開発することや、外部から如何に意図的に手術し悪いものを取り除こうかとばかりに躍起になっている。

それを冷静に客観的に話をしているように論理的にふるまっても、患者が不安であることや恐怖や迷いがあること、苦しみとどう付き合えばいいのかなどというようなことは専門外のように語り合理的に物事を考える視点があまり大事にされない。先ほどの木を見て森を観れば、枝葉末節ではなく根幹根源にあるものを理解しそこから全体にかけて滞留する流れを正しい方へ循環できるように少し手助けをすればいいだけだったりする。

もちろん、そういうことに気づき様々な人間的なものを優先する医療を行う人たちがいてそういう人たちによって今の最先端の科学というものの定義が180度転換されたりもしているからこれは時代的なものであり振り子が戻される日も来るのだろうと信じている。

人間は、常に細部にこだわりすぎて大局を見失う傾向がある。

細部は、すぐに形になって表れ目に見てとれるから安心するし説得力があるのだろう。しかしほとんどの問題の根源は、不安や迷いなどの恐怖からくるものであり、それは全てにおいて心の問題のことを語っているのである。

その心の問題をそのままにしておいて、気休めに安心させても心の方がより鋭敏に感知するのだから次々に問題が現れ同じようなことで自分を見失い誰かに助けを求めていくのであろうと思う。

本当に善い医者や、善い人とは、常に人間としてどう生きるのか、どのような在り方でいるのかがもっとも素晴らしい人生であるのかということに気づかせ、それを励まし、それを助け、それを一緒になって生きてみようという心の世界に精通するものをもつ人物がなるのであろうと私は思う。

良質な人生を自らが生きることが、多くの人たちに勇気を愛を伝道することができるもの。

まずは自分が明るく元気に、素直に快活に、そして笑顔で前向きに、色々な感情があるけれどその全てが感動の連続であり、この今に感謝し、全ての御蔭に包まれていることを信じて自分にしかやれないことを遣り切る人生こそがもっとも人を助けていくことになるのだろうと私は確信する。

どんなに人助けがしたいや、子どものためにとあっても、その本人が納得した人生でなければ誰一人として本質的に救えはしない。救うというのは、求めてきたものに対してどのような手を差し伸べるかということでもある。

自分の差し出した手が、温かい優しいものであるのか、冷たく酷いものであるのかは、握手をすれば分かるもの。愛は、生き方によって方向が決まりそのことを通して協力や仲間、友情も感動もやってくる。

まずは、如何に自分が明るく充実した迷いない人生を歩めるかということに観点を置き豊かで一期一会の人生を歩んでいきたい。